どんぴんからりん

昔話、絵本、創作は主に短編の内容を紹介しています。やればやるほど森に迷い込む感じです。(2012.10から)

山のペイッコと牛飼いのむすめ

2024年12月19日 | 創作(外国)

   夏のサンタクロース/フィンランドのお話集/アンニ・スヴァン・作 ルドルフ・コイヴ・絵 古市真由美・訳/岩波少年文庫/2023年

 

 山のペイッコは、魔法使いで、もじゃもじゃのひげ、小さな目は赤みをおび、夜になると谷の奥からでてきて、小鳥や花の命をうばうのです。そして牛飼いのむすめのことが大好き。

 ペイッコは、おめかして、むすめの前にすがたをあらわすと、自分の城にさそいます。そして、「きれいな部屋を十部屋と、ごうかなドレスを五十着、それにパンケーキを食べたいだけいくらでも、あげるよ」といいました。

 牛飼いのむすめは首を横にふりこたえます。「部屋が十もあったてどうするの? わたしには、こんあにひろびろした広間が、ここにあるのよ。皇帝陛下だってこれより大きな部屋は持っていないわ。空が天井で、緑の草地と赤いヒースのしげみが床で、そびえる木々が壁なんだから。それからごうかなドレスなんて、欲しいと思ったことは一度もないし、パンケーキはたしかに悪くはないけれど、森で野イチゴがどっさりとれるし、かあさんがピーマ(牛乳を発酵させた、ヨーグルトのような、ちょっとすっぱい飲みもの)とパンをくれるもの」

 ペイッコがほっぺたを黄色くして、「宝石をぎっしりつめた大きな箱を、いくつもあげるよ」といわれても、「石なら海辺ですきなだけひろえるもの、あんたの石なんていらないわよ」。

 緑色の顔で、「すわって、のらくらしていいんだよ。もう牛飼いなんてしなくていいんだ」といわれると、「そんなのずいぶんつまらじゃない。ばかなことをいわないでよ。牛にえさをやれなくなるなんて! もうあっちへいって。いやなペイッコね。」。

 ペイッコが怒りだし、「いっしょにこないなら、おまえの牛をみな殺しにしてやるぞ。おまえのかあさんがいる小屋に火をつけて、弟たちはカエルに変えてやる。」と呪文をとなえると、牛たちが悲しげな鳴き声をあげ、地面にたおれ、すがるようなまなざしでむすめをみました。

 むすめが悲鳴をあげ、いっしょにいくことにすると、そこは、なんときらびやかな城。ガラスの部屋、陶器の部屋、宝石の部屋などがあって、天井が金、壁は銀でできていました。むすめは驚き、感心しましたが、「宝石や金はあっても。ここには木が一本も生えていないし、小鳥もいないのね」。

 さらに、木やきれいな小鳥がいるほらあなにつれられていきますが、その鳥は、ペイッコが殺した小鳥に金メッキをほどこして色をぬり、木にのせただけでした。

 ペイッコがオナガザルに踊りをさせますが、牛飼いのむすめはなきじゃくるばかり。ペイッコは、むすめを、日の光にもてらされず、月の光もさしこまない金の壁の大きな部屋にとじこめてしまいました。むすめが大つぶの金のなみだをゆかにこぼすと、壁にかすかなひびわれができて、そこからかしこそうなトカゲがあらわれました。トカゲは、いつもむすめからやさしくしてくれたむすめに、ペイッコがねむっているすきに、もっている魔法の杖を、まくらもとからぬきとって、部屋の扉をたたくようにいいます。この魔法の杖は、さわったら金に変えられてしまう杖でしたが、金なんかに心をうばわれない人間なら、さわっても平気な杖でした。

 牛飼いのむすめは、杖で扉をたたき、ペイッコのもとから逃げ出しました。

 

 でだしに、森の中の楽しそうな場面が続いています。ドレスや宝石、きらびやかな部屋などに見向きもしないむすめは、人工的なものより、自然の恵みを大事にしていました。

  ペイッコは、ほかの北欧ではトロルとされているもの。


はらぺこのライオン

2024年12月18日 | 絵本(外国)

   はらぺこのライオン/ルーシー・ルース・カミンズ:作絵 石津ちひろ・訳/徳間書店/2024年

 

むかしむかし、あるところに、はらぺこのライオンと、
ペンギン、カメ、ミケネコ、ネズミ、耳のたれたウサギに、ふつうのウサギ、カエル、コウモリ、コブタにオオブタ、もこもこのヒツジ、コアラ、そしてメンドリがいたんだって。

次のページをあけると、同じ文章

いや いや よく数えてみると 動物が八ひきになっています。

次のページも 同じ文章

いや いや よく数えてみると四ひきに へっています。

次のページでは ライオンとカメだけ。

お腹をすかしたライオンが、食べてしまった?

