今日は片倉町から上星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1833年生まれのブラームスの作品。
ブラームスは有名な作曲家なので略歴は省略する。
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77は、ヴァイオリン奏者で、
親友のヨーゼフ・ヨアヒムのために1878年に作曲された作品である。
初演は1879年にライプツィヒ・ゲヴァントハウスにて、ヨアヒムの独奏、
ブラームスがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮して演奏された。
今回聴いたCDは、ミルシティンのヴァイオリン、ヨッフムの指揮、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。
第一楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、ソナタ形式による。
管弦楽によるユニゾンによるのどかな旋律と
牧歌的で、哀愁も含んだ第一主題に続き、
堂々として劇的な感じの第二主題が現れる。
ヴァイオリン独奏が加わり、カデンツァ風の鮮やかな演奏を
披露したあとに、第一主題と第二主題を奏する。
ここでみられるブラームスの音楽は、
円熟へと向かっていくような充実感をもっている。
ヴァイオリンの高度な演奏技術を要求しているところもあり、
一方で、ロマンティックで甘美な調べがいい。
展開部を経たカデンツァはミルシティン自身によるものだが、
その演奏技術はあざやかで、素晴らしく、最初の主題が再現され、
最後は管弦楽と共に盛り上がって堂々と終わる。
第二楽章アダージョは、三部形式によるのどかな音楽である。
独奏オーボエの音色は魅力的であり、牧歌的である。
サラサーテはそれをぼんやり見ているのは我慢ならなかったようで、
それだけオーボエの旋律は美しいのだが、
それを引き継いで奏するヴァイオリンも甘美である。
最後は、平和な感じで静かに終わる。
第三楽章アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ、
ヴィヴァーチェ-ポコ・ピュ・プレストは、
ロンド・ソナタ形式で書かれており、主題は印象的である。
だからこそ、この協奏曲は名曲なのかもしれない。
ドイツ的な粗野で堂々とした感じが聴いていて爽快であり、
中間部のトルコ風の感じもおもしろい趣向である。
最後はヴァイオリンと管弦楽により堂々と華麗に終わる。
途中聴いたのは1833年生まれのブラームスの作品。
ブラームスは有名な作曲家なので略歴は省略する。
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77は、ヴァイオリン奏者で、
親友のヨーゼフ・ヨアヒムのために1878年に作曲された作品である。
初演は1879年にライプツィヒ・ゲヴァントハウスにて、ヨアヒムの独奏、
ブラームスがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮して演奏された。
今回聴いたCDは、ミルシティンのヴァイオリン、ヨッフムの指揮、
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるものである。
第一楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポは、ソナタ形式による。
管弦楽によるユニゾンによるのどかな旋律と
牧歌的で、哀愁も含んだ第一主題に続き、
堂々として劇的な感じの第二主題が現れる。
ヴァイオリン独奏が加わり、カデンツァ風の鮮やかな演奏を
披露したあとに、第一主題と第二主題を奏する。
ここでみられるブラームスの音楽は、
円熟へと向かっていくような充実感をもっている。
ヴァイオリンの高度な演奏技術を要求しているところもあり、
一方で、ロマンティックで甘美な調べがいい。
展開部を経たカデンツァはミルシティン自身によるものだが、
その演奏技術はあざやかで、素晴らしく、最初の主題が再現され、
最後は管弦楽と共に盛り上がって堂々と終わる。
第二楽章アダージョは、三部形式によるのどかな音楽である。
独奏オーボエの音色は魅力的であり、牧歌的である。
サラサーテはそれをぼんやり見ているのは我慢ならなかったようで、
それだけオーボエの旋律は美しいのだが、
それを引き継いで奏するヴァイオリンも甘美である。
最後は、平和な感じで静かに終わる。
第三楽章アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ、
ヴィヴァーチェ-ポコ・ピュ・プレストは、
ロンド・ソナタ形式で書かれており、主題は印象的である。
だからこそ、この協奏曲は名曲なのかもしれない。
ドイツ的な粗野で堂々とした感じが聴いていて爽快であり、
中間部のトルコ風の感じもおもしろい趣向である。
最後はヴァイオリンと管弦楽により堂々と華麗に終わる。
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