どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

千三つじいさんのゆいごん・・徳島

2024年08月16日 | 昔話(中国・四国)

     徳島のむかし話/徳島県教育会編/日本標準/1978年

 

 むかし、千のことを言ったら、そのうち三つぐらいがほんまで、あとの九百九十七まで、うそばっかしという、うそつきじいさんがいて、近所の人も、親戚、家の者まで、このおじいさんのいうことは信用しなかった。

 このおじいさんも、とうとうときがきて、死に際になった。おじいさんは、「今までうそばかりついてすまなんだ。けれど、死に際にいっておく。これはほんまじゃ。わしが死んだ十年たったその日に、この部屋の床の下をほってみてくれや。壺が出てきて、なかに宝物が入っている。みんなでわけてくれや」と言った。

 みんなは、なんぼうそつきじいさんでも、死ぬときにはやっぱりほんまをいうもんじゃと、みなこれだけは信用した。
 さて、十年たった命日に、みんなが集まり、床の下をほってみると、たしかに壺が出てきた。「やっぱり、これだけはほんまじゃった。」と、壺をあけてみると・・・。

 

 嘘も方便、人間関係の潤滑油にもなりますが、今のご時世、危うい嘘が多くありすぎ・・。


ハボンスのしゃぼん玉

2024年08月15日 | 紙芝居

   ハボンスのしゃぼん玉/原作・豊島与志雄 脚本・稲庭桂子 画・桜井誠/童心社/1992年(16場面)

 むかし、トルコのハボンスという手品師が、男の子を連れて、国中を歩き回り手品や曲芸をやっては、おかねをもらっていました。子どもは、お父さんの手品が大好きでした。

 あるとき、ながいながい雨がふりつづき、ふたりはしかたなく宿屋にとまっていましたが、子どもが病気になってしまいました。いやな雨は しとしととふりつづき、子どもの病気は悪くなって、死んでしまいました。
 ひとりぼっちになったハボンスは、なにをするのもいやで 死んでしまいたいと思いましたが ふと、いつかはなしに聞いた魔法使いをたずねて みようと 思いました。ハボンスは、魔法使いに会って、子どもをいきかえらせてくれるように たのもうと おもったのです。

 何日も何日も山の中を歩き回り、とうとう森の向こうに火がちろちろと 燃えているのを みつけました。洞穴には、魔法使いのおばあさんがいました。ハボンスは、子どもを生き返らせてくれるよう頼みますが、魔法使いは、それはじぶんにもできないと いいました。すっかり 力を おとしたハボンスは、その場で死のうとしますが、かわいそうにおもった魔法使いからいわれ、その日は魔法使いのところへ泊りました。

 つぎの朝、ハボンスは、吹くと 望みのものがあらわれるというシャボン玉を 手に入れます。銀の鉢で、むくろじの実を 鉢にとかしてできるシャボン玉でした。しかし、このシャボン玉は、むくろじの実がなくなると、じぶんのからだも、あわになってきえてしまうというのでした。

 ハボンスは、むくろじの実があるかぎり、たくさんの人々をよろこばせてやろうと、都のあちこちで、見物人の「すずめ」「花」などの要望のものをだして、大喝采をあびます。

 そのうち、むくろじの しるが なくなってきました。ハボンスが、おおきなシャボン玉をプーッとふきあげ、「わしの子に なあれ。わしの子に なあれ」というと、ハボンスの子が、うれしそうな顔で、そらに のぼってゆきました。ハボンスは、広場でシャボン玉を あげ、あつまったお金を 貧しい人々に わけてやりました。

 評判は、お城にもとどき 王さまから「おまえに、ずっと この城に いてもらいだが・・」といわれますが、ハボンスは、あしたかぎり・・といい、あした広場に おいでくださいといいました。