真っ黒なページを あけると
みんないました いました
動物たちは、ライオンの誕生日を祝うために、大きな四段重ねのバタークリームケーキを準備してくれていたのです。

次のページも 真っ暗

おなかをすかしたライオンの おなかは いっぱい。

でも、ケーキは まるまる のこっていますが 動物たちの 姿は見えません。
ということは?

そこへやってきたのは はらぺこの ティラノサウルス!

ライオンは どこ いった?

のこったケーキは どうなった?。

 

自由な想像を どうぞ!ということ?


十三塚・・茨城

2024年12月17日 | 昔話(関東)

      茨城のむかし話/茨城民俗学会編/日本標準/1975年

 

 ずっとむかし、筑波の裏山にさびしい村があって、そこにごんべえどんが、一人で住んでいた。ぼんべいどんは、ひとりぐらしでさびしかったのか、動物が大好きで、とくにいっぴきのネコをかわいがっていた。畑仕事がおわって家に帰ると、ネコに話しかけるのが楽しみだった。

 ある日、ごんべいどんは、きゅうにさがしものをおもいだして、めったにあがったことのない物置にあがったが、いきなりネコがでてきて、ごんべいどんの足に絡みついた。ネコはごんべいどんがあがろうとするたびに、足に絡みついたので、ごんべいどんは、物置にいくことはやめにした。その晩、便所に行こうとしたら、また、ネコが出てきて、あとになったりしてついてきた。用をすませて、寝床にもどったら、ネコは安心したようにねてしまった。

 どこへ出かけるにも、ネコがついてくるので、ネコをよんできいてみると、物置にはでっかいネズミがいて、おじいさんを食おうとしていたという。はじめてネコの心がわかったおじいさんに、「ひとりだけでは、この大ネズミをやっつけることはできねえ。」という。ちょうどいいことには、なかまのネズミが十一ぴきいるので、みんなにたのんでネズミを退治して見せるという。

 ごんべいどんは、たいそう喜んで、とっておきの米で、赤飯をたいて、ごちそうし、ネコの好きなかつおぶしもいっぱいふるまった。せいぞろいしたネコは物置にいったようで、「ギャー、ギャゴーッ」「チ、チュー、キッ、キュー・・」「ガウ、ギャオー」と、ものすごい叫び声が聞こえてきた。ものの一時間ほどもたったころ、ごんべいどんが、物置にいってみると、大ネズミも、十二ひきのネコたちも、みんな血だらけになって死んでいた。

 ごんべいどんは、死んでしまったら、敵も味方もない。いくら動物たちでも、命はとうといもんだと、ネコやネズミの墓を作ってやった。

 いつのころからか、村の人たちは、この墓を十三塚とよぶようになったんだと。


おそうじ おそうじ おそうじ

2024年12月16日 | 紙芝居

   おそうじ おそうじ おそうじ/脚本・すとうあさえ 絵・くすはら順子/童心社/2020年(8場面)

 

 この時期の紙芝居。

 保育園の大掃除をして正月を迎える準備。

 みんなでやれば掃除もあっというま。

 自分のロッカーも掃除していたら、でてくる でてくる なくしたビー玉、運動会のメダル、どんぐり、縞々模様の石。わかる わかる。

 鏡餅をかざって、新年の準備。

 お正月になったら、お正月の神さまが、みんなをお出迎え。


お父さんの遺言・・ウズベキスタン

2024年12月15日 | 昔話(アジア)

   ウズベクのむかしばなし/シェルゾッド・ザヒドフ・編訳 落合かこ ほか訳/新読書社/2000年

 

 余命がないことを悟った一人の男が、三人の息子に、死んだら三日の間、墓でねずのばんができるか たずねました。上の二人は、できないとこたえますが、末の息子は、父親の墓にいき、見張りをはじめました。

 一日目の真夜中、彼の目の前にみごとな鎧と甲を背中につんだ白馬があらわれました。白馬は父親のもので、主のお墓におまいりにきたのです。そして、自分のたてがみの毛を何本か引き抜いて、助けが必要だったら、焼くようにいいました。

