<天草フェリー(1)>
天草の牛深はとにかく遠かった。
熊本市内の菊池温泉から牛深(うしぶか)までは約百六十キロで、横浜から伊豆半島の突端にある石廊崎までと同じくらいの距離と疲れ具合である。所要時間は休まなければ三時間ちょっとだが、途中から海がまったく見えない下道なこともあって恐ろしく走り出がある。
ずいぶん前に高橋治の牛深が舞台の小説「うず潮のひと」を読んで、今では阿波踊と佐渡おけさのほうが有名になってしまったが三、四十は派生民謡がある本家の「牛深ハイヤ節」と、女主人公が作る絶品の「塩うに」が妙に記憶に残っていて、一度は行ってみたいなとずっと思っていた。
『ウニ作りに秘法らしきものはなにひとつなかった。強いていえば、ウニを処理する際に、真水を一切使っては
ならないこと、精製しない塩は却ってウニの味を損ねること、その二カ条くらいのものだった。
だが、使う布巾の織目の粗さ、塩をまんべんなく廻すまぜ方など、ことが単純きわまるだけに奥行きが深かった。』
高橋治著「うず潮のひと」より
知人に何度か、天草いったら瓶詰めのうにを買ってきてほしい、なんなら金渡しとこうかと熱心に頼まれていたことも頭の片隅にあったのだ。
本の記憶では、牛深はいかにも辺鄙で小さな町くらいのイメージだったのが、まるで都会の街だったのに驚く。港にある海彩館という施設からうにを選び宅配便で送ると、ミッション完了。
気が抜けてとっとと下田温泉に向かう。牛深から天草下田温泉は約四十キロちょっと、一時間ほど走るうちに夜の帳がすっかり降りてしまった。
(おお、これはけっこうな夕食でないの!)
電話予約した天草下田温泉「くつろぎの宿 マルコ」は、土曜日なのに一泊二食六千五百円とべらぼうに安く、まるで四国のお遍路さん用の特別料金みたいだ。だから、食事は期待薄で仕出しみたいなものだろうと覚悟していたのである。
料理をみるかぎり仕出し料理ではない。その証拠に食事処の大広間の横に立派な厨房があった。
食事処の座敷では、隣に陣取った釣り客と思しきグループが盛大に酒盛りしていた。かなりの人数が煙草をスパスパ吸っているのをみて嬉しくなり、焼酎を捨てて新鮮な刺身に敬意を表し熱燗を注文する。大広間は換気がいいらしくそれほど煙くない。
宿の夕食で喫煙自由は滅多にない幸運だ。二合の熱燗をゆっくり三本空け、煮魚でご飯を軽く食べて締めた。
エレベーターなしの三階部屋のこともあり、身体に悪いのを承知の上で、食前にも入った別棟一階にある熱い温泉もついでにいただいていくことにした。泉質は単純温泉の嬉しい源泉掛け流しである。
湯気がもうもうと立ちこめるこの温泉、四国ではお遍路してもまず出逢うことはない、なかなかのもので満足このうえなしであった。
― 続く ―
→「一足のくつ」の記事はこちら
→「熊本、菊池温泉」の記事はこちら
→「熊本、菊池渓谷を歩く(1)」の記事はこちら
→「熊本、菊池渓谷を歩く(2)」の記事はこちら
天草の牛深はとにかく遠かった。
熊本市内の菊池温泉から牛深(うしぶか)までは約百六十キロで、横浜から伊豆半島の突端にある石廊崎までと同じくらいの距離と疲れ具合である。所要時間は休まなければ三時間ちょっとだが、途中から海がまったく見えない下道なこともあって恐ろしく走り出がある。
ずいぶん前に高橋治の牛深が舞台の小説「うず潮のひと」を読んで、今では阿波踊と佐渡おけさのほうが有名になってしまったが三、四十は派生民謡がある本家の「牛深ハイヤ節」と、女主人公が作る絶品の「塩うに」が妙に記憶に残っていて、一度は行ってみたいなとずっと思っていた。
『ウニ作りに秘法らしきものはなにひとつなかった。強いていえば、ウニを処理する際に、真水を一切使っては
ならないこと、精製しない塩は却ってウニの味を損ねること、その二カ条くらいのものだった。
だが、使う布巾の織目の粗さ、塩をまんべんなく廻すまぜ方など、ことが単純きわまるだけに奥行きが深かった。』
高橋治著「うず潮のひと」より
知人に何度か、天草いったら瓶詰めのうにを買ってきてほしい、なんなら金渡しとこうかと熱心に頼まれていたことも頭の片隅にあったのだ。
本の記憶では、牛深はいかにも辺鄙で小さな町くらいのイメージだったのが、まるで都会の街だったのに驚く。港にある海彩館という施設からうにを選び宅配便で送ると、ミッション完了。
気が抜けてとっとと下田温泉に向かう。牛深から天草下田温泉は約四十キロちょっと、一時間ほど走るうちに夜の帳がすっかり降りてしまった。
(おお、これはけっこうな夕食でないの!)
電話予約した天草下田温泉「くつろぎの宿 マルコ」は、土曜日なのに一泊二食六千五百円とべらぼうに安く、まるで四国のお遍路さん用の特別料金みたいだ。だから、食事は期待薄で仕出しみたいなものだろうと覚悟していたのである。
料理をみるかぎり仕出し料理ではない。その証拠に食事処の大広間の横に立派な厨房があった。
食事処の座敷では、隣に陣取った釣り客と思しきグループが盛大に酒盛りしていた。かなりの人数が煙草をスパスパ吸っているのをみて嬉しくなり、焼酎を捨てて新鮮な刺身に敬意を表し熱燗を注文する。大広間は換気がいいらしくそれほど煙くない。
宿の夕食で喫煙自由は滅多にない幸運だ。二合の熱燗をゆっくり三本空け、煮魚でご飯を軽く食べて締めた。
エレベーターなしの三階部屋のこともあり、身体に悪いのを承知の上で、食前にも入った別棟一階にある熱い温泉もついでにいただいていくことにした。泉質は単純温泉の嬉しい源泉掛け流しである。
湯気がもうもうと立ちこめるこの温泉、四国ではお遍路してもまず出逢うことはない、なかなかのもので満足このうえなしであった。
― 続く ―
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