 つぎの日、広場に集まった人々の前で、鳳凰と龍を出現させると、鳳凰と龍は、からみあうようにして、そらに のぼってゆきました。それから、シャボン玉の うちどめです。

 ハボンスは、子どもの姿のシャボン玉を だすと もうひとつ おおきなシャボン玉が あらわれました。人々が気がつくと、ハボンスの姿は見えませんでした。

 

 子を思う親の気持ちがあふれた紙芝居。
 しかしいつみても、手品には驚かされます。タネを あかされると、なるほどとなりますが・・。 


クラクフのりゅう

2024年08月14日 | 絵本(昔話・外国)

    クラクフのりゅう/アンヴィル奈宝子/偕成社/2020年

 

 ポーランドの昔話の再話で、昔ポーランドの首都だったクラクフにある、ヴァヴェル城にまつわるお話。


 このお城の地下に、いつのころからか住むようになった青いりゅうは、どんどんどんどん大きくなって人や家畜をパクパク食べてしまい、ひとびとから怖れられていました。
 困った王さまは、「恐ろしいりゅうを退治したものは、王女と結婚できる」というおふれをだしました。
 強そうな男達百人が退治にでかけますが、あまりの恐ろしさに逃げ出す始末。ようすをみていたお城に住むかしこい靴職人のドゥラテフカが、りゅうの退治にのりだします。

 昔話の「おふれ」は、本人の意向をとわず、結婚できるというのが多いのですが、ちゃんと王女の進言という形で、本人の意思を尊重しています。また、ドゥラテフカは、リサイクルした にせもののヒツジのおなかに硫黄をしこんで退治しますが、この硫黄は、着火剤(マッチの先端)としてつかわれていたのではないかと、リアリティもあります。

 さらに、ドゥラテフカは、王さまになっても、おおぜいの家来のために、りゅうの皮で靴づくりをする とっても働き者の 王さまで たんに「しあわせにくらしました」となっていないのも味のあるおわりかたです。

 悪役のりゅうが、とてもかわいらしく(とくに、目がチャーミング)えがかれているので、憎めません。またお城などの俯瞰図も目をひきます。


芋虫のハーマン その① アメリカのキャンプ話

2024年08月13日 | 昔話あれこれ

   三分間で語れるお話/地球をぐるっと77編/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳 出久根育・画/編書房/2005年

 

お話し会で先輩の方が話してくれた楽しいお話。

両手を後ろに回して、前に出てくるたびに大きさが変わります。

これぐらいの大きさが、これぐらいの大きさになって・・。

「兄ちゃんを食っちまったんだ」

「姉ちゃんを食っちまったんだ」

「父ちゃんを食っちまったんだ」

「母ちゃんも食っちまったんだ」

なんてひどいことをしたんだ! と いわれると 答えは

「だって!おいらは芋虫だもの」

どうなる? 

はじめの おおきさの両手で

「家族みんなでおいらの腹ん中で暴れて 暴れて、どんどん暴れて・・ おいらやっちまったんだ、ゲップって」


アナトールパリの空をとぶ

2024年08月12日 | 絵本(外国)

   アナトール パリの空をとぶ/イブ・タイタス・作 ポール・ガルドン・絵 石津 ちひろ・訳/好学社/2024年

 今年の六月の出版ですが、パリオリンピックを意識したのでしょうか。ただ、原書は1961年で、カラーは ねずみ(衣装をふくめ)と凧。それ以外はモノクロ。

 「パリの空をとぶ」とあるので、あちこちの名所が出てくるかと期待したのですが、エッフェル塔だけ。

 ねずみのアナトールが拾ってきた凧を直して絵を描いていたら、ライオンのうなり声のような風で、上へ上へ とんでいきました。
 凧には、五人のこどもたち、妻のドーセット、友人のガストン。子どもたちが泣きはじめ、アナトールもドーセットも、パパといれば安心といいますが、内心は、きつい風や、はげしい雨におそわれるか、心配です。

