温泉クンの旅日記

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海野宿(1) 長野・東御市

2008-11-20 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <海野宿(1)> 

 軽井沢から上田方面に向かって国道を走るたびに、海野宿の道路標識はみてい
た。
 妻籠とか馬篭ほど有名ではないのでいつもパスしていたのだ。
 小諸で食べたい蕎麦屋はまだ開店前なので、なんとなく時間潰しに行ってみた。



 最初に感じたことを素直にいえば、思ったよりも数段、吃驚するほどよかった。
 ただし、ここの宿場の通りだが、自動車の往来をやめれば間違いなく、ぐっと
観光客が増えると思う。

 海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設された。
 北国街道は中山道と北陸道を結ぶ重要な街道であり、海野宿は本陣1軒と脇本陣
2軒が設けられ、佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代など江戸との
交通も頻繁で、善光寺への参詣客も利用することで賑わった。



 宿場町となる前は海野郷や海野庄などと呼ばれ、真田幸隆の父とされる海野一帯
を統治していた豪族である海野家の領地であり、真田氏の出身地とされる所であ
る。



 宿場の東の棒鼻にある、白鳥神社である。海野氏の氏神で後に運野宿の人々の
産土神として崇められた。
 けやきの樹は七百年をこえる樹齢だ。



 町並みは、江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な
蚕室造りの建物とがよく調和して伝統的な家並みを形成している。
 道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった家並みは、歴史の
ふる里を想わせる静かなたたずまいを感じさせてくれる。





「卯建(うだつ)」は、建物の両側の妻壁を高くして防火壁の役目をしている。
「うだつがあがらないヤツだ」の語源である。



 格子戸の家が続いている宿場だが、長短二本の組み合わせが「海野格子」と呼ば
れている。

「気抜き」と呼ばれる小屋根は、明治になり宿場の町から養蚕の町に変わって、
客室が蚕室に使われたので、保温のための焚火や煙を換気する施設として造られ
た。




 
  ― 続く ―

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