飲食店の経営はほんとに大変ですね。
我が家も戦後、出雲そば店を経営していましたが、繁華街が、別場所にできたので、お客さんが来なくなって、店はたたみ、父は駅のホームの立ち食いそば店で働きました。
その後は水道工事社で働きました。
商売は時代に直に影響されて、水商売とか選挙の年で不景気とか、子どもがてらに経営の難しさを感じていました。
母は大きな割烹旅館の女中で頑張っていました。
二人を見て、不安な商売は止めようと、それで、女でも手に職を付けなければと、看護婦の学校に入学することになったです。
でも、戦後の小さな町の小さな店ばかりの時代と違って、従業員さんも多く、お店も大きい所もあり、経営者とか、従業員とかを抜きにして、コロナが終息するまでの人間的な生活の保障をして、この1年は何とかしのいでいただきたいです。