 二日目の夜、こんどは黒い馬があらわれ、おなじように、たてがみの毛を何本か抜いて、助けが必要な時、焼くように言いました。

 三日目は、赤茶色の馬があらわれ、四日以降は、もうなにもあらわれませんでした。

 三人兄弟は、牧童としてやとわれましたが、二人の兄が、家畜の群れからいっぴきをぬすんで、かくれて売り飛ばしたので、村からおいだされてしまいました。

 あるとき、兄たちが町へ出かけると、王さまが、「馬かラクダか、またはロバで、あずまやの階段をのぼり、そこに座っている王女の持っているコップの水を飲み、王女の指輪をとることができたものには、王女と結婚させる」というおふれをみました。階段は四十段ありました。たくさんの若者や大人たちがやってみましたが、おおぜいの人がころげおち、おおけがをするばかりで、王女のところへたどりついたものは、ひとりもいませんでした。

 ここから先は、昔話のパターンです。ただ馬が三頭いますから、その出番があります。白馬は、あと二段のところまでで、そのさきにはいけませんでした。赤茶色の馬は、三十九段まで。黒い馬は、王女のところまでのぼり、若者は、王女から水のはいったコップを受け取り、それを飲み干すと、王女の手から、指輪を抜き取りました。

 王さまは、若者をほめたたえ、すぐに結婚式の準備をはじめるよう、大臣に命じました。

 兄さんたちは、若い騎手が弟と知ってびっくりしました。どこで馬を手に入れたかたずねられた末の息子は、父親の遺言どおり、墓で見張りをしていた三日の間に、つぎつぎとあらわれたことを話しました。兄さんたちは、かなしく後悔するばかりでした。

 結びは、「父親のいうことを聞かなかったものは、こうしたかなしい結果になるのです。」

 

 三人兄弟が出てきても、上の二人は、弟に対して悪さをしません。

 さらに、「墓を見守る」、それも一昼夜というのは、日本の昔話にはみられない。


クマのひとりじかん

2024年12月14日 | 絵本(外国)

   クマのひとりじかん/マルク・フェルカンプ&イェスカ・フェルステーヘン・作 野坂悦子・訳/化学同人/2024年

 

 クマのかなでるピアノは、聴く者をうっとりさせ、鳥たちも歌いません。
 弾き疲れて一休みしたいと思うクマでしたが、まわりのみんなは
 「もっと もっと、ピアノのくまさん!」
 「もっと もっと きかせて!」
 と、大合唱。
 「また こんどね、」と、クマが言っても
 「もっと もっと、ピアノのくまさん!」とせがんで、はしっても はしっても声がします。
 
 そのうち、クマはみんなのことが こわくなって 「グオーッ」と、じぶんでも びっくりするような声で ほえたてると、やっとしずかに なりました。
 
 ところが 一匹のシマウマが のこっていました。
 シマウマは、やさしく いいます。
 「あなたのピアノを きくと、うれしくなるわ」「こんどは あなたを よろこばせたい。わたし、本を よんであげたいの」
 いったんは、ひとりにしてほしいというクマでしたが、シマウマをよびとめます。
 

 ときには、ひとりになりたいと思う気持ち。それを ほかの人が理解できるでしょうか?。
 ただ、ひとりで 生きるのも むずかしい。いっしょにいても 互いに干渉しない関係があっても・・・。クマが、「ひとりと ひとりで いっしょに いよう」と、シマウマが 本を読んでいるそばに います。

 

 モノクロに、ところどころの赤、シマウマの縞模様が英字と、派手さを一切排除した印象的な絵です。


米福と糠福・・秋田

2024年12月13日 | 昔話(北海道・東北)

     秋田のむかし話/秋田県国語教育研究会編/日本標準/1974年

 

 姉の名前は米福、妹の糠福。妹はあとからきたお母さんの娘。
 あとからきたおかさんは、糠福ばかりかわいがり、米福をいじめてばかり。

 ある日、栗拾いに行くが、母親がわたしてくれた袋は、米福のほうは袋の底が抜けていて、いくらひろってもいっぱいにならない。糠福は袋がいっぱいになると、さっさと帰ってしまった。

