新訳チェーホフ短編集/沼野充義・訳/集英社/2010年
1894年に新聞に掲載されたチェーホフの短編。
ロシアの民族主義者の多くが反ユダヤ的な姿勢をしめすようになった時期。何か特別の理由がなく、ユダヤ人を毛嫌いする棺桶職人のヤーコフが主人公です。
病院からも、監獄からも棺桶の注文がめったになかった棺桶職人のヤーコフは、婚礼の日に楽団でバイオリンをひいてちょっとした副収入をえていました。
楽団員はほとんどがユダヤ人。フルートを吹いているのは苗字が有名な富豪と同じロスチャイルド。
ヤーコフは、これといった理由もないのに少しずつユダヤ人、特にロスチャイルドを憎み、軽蔑するようになりました。あれこれ言いがかりをつけ、汚い言葉で罵り、一度などは、ぶんなぐりそうになったくらい。そんなわけでヤーコフはめったに楽団に招かれなくなっていました。
ある警官が二年も病気で衰弱して、その死をまっていると、この警察官は治療で都会に出かけ、そこでぽっくり死んだので、高価な棺桶を作る機会を逃しひどい損害をこむったと考えるヤーコフ。
ある日、妻マルファがだしぬけに「わたしは死ぬわ!」と叫びます。マルファの顔は熱のせいでバラ色に染まり、異様に明るく、ヤーコフにも棺桶にも永遠の別れを告げることになったのを喜んでいるよう。
老いた妻の姿を眺めていると、ヤーコフはふとこれまで、一度も優しくしたことも同情したことまなく、ただ怒鳴りつけ、損を出したといっては罵り、拳骨をあげてとびかかるだけだったんじゃないかと思い当たります。
病院に連れて行くと、妻はもう間もなく死ぬだろうというのが明らかでした。
自分で取り仕切り、立派に上品に、安上がりに行われた妻の葬儀。しかし墓地からの帰り道、ひどく気がふさぎ、体の具合もわるくなったみたいで、呼吸は熱っぽく重苦しく、やけに喉が渇いたヤーコフが思い出したのはやっぱり妻のこと。
一つ屋根の下で暮らすこと52年、長い長い歳月がゆっくり過ぎていったが、どうしたものか、その間彼は一度も妻について考えたことも、特別目をむけたこともありませんでした。
そのヤーコフもやがて、この世に別れを告げることに。医者の態度で、容態が生易しくないことを察し、どうしてこの世は、たった一回しか生きられない人生が利益をあげないで終わってしまうという奇妙な仕組みをなげき、家に帰ってバイオリンを見たとたん、胸がしめつけられ残念な気分におそわれます。
失われてもう取り戻せない、損ばかりの人生のことを思いながら、彼はバイオリンを弾き始めた。そのとき木戸にロスチャイルドがあらわれ、どうしてもきてほしいと頼まれます。婚礼のためでした。しかしヤーコフは「病気になっちまってね、兄弟」と断ります。
臨終の間際、司祭から、なにか特別な罪を犯した覚えがないか、とたずねられたヤーコフは、薄れいていく記憶の最後の力をふりしぼり、マルファの不幸な顔と、犬にかまれたユダヤ人の絶望的な悲鳴を思い出し、ほとんど聞き取れないような声で「バイオリンはロスチャイルドにやってください」といいます。
ロスチャイルドはフルートをやめ、いまではバイオリンしか弾かなくなりました。それを聞く者は涙を流し、町で大変な人気になりロスチャイルドは、引っ張りだこになります。
妻が亡くなってから、あれこれ回想するヤーコフ。身につまされます。