臨床美術で脳を活性化 くらしナビ・ライフスタイル
2016年8月8日 (月)配信毎日新聞社
絵や工芸の創作によって脳を活性化し、認知症の進行予防やリハビリ、ストレス軽減などを図る「臨床美術」。20年前に実践が始まり、活動の場を広げている。その取り組みを紹介する。
●気持ちを絵で表現
「最近怒ったのはどんなことですか? 思い出してみてください」。埼玉県伊奈町のデイケア「アール・ブリュ」で、平日午後に開いている臨床美術のワークショップ。職員の棟本幸子さん(49)が呼びかけると、通所者の女性は「80歳になる夫が1人で槍ケ岳に行くと言い出した。私が70歳で大腸がんになるまでは、一緒に登っていたのに」と話し始めた。棟本さんは「じゃあその気持ちに近い色のオイルパステルを選んで。画用紙に線で表現してみましょう」と促した。
完成した絵は台紙に貼ってサインを入れ、みんなで「作品鑑賞」する。「大地に根を張ったような力強さを感じる」「柔らかいタッチに優しさがにじみ出ていますね」。上手下手を評価せず、それぞれの良いところを見つけて声をかける。「年を取るとできないことが増えていく。ほめられることで自信を取り戻せる」と棟本さんは説明する。脳梗塞(こうそく)で右半身まひになり、6年前から通所する石川政子さん(64)は「最初は言葉がうまく出ずふさぎがちだったが、週1回通い続けるうちに気持ちを口にできるようになった」と話す。
●認知症向けに考案
臨床美術は彫刻家の故・金子健二さんが、医師とカウンセラーとともに認知症患者向けに考案。1996年に同県大宮市(現さいたま市)の病院で実践を始めた。過去を思い出す「回想法」、現状を認識する「リアリティー・オリエンテーション」といった認知症に効果があるとされる手法を、図画工作の中に組み込んだプログラムだ。
考案に携わった木村伸医師(60)は「当時は認知症の薬が国内で認可されておらず、精神科に行っても追い返される患者が多かった。在宅でできる方法はないかと考えたのがきっかけ」と振り返る。認知症やリハビリには音楽療法や運動療法も効果的とされているが「脳は刺激の直後は活性化されるが、すぐ元に戻るので、定期的に継続することが重要になる。場所を選ばず誰にでもできるのが臨床美術の利点」だという。
木村医師は2003年に伊奈町のクリニックに「アール・ブリュ」を併設し、06年からデイケアに取り入れた。通所者が制作した作品を集めて年に1回、展覧会も開いている。「認知症や病気を直接治すものではないが、進行を少しでも遅らせ、人生を意欲的に過ごすための一助になれば」と期待する。
●普及へ資格認定
臨床美術を普及するため、金子さんらは96年に「芸術造形研究所」(東京都千代田区)を設立。翌年から「臨床美術士」の養成講座を開き、資格認定を始めた。現在約2000人の臨床美術士が全国におり、子どもの情操教育や社会人のメンタルヘルスケアなど、活用の場を広げている。 12年前に資格を取得した高橋文子さん(49)は児童養護施設や企業の新人研修など、50カ所以上でワークショップを開いてきた。「前向きな発言が増えたり、表情が明るくなったりする参加者は多い。その人の力で最後まで完成できるよう手助けするのが臨床美術士の役割で、絵心はなくてもよい」と話す。
プログラムは約600あり、「いつもと違う視点から物を見るよう促し、五感を使うことで右脳に働きかけるのが目的」という。例えば「ニンジンのネガポジ画」というプログラムでは、最初にニンジンに対するイメージを参加者に尋ねる。ニンジンを触ったり包丁で切って食べたりして、匂いや味を確かめてから制作に取りかかる。
研究所では、一般の人が臨床美術を体験できる教室も開いている。教室に参加したケアワーカーの田中みさよさん(26)は「同じものを見ても出来上がりは三者三様で、人それぞれの感じ方を尊重することにつながる。福祉の仕事に生かしたい」と話していた。【野村房代】