 ガストンから、「すぐれた直観力と アイディアで、これまでもみごとに切りぬけてきたんだから、今回もうまくいくさ」といわれ、アナトールは、とんでいく鳥たちに注目します。

 子どもたちが持っている菓子で、タロウタドリのボナパルト(ナポレオン?)に ひっぱてもらうことに成功。しかし、ボナパルトは、エッフェル塔までくると、凧を 塔のてっぺんに ほうりだしてしまいます。妻から声をかけられ、アナトールは大胆なことを思いつきました。パラシュートをつくったのです。

 ねずみたちは、エッフェル塔のレストランの そばを通って、下りていきました。うすぐらいから誰も気づかれないと思っていたら、ニンゲンのおじさんにみつかり、「火星人よ、火星にもどれーフランスは フランス人のものだ!」とさけばれてしまいます。「なに いってるの!」と、おじさんの妻。「ただの ねずみたちじゃない!」。大騒ぎになったレストランから地上にちかづいて、冒険もおわりと思ったら、オオカミのような風に おそわれ・・。

 アナトールは、妻からたよりにされ、子どもたちに自慢されるーかしこい、かっこいい、ゆうかん!!-なねずみでした。

 青、白、赤のフランス国旗の三色が効果的。


三つの金曜日・・トルコ

2024年08月11日 | 昔話(中近東)

    天からふってきたお金/アリス・ケルジー・文 岡村和子・訳/岩波書店/1964年

 楽しいトルコのホジャ話。

 金曜日はマホメット教徒が寺院にお祈りに行く日。ホジャは、ずっとむかし僧院でべんきょうしたことがあったので、金曜日になると、きまった時間に説教壇にのって、アラーの神さまの話をしなければなりませんでした。

 しかし、いくら、ホジャでも いつもいつも話すことがあるわけではありません。

 一回目は、「みなさんには、わたしが、これからなにを話そうとしているか、おわかりかな?」と、問います。本人が何を話そうかわかっていないわけで、ほかの人にはわかるはずがありません。そこでホジャ、「ほんとうにわからんですな? では、こんな大切な話を、なんにもわからんあなたがたに、はなしたところで、なんにもならない。むだというものだ。」と、説教壇をおります。

 しかし苦手な金曜日は、すぐにやってきます。このときも、「わたしが、これから、どんな話をするか、みなさんにはおわかりかな?」と問います。この前のことがあったので、みんなは、「はい、わかります。」と、こたえました。すると。ホジャは、「なに、みなさんには、わたしがいおうとしていることが、わかっておられる?」と、不愉快な表情を浮かべ、「それじゃ、わたしが話をするまでもない」と、さっさと説教壇をおりてしまいます。

 つぎの金曜日も、「わたしが、なんの話をするか、みなさんにはおわかりかな?」と問い、この前の金曜日のことをかんがえていた人たちが「わかりません」、この前の前の金曜日のことをかんがえていた人たちは「わかります」と、こたえると、ホジャはこたえます。

 「わかっている人と、わかっていない人がおるようだ。では、わからない人は、わかっている人からきいてください。」というと、鼻歌を歌いながら、説教壇をおりていきました。

 

 ホジャさん、つぎの金曜日は、どうしたことやら!。


森の歌が聞こえる

2024年08月10日 | 田島征三

   森の歌が聞こえる/田島征三・作絵 L・インシシュンマイ・オブジェ/偕成社/2024年

 

 森の中の小さな村には、ときどき、どこからか風にのって、うつくしい歌がきこえてきた。その歌声をきくと、村人たちは、しあわせな気持ちになるのだった。その森にはピーという精霊たちがすんでいて、村人たちはピーをおそれ、うやまっていた。