 日が暮れかかって、米福が、しくしく泣いていると、なくなったおかさんがでてきて、家に帰ったら板の間に、ころばしてやれと、大きな栗をひとつぶ渡して、姿をけしてしまった。

 家に帰ると、あとのおかさんが、栗を拾ってきたかと大声をあげたので、米福は、だまって、おかさんからもらった栗を床板の上にころばしてやった。すると、栗は見る見るうちにふえて、台所一ぱいになった。

 そのあとも、米福はあとのおかさんから、いじめれていたが、ある日、だしぬけに、長者の家から、米福をよめにくれてけれと いってきた。

 おかさんは、「米福は、みにくいし、ぶしょうものだから、なんとか器量がよくて、働き者の糠福を、もらってくれ」と、長者に頼みにいくが、長者は、すなおな米福のほうを、もらいたいといったので、米福がよめに いってしまった。家に残った糠福は、「くやしい、くやしい」と、泣き騒いだとも、どうにもならない。「ああら、うらやましでゃ、うらつぶ。」といって、そばの池にはまって、とうとう、うらつぶ(たにし)になってしまった。

 

 長者は、米福を、気立ての良い、かわいいむすめっこだと、思っていたんだと。ちゃんと見ている人がいたんですね・・。


げんきをだしていこう! のおまじない

2024年12月12日 | 絵本(日本)

   げんきをだしていこう! のおまじない/西平あかね/大日本図書/2023年

 

 はずかしいとき
 すいとうのおちゃが こぼれて ふくが ぬれちゃったとき
 いやなきぶんのとき

 こんなとき とっときの おまじない

 ほっとけ、ほっとけ、ほっとけーきの ふとんが ふっとんだ~

 ダジャレだったり
 ホットケーキが ふとんがわりだったり
 吹っ飛んだとおもったボールが 凡フライだったり

 ユーモアたっぷり

 表紙の黄色は ホットケーキ?

 

 結果はともかく、げんきにおまじない!!!!!

 ネガよりポジ

 いくつかのおまじないを用意したら 元気百倍。


日曜日うまれの女の子

2024年12月11日 | 絵本(昔話・外国)

   日曜日うまれの女の子/中脇初枝・再話/さとう/ゆうすけ・絵/偕成社/2024年

 ドイツの昔話の再話。<女の子の昔話えほん>シリーズです。

 魔女から宝をあげるといわれ、上のふたりが、城にむかいます。とちゅうあらわれた”こびと”を、なぐろうとすると、こびとは、「ばかめ、ばかめ、どうせ わがみを ほろぼすだけさ」と叫びました。深い森をあるいていくと、やがて、目の前には まばゆくかがやく宝石の城。なかにはいると女の人(魔女)がいて、ふたりを 宝でいっぱいの部屋へ案内してくれました。ふたりはさっそく、宝をかきあつめ、もってきた袋につめこもうとしました。その時、女の人が両手をふたりのうえに かざすと、そのとたん、宝も城もきえ、もろじかとかえるに かえられてしまいます。

 下のふたりも城へでかけますが、上のふたりとおなじように、からすと おんどりに かえられてしまいました。

 夫婦には、もう一人、日曜日生まれの女の子がいました。ちいさかった女の子が何年かたって大きくなると、兄さんたちを助けようとでかけました。

 深い森で、こびとにあうと、女の子は、パンとベーコンを わけてやりました。こびとはよろこんでいいました。「にいさんたちは、魔女のところに いる。でも、おまえさんなら きっと にいさんたちを たすけだせるよ」。そして、魔女が動けなくなるという、銀の笛を わたしました。
 城の前で、どうぶつにかえられたお兄さんたちが 声をかけましたが、女の子には、そのことばが みんな わかりました。
 女の子が 宝石の城につくと、城はたちまちきえて ぼろぼろの小屋があるだけでした。女の子は 笛をふいて 魔女をうごけなくすると、こびとからいわれたように、魔女の指輪を ひきぬきました。すると、たちまち魔女は、ひきがえるに なってしまいました。
 魔法がとけると、兄さんたちは、もとのすがたにもどり、やはり魔女にすがたをかえられていた たくさんの人たちも、森のおくから とびだしてきました。さらに、魔法をかけられて こびとにされていた 王子にも あい、やがて・・・。

 

 昔話の主人公には、名前がないものがおおいのですが、そのたびに ”女の子”というのも、わずらわいい。もっとも、この絵本では、”日曜日うまれの女の子”が 多用されています。”日曜日生まれのこども”は、”幸運児”という意味でつかわれ、祝福をうけた存在とされているというのですが・・。