2016年8月8日 (月)配信毎日新聞社
絵や工芸の創作によって脳を活性化し、認知症の進行予防やリハビリ、ストレス軽減などを図る「臨床美術」。20年前に実践が始まり、活動の場を広げている。その取り組みを紹介する。
●気持ちを絵で表現
「最近怒ったのはどんなことですか? 思い出してみてください」。埼玉県伊奈町のデイケア「アール・ブリュ」で、平日午後に開いている臨床美術のワークショップ。職員の棟本幸子さん(49)が呼びかけると、通所者の女性は「80歳になる夫が1人で槍ケ岳に行くと言い出した。私が70歳で大腸がんになるまでは、一緒に登っていたのに」と話し始めた。棟本さんは「じゃあその気持ちに近い色のオイルパステルを選んで。画用紙に線で表現してみましょう」と促した。
完成した絵は台紙に貼ってサインを入れ、みんなで「作品鑑賞」する。「大地に根を張ったような力強さを感じる」「柔らかいタッチに優しさがにじみ出ていますね」。上手下手を評価せず、それぞれの良いところを見つけて声をかける。「年を取るとできないことが増えていく。ほめられることで自信を取り戻せる」と棟本さんは説明する。脳梗塞(こうそく)で右半身まひになり、6年前から通所する石川政子さん(64)は「最初は言葉がうまく出ずふさぎがちだったが、週1回通い続けるうちに気持ちを口にできるようになった」と話す。
●認知症向けに考案
臨床美術は彫刻家の故・金子健二さんが、医師とカウンセラーとともに認知症患者向けに考案。1996年に同県大宮市(現さいたま市)の病院で実践を始めた。過去を思い出す「回想法」、現状を認識する「リアリティー・オリエンテーション」といった認知症に効果があるとされる手法を、図画工作の中に組み込んだプログラムだ。
考案に携わった木村伸医師(60)は「当時は認知症の薬が国内で認可されておらず、精神科に行っても追い返される患者が多かった。在宅でできる方法はないかと考えたのがきっかけ」と振り返る。認知症やリハビリには音楽療法や運動療法も効果的とされているが「脳は刺激の直後は活性化されるが、すぐ元に戻るので、定期的に継続することが重要になる。場所を選ばず誰にでもできるのが臨床美術の利点」だという。
木村医師は2003年に伊奈町のクリニックに「アール・ブリュ」を併設し、06年からデイケアに取り入れた。通所者が制作した作品を集めて年に1回、展覧会も開いている。「認知症や病気を直接治すものではないが、進行を少しでも遅らせ、人生を意欲的に過ごすための一助になれば」と期待する。
●普及へ資格認定
臨床美術を普及するため、金子さんらは96年に「芸術造形研究所」(東京都千代田区)を設立。翌年から「臨床美術士」の養成講座を開き、資格認定を始めた。現在約2000人の臨床美術士が全国におり、子どもの情操教育や社会人のメンタルヘルスケアなど、活用の場を広げている。 12年前に資格を取得した高橋文子さん(49)は児童養護施設や企業の新人研修など、50カ所以上でワークショップを開いてきた。「前向きな発言が増えたり、表情が明るくなったりする参加者は多い。その人の力で最後まで完成できるよう手助けするのが臨床美術士の役割で、絵心はなくてもよい」と話す。
プログラムは約600あり、「いつもと違う視点から物を見るよう促し、五感を使うことで右脳に働きかけるのが目的」という。例えば「ニンジンのネガポジ画」というプログラムでは、最初にニンジンに対するイメージを参加者に尋ねる。ニンジンを触ったり包丁で切って食べたりして、匂いや味を確かめてから制作に取りかかる。
研究所では、一般の人が臨床美術を体験できる教室も開いている。教室に参加したケアワーカーの田中みさよさん(26)は「同じものを見ても出来上がりは三者三様で、人それぞれの感じ方を尊重することにつながる。福祉の仕事に生かしたい」と話していた。【野村房代】