 その村にノイという少年が、病気の母のために、毎日、森に薬草をとりにいき、食べられる草や木の芽をあつめ、弓矢で小さな動物をとってくらしていた。

 ある日、村に見知らぬ男があらわれ、お金や、めずらしい食べ物を村人たちにく、ばって村のまわりの木を全部切り倒し、(金もうけの木)をうえるんだと、大きな声でよばわった。ノイは反対しますが、つつましくくらしてきた村人たちは、お金や食べ物に心をうばわれ、男の命令にしたがった。

 男があらたにうえさせた木は、あっというまに大きくなり、その木をうりはらっては、おなじ木を植えさせました。精霊のピーはいなくなり、いつのまにか、あたりには動物たちもいなくなり、これまで食べていた草や木の芽もとれなくなりました。ノイは母のための薬草をさがしに、いつもよりずっと遠くまでいかなければならなくなりました。ある日ノイは、深い森のおくで、歌をうたいながら織物をおっているうつくしい女を目にしました。そして、その織物のすばらしさに目がくらみ、思わずそれを盗み岩山のほらあなに、しまっておきました。

 村には、うつくしい歌声が聞こえなくなり、村人との間では、いいあらそいがたえなくなりました。やがてノイの母親が亡くなり、人のものを盗んだからと、織物をかえそうとしました。ピーたちの怒りは、大雨と嵐になって、一晩中吹き荒れ、洪水が村を襲いました。そして岩山に織物をとりにいこうとしたノイも、激しい流れの中にまきこまれてしまいました。波にのまれながら、必死に泳いでいたノイは、舟にのっていた少女を助けました。

 ノイのおかげで元気になって少女は、ポンパイという名前でした。やがてノイは、ポンパイの協力を得て森をよみがえらさせるために木を植えていきました。朝早くから夜遅くまで。二人の努力は村人たちの心をうごかし、やがてすこしずつ、森には昔のように草木が茂るようになり、動物たちもかえってきました。

 大人になったノイは、ポンペオに結婚を申し込もうと、岩山にのぼって、あの織物をもちかえり、ポンペイに着せかけた。しかし、ポンペイは、悲しそうにいいました。・・・

 

 絵本で、オブジェというのをはじめてききましたが、このオブジェは、ラオスのルートマニー・インシシェンマイさん。森の動物たちのオブジェの発想に、まだまだしらないことばかりというのを実感しました。

 

 森の生態系の破壊や、うつくしいものに目を奪われ、盗んでしまう人間の弱さ、築き上げたはずの信頼関係が、あっというまにくずれていくようすなどが見事にえがきだされていました。

 それにしても、田島さんの活動の幅広さに頭が下がります。


ぼくの あかいボール

2024年08月09日 | 絵本(外国)

   ぼくの あかい ボール/イブ・スバング・オルセン ひしきあきら子・訳/BL出版/2017年

 

 作者は、1972年国際アンデルセン賞画家賞を受賞したデンマークの絵本作家オルセン。

 いつも一緒に遊んでいた赤いボール。ある日、ボールは いやになったのか ころころ転がって逃げ出しました。
 
 ボールはバスのなかへ、公園に、パン屋、道路、交差点、八百屋、ニワトリ小屋、家、お城の中へ。行く先々で大騒動。そのたびに けられて また別の場所へ。

 八百屋の野菜を ぐちゃぐちゃにし、ミックスサラダをつくります。ニワトリ小屋では、にわとりがびっくりして はんじゅくたまごを うみおとします。
 
 公園の中では、掃除中のおじさんや8人の子どもに つぎつぎあたり、パン屋さんでは、こなも砂糖もぐっちゃぐっちゃ。つぎは なにがおこるか ?

 街や人の様子が丁寧に描かれています。コペンハーゲンの街並みでしょうか。


くらーいくらーい家・・・アメリカ

2024年08月08日 | 昔話あれこれ

   五分間で語れるお話/もっときかせて!短いお話48編/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2009年

 

手や指を使って、ゆっくりと話る話。

くらーいくらーい家がありました。

そのくらーいくらい家の中に

くらーいくらい部屋がありました

そのくらーいくらい部屋の中に、くらーいくらい戸棚がありました

そのくらーいくらい戸棚の中に

くらーいくらい箱がありました

そのくらーいくらい箱の中に・・・

箱の中に入っていたのは?

