昨日は二俣川から西谷まで歩きました。
途中聴いたのはフォーヴェル物語である。
聴いたCDは、ルネ・クレマンシック指揮、
クレマンシック・コンソートの演奏によるもの。
この作品の演奏ではクレマンシックのものが個人的には気に入っている。
1310年代に成立したとされるこの作品は、
教皇や国王を頂点とする権力に対する批判として書かれた作品で、
フォーヴェル(FAUVEL)とは、へつらい(Flatterie)、貪欲(Avarice)、
文嗇(Vilenie)、虚飾(Vanite)、妬み(Envie)、怯懦(Lachete)の頭文字を
並べたものであるが、作品に多声的な音楽が多く、
当時のフランスの音楽の中の変化を知ることができる曲となっている。
ちなみにフォーヴェルはこの物語では持ち前の詐欺師的な能力により、
貧困のどん底から一大権力者にまでのしあがったロバの化身として現れる。
作品の中には善悪の二項対立がみられ、
音楽も聖なる宗教的な曲と、悪魔的で世俗的な曲が交互に現れる。
その作品の中からここでは3曲ほどあげておく。
「フォーヴェルと一仕事するより豚に愛される方がよい
(Porchier miex ester ameroie)」は、
あんな悪党(フォーヴェル)に出会ったことがないと歌い、
彼と仕事するくらいなら豚に愛される方がいいという内容の曲。
男声とリコーダーが同じ旋律をなぞって歌っていく。
「全部悪党の仕業だ(Quoniam secta latronim)」は3声部による歌で、
この批判的な内容を、歌っているのは第2声部である。
第3声部は「こんなことなら兵士であるのも悪くない」
という内容を歌い続けていくが、それぞれの旋律を追っかけあいながら、
最後は安定した和音で終わる印象深い曲である。
なお、このCDにはシャリヴァリ(Charivari)が21番目にあって、
その社会的制裁の様子がとてもうまく再現されている。
シャリヴァリにつきもののラフミュージックは行進曲風に流れ、
そのあと騒音を立てるシャリヴァリの始まり騒然となる。
実際こんなシャリヴァリを仕掛けられたらたまったものではないだろう。
地域によってその様子はそれぞれ違うのだが、
フランスではこうだったのだろうか、想像すると面白い。
途中聴いたのはフォーヴェル物語である。
聴いたCDは、ルネ・クレマンシック指揮、
クレマンシック・コンソートの演奏によるもの。
この作品の演奏ではクレマンシックのものが個人的には気に入っている。
1310年代に成立したとされるこの作品は、
教皇や国王を頂点とする権力に対する批判として書かれた作品で、
フォーヴェル(FAUVEL)とは、へつらい(Flatterie)、貪欲(Avarice)、
文嗇(Vilenie)、虚飾(Vanite)、妬み(Envie)、怯懦(Lachete)の頭文字を
並べたものであるが、作品に多声的な音楽が多く、
当時のフランスの音楽の中の変化を知ることができる曲となっている。
ちなみにフォーヴェルはこの物語では持ち前の詐欺師的な能力により、
貧困のどん底から一大権力者にまでのしあがったロバの化身として現れる。
作品の中には善悪の二項対立がみられ、
音楽も聖なる宗教的な曲と、悪魔的で世俗的な曲が交互に現れる。
その作品の中からここでは3曲ほどあげておく。
「フォーヴェルと一仕事するより豚に愛される方がよい
(Porchier miex ester ameroie)」は、
あんな悪党(フォーヴェル)に出会ったことがないと歌い、
彼と仕事するくらいなら豚に愛される方がいいという内容の曲。
男声とリコーダーが同じ旋律をなぞって歌っていく。
「全部悪党の仕業だ(Quoniam secta latronim)」は3声部による歌で、
この批判的な内容を、歌っているのは第2声部である。
第3声部は「こんなことなら兵士であるのも悪くない」
という内容を歌い続けていくが、それぞれの旋律を追っかけあいながら、
最後は安定した和音で終わる印象深い曲である。
なお、このCDにはシャリヴァリ(Charivari)が21番目にあって、
その社会的制裁の様子がとてもうまく再現されている。
シャリヴァリにつきもののラフミュージックは行進曲風に流れ、
そのあと騒音を立てるシャリヴァリの始まり騒然となる。
実際こんなシャリヴァリを仕掛けられたらたまったものではないだろう。
地域によってその様子はそれぞれ違うのだが、
フランスではこうだったのだろうか、想像すると面白い。
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