ハリネズミかあさんの ふゆじたく

2024年12月10日 | 絵本(外国)

   ハリネズミかあさんの ふゆじたく/エヴァ・ビロウ:作絵 佐伯愛子・訳/フレーベル館/2007年

 

 ハリネズミ夫婦には 元気な男の子が10ぴき。10ぴきもいたら名前もたいへん。ニッケ、ティッケ、ピッゲ、タッゲ、ヴィッケ、ムッケ、コッテ、クヌッテ、プッテ、ルンケントゥス。
 どの子もわんぱくざかりで、かあさんは 朝から晩まで おおいそがしで、やすむひまなんてありません。

 ハリネズミかあさんは、冬がくる前に、ぼうやたちの靴を揃えようと思い、ウサギさんに、ヘビのかわをもっていって、20足分を おねがいします。ところが、ウサギさんは、10足分しかできないと、すまなさそうにいいました。それでも、ぼうやたちが、二本足であるく練習ができると、キツツキに、10足分の靴に、木のくぎを打って 靴の形にしてくれるようたのみました。次の日、ハリネズミかあさんが 靴をとりにいくと、キツツキは、木のくぎが5足分しかなかったといいました。おもいなおして、カワウソに、あぶらをぬってくれるよう 頼むと、こんどは 靴が 5個になっていました。

 どうしようかと おおさわぎになりましたが、ハリネズミとうさんの、「とりあえず、いちど ねてから、また かんがえよう」の一言で、みんな おやすみです。

 絵は、背景がブルーになっているページが何枚かあり、その他は白、あとの彩色は、黒と橙色の三色。

 子どもたちの服、ベッドのかたち、布団の柄も違って こまかなところまで、配慮されています。

 靴が 減っていくので、どういう計算かとおもっていたら、足の数だと40で、最後の5個に納得。

 

 作者はスウェーデンの方。絵本の初版は、1948年のようで、年月をへても古さをかんじさせません、冬眠するので、靴なんかいらなかったという 鮮やかなオチ。でもハリネズミかあさん、子育てにいそがしすぎて、つぎの年も 同じように靴を用意してあげようとするのかも!。


なんだったっけ?

2024年12月09日 | 紙芝居
   なんだったっけ?/もなみなみこ:作・絵/教育画劇/2012年(8画面)
 
 
 お父さんが「このやさいなんだったけ?」と、聞き手に問いかけながら 進行します。
 でてくるのは、玉ねぎ、ピーマン、にんじん、ウインナー。
 
 「あれ、やさいがまだ残ってる。なんだったけ?」。ブロッコリーみたいですが、じつは ?
 
 なにしろ、お父さんの髪とひげ、おかあさんの髪は緑色、子どもの髪も緑です。
 
 台本には、やさいとうさん、やさいおかあさんとあるので、すぐにわかりますが、読むときは、登場人物を わざわざ読みませんからね。
 
 やさいおかあさんが、 やさいとうさんのきった野菜に、塩、こしょうをパッパ、ケチャップ ピュルンをいれて ナポリタンスパゲティの できあがり~です。
 
 ニンジン、ピーマンなどの切り口に びっくりぎょうてん。

金の魚・・ウズベキスタン

2024年12月08日 | 昔話(アジア)

   ウズベクのむかしばなし/シェルゾッド・ザヒドフ・編訳 落合かこ ほか訳/新読書社/2000年

 おじいさんの漁師が、海に網をうちひきあげてみると、金の魚がかかっていました。領主さまへ知らせたら、ほうびをくれるかもしれないと、おじいさんはでかけました。一方、若い息子は金の魚が網にかかって苦しそうなので、かわいそうになり魚を海にそっと逃がしてやりました。

 領主が兵隊をつれてやってきましたが、金の魚がいないことがわかると、おこりだし、息子の手足を縛って海に流してしまいました。哀れな父親は、息子が、目の前で波にさらわれているのをみて、いじわるな領主をうらんで、うらんで、うらみぬきました。