 

(このあとは 自由に・・と)

小さい子に いろいろ 想像してもらう楽しみが ありそうです。


屁ふりじっこ・・青森

2024年08月07日 | 昔話(北海道・東北)

   青森のむかし話/青森県小学校国語研究会・青森児童文学研究会/日本標準/1975年

 「鳥のみじい」に 似たような話。

 燃やす木がなくなったので、じっこが となりのももの木をきっていると、「だれだ おら家のももの木 きっているのあ」と、となりのおどさまがいうたど。

 「まめの、まめの、屁ふりじっこ」とじっこが、こたえると、「そんだら、屁ふってみせろ」と、おどさま。そこでじっこ、着物をしりまくりして、「にしきさらさら、ごようのまつ、ぴりん、ぐわりん、どん!!」って 屁ふると、おどさまびっくりして、「なんぼ、じょうずな屁だ。もう一回、ふって見せろ。」と、いう。もういちど、屁ふってみせると、となりのおどさま、感心して、「ほうびにいいものやる。重たいのがいいか軽いのがいいか。」というので、じっこは、「わしは としよりだで、軽いかごでいい」と、軽いかごをもらって、家であけてみると、あたらしい赤い着物が四枚。お盆に一枚、正月に一枚着るべと、ばばと話していた。

 赤い着物に目をつけたとなりのとなりの欲たがればさまが、欲たれじっこを、ももの木を切りにやった。となりのおどさまから、屁ふってみせろといわれ、「にしきさらさら、ごようのまつ、ぴりん、がりん、スー!!」と、屁ふると、おどさま「かわった音の屁だな。よし、ほうびに重いかごと軽いかごの、どっちがいい?」という。重いかごをもらって家に帰ると、ばさまが、はだかでいたど。ばさまは、いい着物もらってくるべと、着ていたもの、みんな焼いてしまっていたど。
 

 欲たれじっこが、かごのふたを取ってみると、中に、へびだの、むかでだの、かまきりだの、かえるがはいっていたど。ばさまは、着るものがなくて、かぜひいてしまったど。


どのようにしてグルジア人は土地を得たか・・グルジア

2024年08月06日 | 昔話(ヨーロッパ)

   五分間で語れるお話/もっときかせて!短いお話48編/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2009年

 

 この世を創ると、神さまは、すべての人々に土地を分け与えました。ブルガリア人がやってきて、トルコ人もやってきました。

 さて、グルジア人はあちらこちらぶらついていましたが、何ともうつくしい土地にやってきました。みんなはイチジクの木の下に腰を下ろし、果物を積み、パンを取り出し、ワインのビンをあけ、大宴会を開きました。みんなは乾杯を唱え、ワインを飲みました。とにかく飲みすぎて、葉の茂った木の下でぐっすり寝込んでしまいました。目を覚ますと、あたりはくらくなっていました。

 「やや、なんと、今日は神さまのところへ土地をもらいに行く日じゃないか? それいそげ!」

 神さまは、仕事を終えてひきあげるところでしたが、グルジア人は楽しく暮らすにはどうしたらいいかを知っていましたから、遅れてきたのをとがめませんでした。グルジア人が、神さまのために乾杯していて、その間に、時間がたってしまったというと、神さまはよろこんで、神さまをやめてときのためにとっておいた特別の土地をグルジア人に与え、自分は空の上にいってすむことにしました。

 そこでグルジア人は、神さまの土地をもらい、今に至るまでそこにすんでいるのです。

 

 グルジアは、神に愛されている美しい国ということでしょうか。お国自慢?


