昨日は西谷駅から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは、ホルストの合唱曲である。
「雲の使者(雲の使い)」作品30(H111)は、コントラルト独唱と管弦楽、
そして合唱のために書かれた作品で、1910年から1912年の間に作曲された。
初演は1913年3月4日作曲者自身の指揮で、クイーンズ・ホールで行われた。
しかし、初演は不評であり、その失敗は彼に精神的ダメージを与えたようである。
インドの詩人カーリダーサの詩、「雲の使者(メーガ・ドゥータ)」を
ホルスト自身が翻訳し、それをテキストにして作曲されたものである。
「雲の使者(雲の使い、メーガ・ドゥータ)」の話は次のような話である。
偉大なる神への勤めを怠ったヤクシャ(夜叉)が、
その罪でインドの中東部にあるラーマギリの山中に流される。
その空を眺めると雨期が近いこともあって北へ向う雲が見える。
(ベンガル湾から湿った空気が雲を作り、ヒマラヤに向うのだろうか。)
ヤクシャはその雲が流れて行くのを見て、ヒマラヤの聖なるカイラス山にある
故郷アラカーに一人残した最愛の妻を思い出す。
彼は妻への憧れの気持ちを雲に託し、音信を伝えるという内容のようだ。
サンスクリット語を学び、そのカーリダーサの文学に触れた彼が、
この作品を音楽にしてみたいと思ったのは、興味深い話である。
聴いたCDは、テラ・ジョーンズのメゾ・ソプラノ、
ヒコックス指揮、ロンドン交響楽団および合唱団の演奏によるもの。
木管楽器のさびしそうな感じの旋律で始まるアダージョの部分は、
流されて孤独感を抱くヤクシャの気持ちを表現しているのだろうか。
また、弦楽器の流れるような音楽は北に流れる雲を描いているようでもある。
長い序奏部分が終わるとテンポを上げ、モデラート・マエストーソの部分となり、
管弦楽が盛り上げ、合唱が「おお、汝が天の王から来たりし者」と歌い始まる。
このあたりの音楽は素晴らしいが、合唱はその後ヤクシャが雲に語りかけ、
大いなる神の罰を受け、自分が孤独な立場にあることを伝える。
このあたりの音楽はワグナーの音楽の影響を受け、壮大な感じである。
次のアレグロの部分に入り、「ぐずぐずするな雲よ、ぐずぐずするな、
急げ汝よ北へ、山頂と同じ高さの空を越えて」と合唱が歌い出す。
せかすかのような音楽で始まり、この雲が向う場所に見られる自然、
村々と花々、木々や鳥などのことが触れられていく。
管弦楽もその美しく雄大な自然を描いているような感じだ。
やがてアンダンテの部分になり、コントラルト独唱の部分となる。
「ぐずぐずするな雲よ、ぐずぐずするな」と歌い始める。
その歌はいったん終わり、おだやかな管弦楽のみの部分となる。
しばらくして、再びコントラルト独唱により、
「そこに横たわる彼女を見守ってくれ」と歌い出す。
その寂しく独り待つ妻への想いが歌われていく。
次はモデラート・マエストーソ、センツァ・アッチェレランドの部分である。
センツァ・アッチェレランドとは、速度を速めることなくという意味である。
ここでは合唱により「ぐずぐずするな雲よ、汝の頭を下げよ」と歌われる。
カイラス山の自然のことが触れられ、女声合唱が東洋的な旋律を歌う。
合唱の部分が終わると管弦楽がその美しく雄大な自然を描写する。
そして女声合唱が再び入り、管弦楽が東洋的な旋律を奏でる。
そして合唱全体と管弦楽による東洋風の旋律が奏でられる。
管弦楽は荒々しい音楽を奏で、「リグ・ヴェーダからの讃歌」を思わせる。
この音楽は激しい踊りを表現しているのであろう。
最後の方で、オルガンも入り、壮大で神々しい部分を感じさせる。
ここの部分はこの作品の中での一番のクライマックスで聴きどころだろう。
最後のアダージョ-モデラートの部分に入り、
合唱が「踊り子が疲れ、歌手が眠りに入る時に」と歌い出す。
このあたりは眠りからさめた妻のところに、雲が訪れ、
彼から預かった音信が伝えられるという部分である。
ホルストらしい美しい合唱による平和な音楽が中心となり、
組曲「惑星」の「金星」を思わせるようなまどろみの音楽である。
最後は弦楽器のみが残り、静かに消え入るようにして終わる。