 若い漁師をのせた小舟は、とある島にながれつきました。ほとんどどうじに、若い漁師にそっくりな若者がでてきました。まるで双子のようでした。このふたりの友だちが島を歩いていると、家畜の番をしている老人にであいました。老人は、「この島をでて、二、三日舟でいくと、ある国がある。そこの王さまの一人娘が、生まれてから一度もしゃべらない。王さまはおふれをだし、お姫さまをなおしたものには、たくさんのほうびと、よめにとらせる。だが、もしなおでなかったら、そのものの首を切る。そういうわけで、失敗した若者の首が、もうゴロゴロと、庭にころがっているしまつだ」と話しました。

 ふたりは、ともかくしあわせをもとめてやってみようと、まず若者が、運試しをし、うまくいったら、褒美は、山分けにすると宮殿にでかけました。

 ゆうかんな若者は、お姫さまのところへのりこむと、ふかくおじぎをして言いました。「三人の兄弟が薪をきりに森へ出かけ、一番上の兄は、木を削り、まるで生きているような きれいな鳥をつくりました。二番目の兄は、森中を駆け回って、非常に珍しい鳥の羽をあつめて、それを木ぼりの鳥にかざりつけました。末っ子はきせきの泉を見つけてきて、きれいにすんだ水にその鳥をひたしてみました。すると鳥は、ほうんとうに命をもって、ひとこえ高く叫ぶと、とんでいってしまいました。とんでいった鳥が、だれのものか喧嘩になり、おわりそうにありません。そこで、こうしてお姫さまのところへまいり、どうしたらよいかうかがいにきたのです。」

 お姫さまは、ほほえみをうかべ若者を見つめましたが、指で自分の舌をさし、首を横にふり、ひとことも発しませんでした。若者は、かっときていいました。「おまえさんのために、死ぬなんて、こうなれやぶれかぶれだ。いっしょに死んでもらうぞ」。若者が剣を大上段にかぶると、びっくりしたお姫さまは、地面にころげおち、助けてと、叫ぼうとしました。すると、そのしゅんかん、しゅるしゅると、お姫さまの口から、真っ白いヘビがでてきたではありませんか。若者がすかさず、長くつのかかとでヘビの頭をふみつぶしてしまいました。お姫さまは、目に涙をうかべて、若者を見つめ、うでわをとって若者にわたし、おれいをいいました。「ありがとう、とてもうれしいわ。お城へいって、父からほうびをもらってください」

 この若者は、金の魚でした。逃がしてくれたお礼に、舟が沈まないよう仲間の魚に声をかけ、自分は人間に変身したのでした。若者は、若い漁師がじぶんのかわりに褒美をもらうようはなし、自分は海へとびこんでいってしまいました。

 やがて、若い漁師が領主のところへいくと、さいしょの約束とはちがって、門は閉じてなかへはいれません。それでも、お姫さものうったえで、ふたりは結婚しましたが、領主はどうやっても自分の婿がすきになれず、どうやっておむこさんをおっぱろうかと、かんがえていました。若い漁師は、自由に息もできない城をでて、ふるさとへかえりたいと、お姫さまに相談すると、お姫さまは、あっさりと、同意します。しかし海をわたる方法がみつかりません。そこで若い漁師のむすこは、海辺にいって金の魚と相談すると、金の魚は、夜にむかえをよこすから、その魚の口にはいりこんで、家にかえるよういいました。むかえの魚というのはクジラでした。クジラは口をしめて海の中へもぐり、朝になると生まれ故郷についていました。

 小さな家のそばには、父の漁師がすわっており、三人はなかよく暮らすことになりました。

 

 ウズベキスタンは人口三千万、六つの独立したトルコ系の国家のひとつ。ウズベク人(総人口の八割強)ほか、タジク人、ロシア人、カザフ人、タタール人などの少数民族から構成されているという。

 主にウズベク語が話されているが、共通語としてロシア語使われている。ウズベク人の多くはイスラム教スンナ派というが、戒律などは緩いようである。


「けものたちのないしょ話」ほか

2024年12月07日 | 昔話(日本・外国)

 世界に共通している動物たちの話を聞いて幸運をつかみとる話


けものたちのないしょ話(中国民話選/君島久子訳編/岩波少年文庫/2001年初版)

 オオカミ,ヒョウ、小鹿が大王のトラに報告する話を聞いた正直な男が、領主の奥方の病気をなおし、水の出ない土地に水をもたらし、宝物を手に入れます。

 
聞耳頭巾(日本昔話百選/稲田浩二・稲田和子編著/三省堂/2003年改訂新版)

