石川のむかし話/石川県児童文化協会編/日本標準/1977年
羽咋のある村に、村の誰も知らないうちに、庄助という若者が、地蔵さんのそばに小屋をたててすんどったい。
酒もたばこも道楽もせんいいあんさ。うわさがひろがって、うちのむすめをよめにもろうてくれんかいという話が、あっちの村、こっちの村からきたが、庄助はすべてことわってしまう。
庄助は、毎日よく働き、人の倍も稼ぎ、おまけに無駄遣いはすこしもしない。毎晩遅く帰ってくると、その日に稼いだ銭を、縁の下の土に埋めてあった壺のなかに、チャリンチャリンとおさめていた。
庄助の楽しみは、お金をかぞえることだけ。
壺の半分ほど銭がたまったとき、庄助は壺のことが気が気でならん。仕事をしながらも壺のことが気になって、壺の中を、なんどもなんども確かめていた。
ある夜、庄助は「もしだれかきて、この壺をあけたら、かならずカエルにばけてくだされ。おねがいでごぜえますぞ。ぜにさま、ぜにさま」と、頭を床にこすりつけて、なんべんもたのんだとい。
つぎの晩、いつものように壺のなかをみると、ちいさなカエルが、一匹、二匹、三匹と、壺からはいだしてきては、小屋じゅうにとびまわったとい。
庄助が「ぜにさま。おらじゃ、おらじゃ。おらがふたをあけたときには、カエルにならんでもいいがやわけ。はよう壺のなかに帰ってくだされ。」と、手を合わせてたのんだけれど、カエルは、壺に帰るどころか、だんだん大きくなった。
庄助がなんどもなんども、なきなきたのみ、涙がひとつぶ壺のなかにおちたとたん、でっかいカエルが、みるみるうちに小さくなり、しまいに、もとのピカピカした銭になったというこっちゃ。
「かえるになったぼたもち」に にていますが、一人しかでてきません。銭は、なければ困りますが、使い方も重要です。庄助はためることが目的で、使い道はどうでもよかったようです。
口能登の昔話で、カエルはギャットと表現されています。