久しぶりに聴いたが、この「雲の使者」もなかなかの傑作である。
途中聴いたのは、ホルストの合唱曲である。
「雲の使者(雲の使い)」作品30(H111)は、コントラルト独唱と管弦楽、
そして合唱のために書かれた作品で、1910年から1912年の間に作曲された。
初演は1913年3月4日作曲者自身の指揮で、クイーンズ・ホールで行われた。
しかし、初演は不評であり、その失敗は彼に精神的ダメージを与えたようである。
インドの詩人カーリダーサの詩、「雲の使者(メーガ・ドゥータ)」を
ホルスト自身が翻訳し、それをテキストにして作曲されたものである。
「雲の使者(雲の使い、メーガ・ドゥータ)」の話は次のような話である。
偉大なる神への勤めを怠ったヤクシャ(夜叉)が、
その罪でインドの中東部にあるラーマギリの山中に流される。
その空を眺めると雨期が近いこともあって北へ向う雲が見える。
(ベンガル湾から湿った空気が雲を作り、ヒマラヤに向うのだろうか。)
ヤクシャはその雲が流れて行くのを見て、ヒマラヤの聖なるカイラス山にある
故郷アラカーに一人残した最愛の妻を思い出す。
彼は妻への憧れの気持ちを雲に託し、音信を伝えるという内容のようだ。
サンスクリット語を学び、そのカーリダーサの文学に触れた彼が、
この作品を音楽にしてみたいと思ったのは、興味深い話である。
聴いたCDは、テラ・ジョーンズのメゾ・ソプラノ、
ヒコックス指揮、ロンドン交響楽団および合唱団の演奏によるもの。
木管楽器のさびしそうな感じの旋律で始まるアダージョの部分は、
流されて孤独感を抱くヤクシャの気持ちを表現しているのだろうか。
また、弦楽器の流れるような音楽は北に流れる雲を描いているようでもある。
長い序奏部分が終わるとテンポを上げ、モデラート・マエストーソの部分となり、
管弦楽が盛り上げ、合唱が「おお、汝が天の王から来たりし者」と歌い始まる。
このあたりの音楽は素晴らしいが、合唱はその後ヤクシャが雲に語りかけ、
大いなる神の罰を受け、自分が孤独な立場にあることを伝える。
このあたりの音楽はワグナーの音楽の影響を受け、壮大な感じである。
次のアレグロの部分に入り、「ぐずぐずするな雲よ、ぐずぐずするな、
急げ汝よ北へ、山頂と同じ高さの空を越えて」と合唱が歌い出す。
せかすかのような音楽で始まり、この雲が向う場所に見られる自然、
村々と花々、木々や鳥などのことが触れられていく。
管弦楽もその美しく雄大な自然を描いているような感じだ。
やがてアンダンテの部分になり、コントラルト独唱の部分となる。
「ぐずぐずするな雲よ、ぐずぐずするな」と歌い始める。
その歌はいったん終わり、おだやかな管弦楽のみの部分となる。
しばらくして、再びコントラルト独唱により、
「そこに横たわる彼女を見守ってくれ」と歌い出す。
その寂しく独り待つ妻への想いが歌われていく。
次はモデラート・マエストーソ、センツァ・アッチェレランドの部分である。
センツァ・アッチェレランドとは、速度を速めることなくという意味である。
ここでは合唱により「ぐずぐずするな雲よ、汝の頭を下げよ」と歌われる。
カイラス山の自然のことが触れられ、女声合唱が東洋的な旋律を歌う。
合唱の部分が終わると管弦楽がその美しく雄大な自然を描写する。
そして女声合唱が再び入り、管弦楽が東洋的な旋律を奏でる。
そして合唱全体と管弦楽による東洋風の旋律が奏でられる。
管弦楽は荒々しい音楽を奏で、「リグ・ヴェーダからの讃歌」を思わせる。
この音楽は激しい踊りを表現しているのであろう。
最後の方で、オルガンも入り、壮大で神々しい部分を感じさせる。
ここの部分はこの作品の中での一番のクライマックスで聴きどころだろう。
最後のアダージョ-モデラートの部分に入り、
合唱が「踊り子が疲れ、歌手が眠りに入る時に」と歌い出す。
このあたりは眠りからさめた妻のところに、雲が訪れ、
彼から預かった音信が伝えられるという部分である。
ホルストらしい美しい合唱による平和な音楽が中心となり、
組曲「惑星」の「金星」を思わせるようなまどろみの音楽である。
最後は弦楽器のみが残り、静かに消え入るようにして終わる。
久しぶりに聴いたが、この「雲の使者」もなかなかの傑作である。