そばにいるよ

2024年08月05日 | 絵本(外国)

   そばにいるよ/スムリテイ・ホールズ・文 スティーブ・スモール・絵 青山 南・訳/化学同人/2021年

 

大きな大きなクマと 小さい小さいリス

ふたりは とってもなかよし いつもそばに

きげんがわるくても、ばかみたいなときも、ちょうしのいいときも

さやのなかの豆 みたいに ぴったり

イチゴとクリーム みたいに ぴったりあっている ぼくと きみ

でも なんだか きゅうくつ

リスは くまに バイバイして ひとりに

しずかで きれいで ひろくて おちつける

なにをするにも ひとりで きめていい

わけっこ しなくて いいし かんぺきだ・・ただ・・

 

はじめは、クマの視点から

そのあとは、リスの視点から

ふたりは はなれっこない こころで つながっているから

きみがどこへ いこうと おいかける

ぼくたちは チームだ・・。

 

友情を育むのは、場合によっては距離を おくこともあってもいいのかな!。


ビアトリクス・ポターのおはなし

2024年08月04日 | 絵本(外国)

   ビアトリクス・ポターのおはなし/絵と文・ジャネット・ウインター 訳・長田弘/晶文社/2006年

 

 「ピーターラビットのおはなし」の作者、ビアトリクス・ポッターの伝記絵本。ピータービットの世界を知らなくても、ひとりの女性の伝記、とりわけ自我形成期が興味深い。

 ビアトリクス・ポッター(1866~1943)は、ロンドン生まれ。父親は弁護士で、両親も自分の用事が忙しく、ポッターの世話は、乳母のハモンドにまかせきり。しかし六歳のとき、弟のバートラムがうまれると、乳母のハーモンドさんは、弟にかかりきり。遊びは小鳥たち。ネズミを捕まえて飼いならしました(ネズミを飼いならせるんだと驚き!)。

 両親はわるい子と遊んで悪い影響を受けるのが嫌がって、人間の友だちはだめでした。ポターは、風邪はひく、頭はがんがんする、というのはしょっちゅう。子どもにとって楽しみなクリスマスも、ユニテリアン派だった親たちは、クリスマスの休日なんか気にもしなかったのです。

 夏のおわり、避暑にでかけたポターは、うさぎを一ぴき、街の家に連れ帰るのをゆるしてくれました。また、父がときどきつれていってくれた美術館の絵が こころにやきつきました。

 ポターの友だちは、うさぎのピーター、いえねずみのハンカ・マンカ、ハリネズミのティギー・ウィンクル。

 弟が遠くの寄宿学校にはいると、家庭教師のアニー・カターさんがポターの家庭教師になりました。じぶんだけの暗号で日記をつけ、顕微鏡を見て、ちいさないきものに驚き、絵にしなくちゃと思いました。ところがいい絵がなかなか描けず、親がつけてくれた先生のいう絵もうけいれられず、レッスンがおわると、じぶんで楽しんで絵が描けるようになったポター。

 やがて、家庭教師のアニーさんの子どものノエルが病気だったとき、ポターは、ピーターという名の一ぴきのうさぎのおはなしを手紙に書いて、ノエルにおくりました。・・・。

 

 女性が自由な生き方を制限された社会で、いきものに興味を持ち、それを描いていったビアトリクス・ポター。最初の絵本までは、心を許せる人間がいなかったようにみえますが、成功をおさめたあとは?。


ヒキガエル・・アメリカ

2024年08月03日 | 昔話(北アメリカ)

   五分間で語れるお話/もっときかせて!短いお話48編/マーガレット・リード・マクドナルド・著 佐藤涼子・訳/編書房/2009年

 

 チャーリーは、なかなか抜け目のない若者、弟のパッドはやさしく人のよい若者でしたが口がきけませんでした。

 兄弟の近くに三人の娘がすんでいましたが、娘たちは池で泳ぐのが大好きでした。ある日チャーリーがやぶに隠れて三人をのぞいていて、この娘たちが、森の奥にある洞穴に父親がお金を隠していると話しているのを耳にしました。