 鳥や木の話声を聞くことができる頭巾をかぶった貧乏で正直なじいさまが、からす、松の木の話を聞いて、庄屋の旦那の病気をなおし、別の庄屋のお嬢さんの病気をなおします。


ドシュマンとドウースト(子どもに語る中国アジアの昔話2/松岡享子訳/こぐま社/1997年初版)

 正直で親切、貧しい人にはおしみなくほどこすというドウーストが、トラ、オオカミ、キツネの話を聞いた金貨を手に入れ、王女の病気をなおして結婚し、さらに一年中美しい花が咲き、うまいくだものが豊かに実る場所を手にいれます。


ひんまがりとまっすぐ(シルクロードの民話3 ウズベク/小澤俊夫編 池田香代子・浅岡泰子訳/ぎょうい/2000年初版)

 ウズベキスタンの昔話。

 いずれも、自力ではなく、動物たちの力をかりて何かをつかみとります。正直で親切な者には、どこかで救いの手があらわれます。

 

・きき耳(岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年)

 「ねずみ浄土」と「聞き耳頭巾」をあわせた話でしょうか。

 ある日のこと、貧乏な若者が、1ぴきのネズミを助けた。
 この若者がネズミにつれられていったのは、りっぱなとこで、いままでたべたこともねえ、りっぱなごっつあんをごちそうになり、かえりぎわ、けもののなき声をきき分ける箱をもらった。夢かと思ったが、手に美しい箱があった。

 クワの木の上で、二羽のカラスがなんだかいっているようなので、箱を耳にあてがってきいてみた。
 カラスがいうことには、「この国の千万長者の娘がわけのわからない病気にかかっていて、医者という医者にみせても、すこしもよくならないのは、新しく建てた部屋の下に、大きなヘビとガマガエルが、にらみあっているので、なおらない」という。

 若者はすぐ長者の家にいき、あまりにも貧乏くさくて相手にされなかったが、生きるか死ぬかのせとぎわだからと、座敷にとおされ、念仏をとなえて、床下からヘビとガマガエルをひっぱりだして、川にはなしてやると、今までねていたお姫さまが、すぐに、あくびして、むっくりおきあがった。

 このあと、若者は、長者の娘の婿になって、しあわせにくらしたという。

 

 ネズミが 何から助けられたか、また、「りっぱなとこ」は どんなとこかはまったく不明で、とんとん話が進行していきます。           


べごをつれた雪女・・岩手

2024年12月07日 | 昔話(北海道・東北)

     岩手のむかし話/岩手県小学校国語教育研究会編/日本標準/1976年

 きかんぼうで手にあまる太一というわらしが、みんなと夢中になって遊んでいるうちに、いつかひとりなっていた。そりをひっぱって家のほうにむかったとき、けむりのような、ぼやっとした女が、片手に白いべご(牛)をつれて、太一の前に立っていた。

 おっかなくなった太一が、いそいでそこから離れようとすると、離れようとするとすればするほど、体が前にすすんで、女の前にいってしまった。太一の手をにぎった女の手はまるで冷たい。

 女は、あたりの木の上につもった雪をとってきて、べごさ食べさせはじめた。べごは、干し草のように、さもうまそうに、もぐりもぐり食べた。なんどもなんども雪を食べさせると、女は、こしをかがめて 乳しぼりをはじめた。そして、乳をてのひらさすくって、太一のところへもってきた。そして、「さ、飲め、飲め」と、太一の口へおっつけた。

 太一が真正面から女の顔を見ると、ちっちゃな口が、なにかしゃべっているように、ぱくぱく動いていた。太一が、ありったけの力ふりしぼって、そこから逃げ出そうとしたが、べごのつなが、はなれない。そのとき、女が両手ですくった乳を、太一の顔めがけて、あびせかけてよこした。太一は、「あっ」といったきり、なにもかもわからなくなり、その場へたおれてしまった。しばらくして、太一が目をさますと、さっきまで晴れていた空が、またくもって、雪が、もっさり、もっさりとふってきた。太一は、そりのひももって、雪の上にたおれていた。

 

 しんしんと雪が降りしきる夜の話でしょうか。眠るまえには遠慮したほうがよさそうです。


野ばら・・小川未明 紙芝居の脚色 絵本

2024年12月07日 | 創作(日本)

      定本小川未明童話集2/講談社/1976年

 小川未明(1882年~1961年)の「童話」は はじめてです。きっかけは、この話を語りで聞いたことです。「童話」というとなかなか手が出ませんが、ずーっと余韻が残りました。

