温泉クンの旅日記

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三渓園(1)

2014-11-23 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <三渓園(1)>

 横浜に京都がある・・・といったら驚くだろうか。



 関内駅から山下公園に向かって歩き、マリンタワーのそばのバス停から大嫌いなバスに乗車した。三渓園(さんけいえん)は駐車場が小さいので車は使えず、さすがに歩くにはちょっと遠い。横浜駅とか桜木町駅からもバスがあるのだが、なるべく近い路線を選んだのである。

 十五分ほどの苦行に堪えてバスを降りると、桜道を奥に進む。



 思った通り、三渓園の手前の道に係り員が「満車」の札を掲げて、向かって来る自家用車を止めて指示をしていた。

 正門横にある券売機で入場券を求め、久しぶりの三渓園に入る。



 最後に来たのは金の無い高校生くらいのときで、おにぎりを持ちバス代さえあれば半日は遊べたのである。なんと「ン十年振り」であるが雰囲気はまるで変わっていない。

 天気のいい土曜日なので紅葉目当てだろう大勢の観光客賑わっている。海外からの客も意外に多いようである。
 園内図をちらりとみて、頭に刻むと、左手に広がる大池沿いに内苑エリアを目指して歩く。





 三渓園は、明治の末から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした実業家「原富太郎」がこの地に造りあげた五万三千坪の広大な日本庭園で、戦後に原家から横浜市に寄贈されたものである。
 原富太郎は、世界遺産になったあの冨岡製糸場の他に製糸場工場を各地に持ち製糸家と知られていた。茶人でもあり、三渓園は号の「三渓」からとられたものだ。

 右側の蓮池が途切れたところにある小道を、右に入ってところにある「鶴翔閣(かくしょうかく)」は、原三渓が住まいとして建てたものである。現在は貸出施設となっていて、この日も貸し出されていた。

 その後に着物の新朗新婦を何組か見かけたので、ここで披露宴でも開いているのかもしれない。



「御門」は、江戸時代、宝永五年(1708年)ごろの建築された京都東山の西芳寺にあった薬医門を移築したものだ。





 臨春閣(りんしゅんかく)の前に広がる芝生では、新婚カップルが記念撮影をしていた。撮影スポットだけにさすがに人が多い。



 慶安二年(1649年)、紀州徳川の初代藩主頼宣が紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの洗練された別荘建築である。



 残念ながら紅葉はまだ二週間ほど早いが、銀杏の黄葉は見頃であった。



  ― 続く ―


  →「もうすぐ世界遺産、冨岡製糸場」の記事はこちら


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