 チャーリーはすぐさまパッドをさそって森の奥にいき、洞穴を見つけると、あちこちを掘って、掘りまくり、しっかり包まれた鍋を見つけました。中には金貨がいっぱい。チャーリーは、おそらくスペインの金貨で、家に持って帰ろうと、いいますが、パッドは、金貨を指で触ってみて古い金貨ではないことがわかりました。パッドは、この金貨はだれかのものに違いないから、持ち帰ってはいけないと思いました。しかしチャーリーは、金貨が欲しくてたまりません。そこで、チャーリーは重い鍋をもちあげ、パッドを殴ろうとしました。

 そのとき甲高い声がして、チャーリーがあたりを見回すと、小さなしわくちゃのおじいさんが、座ってパイプをふかしていました。おじいさんは、「わしはこのあたり一帯の王じゃ。この洞穴にすんでおるんじゃ」といい、「女の子たちが泳いでいるのを、こっそりのぞいているようなやつは、わしは嫌いじゃ。金貨を盗んで、兄弟の頭を鍋でぶん殴ろうとするやつは、特に嫌いじゃ」といいました。チャーリーが、「お前なんか怖いもんか。おまえが王だなんて信じるもんか。ちびのヒキガエルみたいなくせに!」というと、チャーリーは、だんだんとヒキガエルの色にかわっていきました。

 小さなしわくちゃの王さまがパッドをみて、「なにか、いいたいことはあるかな?」というと、パッドは、口をききました。そして話しはじめました。とてもなめらかに。

 小さな王さまは、金貨を埋め戻すようにいい、誰かにこのことをはなしたら、二度と話をとめることができなくなるぞといいのこし、姿を消しました。パッドがついに口をきけるようになったので、家のみんなは、ひどく驚き、そのためチャーリーのことはすっかり忘れられてしまいました。

 何年もたち、パッドは結婚し、子どもや孫に恵まれ、とても幸せな人生を送りましたが、死の間際、この話をすると、だれも年寄りの世迷いごとだろうとおもいました。けれど、パッドが死んだそのとたん、家の上手にある丘を流れている川が、ゴボゴボと大きな音をたてはじめたのです。旅人はこの川を”しゃべる川”とよびます。流れの音が、大きな声で話しているように聞こえるからです。けれど土地の人々は、”パッドの川”とよんでいます。そして、パッドは川に姿を変えて、いつまでもおしゃべりをしているのだと思っているのです。

 

 由来話ですが、展開からは想像できない結末。チャーリーが、誰からも気にされない存在というのも、悲しい。


下北むがしっこ・・青森

2024年08月02日 | 昔話(北海道・東北)

    青森のむかし話/青森県小学校国語研究会・青森児童文学研究会/日本標準/1975年

 

 短い話二つ。

 ・下北の下風呂に、ひとりの親孝行なおなごわらしがいだっと。あるとき、チョウがクモの巣に羽をくっつけていたとこ、助けてやったど。すると二、三日たったある朝、大きなチョウが、おなごわらしっこの上から、「ビガラ、ジャガラ、ビガラ、ジャガラ」って、ひかったものば落としたと。見たらば大判、小判だったそうだ。
 それで、おっちゃのケガも直して 幸せに暮らしたと。

・恐山に、おっかねえ鬼がいて、毎日、一ぴきずつ、生き物を食うていた。たぬきが食われる番になって、たぬき、鬼の前に出て、「われのおどりっこば、見てください」と、腹をたたいて、「ポンポコリン、ポンポコリン、ポンポコリンのポン」と、おどった。たぬきのおどりが、あんまりおもしろくて、自分の腹を、「ポンポコリン、ポンポコリン、ポンポコリンのポン」とたたいて、おどりながら山の奥へ いってしまったそうだ。

 

 再話するともっと長くなりそうだが、昔話の原型は、こんなものにちがいない。