コロナが怖いという感情は、単なる無知からくるものではない。
科学も、疫学も、文字も、数学も知らない、からといって、人間は判断ができないわけではない。予感、直感、疑惑、体験、常識、等々危険を察知する感覚は野生動物のように、気配で感じる。その一般的に無知なる人間の判断が、GoToを疑問視している。
人は、自己愛が判断を狂わす。自己愛が利他を排除する。
今、東京から、コロナが全国に散らばる予感がする、予感どころかすでに始まっている。そう感じる人々の直感を、経済界の自己愛が潰そうとしている。
経済も、命に係わる。
とても、大切と思う、命を左右する。
でも、今、半額税金で旅行する得を、選ばせる政策は、延期してほしい。
島根の25人目につながる人が、私の身近におられることが分かった。
まわりまわって、繋がっている。どこまで、PCR検査をするべきか?私もやや、繋がっていると、家族には、言えてない。
昭和天皇が他界された時、喪に服すということで、イベントや行事を考え直すようにという事があって、仕事のほとんどがキャンセルになり、資金繰りができなくなって、夫の会社は倒産した。それがもとで、夫は54歳で他界した。
自分だけの諸意で世の中は動かないし、闘いさえ、命奪う事さえ起きる人間の社会、選択は目前に迫っている。
コロナは恐ろしい、もう、防ぎようのない速さの空気感染。
しかし、軽症で、無症状で、怖くないという方々もいる。
二つの判断が、しのぎ合って空気汚染をおこしている。
コロナも自然災害。予防の防波堤はまだ見えない。