ビアトリクス・ポターのおはなし/絵と文・ジャネット・ウインター 訳・長田弘/晶文社/2006年
「ピーターラビットのおはなし」の作者、ビアトリクス・ポッターの伝記絵本。ピータービットの世界を知らなくても、ひとりの女性の伝記、とりわけ自我形成期が興味深い。
ビアトリクス・ポッター(1866~1943)は、ロンドン生まれ。父親は弁護士で、両親も自分の用事が忙しく、ポッターの世話は、乳母のハモンドにまかせきり。しかし六歳のとき、弟のバートラムがうまれると、乳母のハーモンドさんは、弟にかかりきり。遊びは小鳥たち。ネズミを捕まえて飼いならしました(ネズミを飼いならせるんだと驚き!)。
両親はわるい子と遊んで悪い影響を受けるのが嫌がって、人間の友だちはだめでした。ポターは、風邪はひく、頭はがんがんする、というのはしょっちゅう。子どもにとって楽しみなクリスマスも、ユニテリアン派だった親たちは、クリスマスの休日なんか気にもしなかったのです。
夏のおわり、避暑にでかけたポターは、うさぎを一ぴき、街の家に連れ帰るのをゆるしてくれました。また、父がときどきつれていってくれた美術館の絵が こころにやきつきました。
ポターの友だちは、うさぎのピーター、いえねずみのハンカ・マンカ、ハリネズミのティギー・ウィンクル。
弟が遠くの寄宿学校にはいると、家庭教師のアニー・カターさんがポターの家庭教師になりました。じぶんだけの暗号で日記をつけ、顕微鏡を見て、ちいさないきものに驚き、絵にしなくちゃと思いました。ところがいい絵がなかなか描けず、親がつけてくれた先生のいう絵もうけいれられず、レッスンがおわると、じぶんで楽しんで絵が描けるようになったポター。
やがて、家庭教師のアニーさんの子どものノエルが病気だったとき、ポターは、ピーターという名の一ぴきのうさぎのおはなしを手紙に書いて、ノエルにおくりました。・・・。
女性が自由な生き方を制限された社会で、いきものに興味を持ち、それを描いていったビアトリクス・ポター。最初の絵本までは、心を許せる人間がいなかったようにみえますが、成功をおさめたあとは?。