 

 大きな国とそれよりはすこし小さい国が隣り合っていました。そこには両方の国から、ただ一人ずつの兵士が派遣されて、国境を定めた石碑を守っていました。大きな国の兵士は老人、小さな国の兵士は青年でした。

 都から遠く、いたってさびしい山で、まれにしか旅する人影は見られませんでした。二つの国の間は何事もおこらず、平和でした。はじめ二人はろくろくものも言いませんでしたが、ほかに話しする相手もなく、いつしか仲良しになりました。国境のところには一株の野ばらが茂っていて、その花には朝早くから蜜蜂が飛んできて、羽音を立てていました。その羽音で申し合わせたよう目を覚まし話をするようになりました。そしてのどかな昼頃には、二人は向かい合って将棋を差していました。

 冬が来て、春がくると、二つの国は、なにかの利益問題から戦争をはじめました。突然、二人は敵味方の間柄になってしまいました。青年は、北の方にいって戦いますといって去ってしまいました。青年のいなくなった日から、老人は茫然として日をおくっていました。野ばらには、蜜蜂が日が暮れるころまで群がっています。戦争はずっと遠くでしているので耳を澄ましても鉄砲の音も聞こえなければ、黒い煙の影すら見られませんでした。老人は青年の身の上を案じていました。ある日のこと、そこへ旅人が通りかかったので、戦争がどうなったかと老人はたずねました。旅人は、小さな国が負けて、その国の兵士はみなごろしになって、戦争が終わったことを告げました。

 老人は、そんなら青年も死んだのではないかと気にかけながら、石碑の礎に腰をかけてうつむいていると、いつか知らず、うとうとと居眠りをしました。

 そこへおおぜいの人の来る気配がして、みると一列の軍隊で、馬にのって指揮しているのは、かの青年でした。青年は老人の前を通るときに黙礼して薔薇の花をかぎました。老人が何かものをいおうとすると目がさめました。それはまったくの夢でした。
 

 それからひと月ばかりすると、野ばらは枯れてしまいました。その年の秋、老人は暇をもらって南の方へ帰りました。

 

 短い作品なので、老人と青年が どんな生活をおくっていたのか、何を考えていたのかがでてきませんが、青年が去っていくとき、老人は、「さあ、おまえさんと私は今日から敵どうしなったのだ。私はこんなに老いぼれても少佐だ。私の首をもっていけば、あなたは出世ができる。だから殺してください。」と青年にいいます。長い間兵士で、これまでも何回か戦争に従事したことがあったかもしれない老人は、この先短い自分の身の上より、青年の未来を案じていました。

 野ばらは、二人の友情のあいだがらを象徴的に表していました。

 戦争は絶対にごめんですが、国や民族、宗教などがからむと別の力が働いて、いやおうなしに巻き込まれるというのも・・。

 

   のばら/原作・小川未明 脚本・堀尾青史 絵・桜井誠/童心社/2005年

 紙芝居の初版は1964年。原作がどう脚色されているか気になっていました。

 ふたりが会話をしはじめるあたりが自然です。会話をしはじめると、ふたりの背景が見えてきます。
 年とった兵士は、百姓で、牧場と猟場が近くにあるので、遊びにくるよう若者に話しかけます。一方若者はピアニストで兵隊の務めが終わったら演奏会を開く夢をかたります。原作にない部分です。また年とった兵隊は、原作では少佐ですが、紙芝居の対象を考慮したのか、百姓になっています。

 また、ふたりで将棋する場面では、原作では、”駒落ち”という表現がありますが、紙芝居ではそのあたりのところはでてきません。

 原作では夢の中に死んだ若者がでてきますが、紙芝居では、ピアノの曲に、老人の思いを託しています。

 

   野ばら/小川未明 ・文 あべ弘士・絵/金の星社/2024年

 この十月の出版。絵はあべ弘士さんで、まったく予想がつきませんでした。

 ウクライナとロシアの戦争はもうすぐ三年、イスラエルとハマスなどとのとの戦争も一年をこえました。この戦争で、数多くの人びとの命がうしなわれ、先行きがみえないなかで、この絵本を出版した編集者の思いがつたわってきました。

 あべさんの絵らしく、鳥が舞っています。一株という野ばらが咲くさまは、二ページの大半を使っています。そして小さな国は、城壁で囲まれています。