温泉クンの旅日記

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東海道五十三次 (4)-3

2008-05-21 | 街道を歩く
 (4)-3 小田原~元箱根


「いったい、小田原から元箱根の一宿の話を何回に分けて引っ張るんだよ」

 そんな声が聞こえてきそうだが、それほど東海道ではこれが辛いのだ。
 若いひとが東海道を歩くのなら、なんということはないけど、あるていどの年齢
になったら相当きついのだ。それをできるだけ正確に伝えたくて分割しているので
ある。

 忍者は一日に三十里から四十里を軽々と走破するという。
 いまの距離にすると百二十キロから、百六十キロだ。
 すごいものである。通常の旅人は一時間に一里だから、朝七時に出て夕刻の四時
まで休みなく歩いて九里、足の速い人でも十里が限度だろう。忍者はすごい。

 そんなことを考えながら川原で弁当を食べ終わると、すこし登って国道に出た。
途中にまたさきほど見た怪しげな宗教団体の別院があった。
 渡ったところから、また畑宿(はたじゅく)まで味のある探勝歩道がしばらく
続く。





 ヘアピンカーブを曲がって畑宿の町にはいる。
 十二時過ぎだ。出発してから四時間たっている。そんなにゆっくり歩いていな
い。休んだのは、カラスの行水の温泉と弁当だけだ。合わせても三、四十分くらい
のものだろう。





 ここは寄木細工の里として有名なところである。
 そして元箱根へ登るときには、ここで人家が絶える。
 念のために寄木会館に寄って、トイレを借りた。ゴミ箱に空の弁当箱を捨てる。
 それだけでもなんなので、展示品をいくつか素早く見てまわった。



 気合を入れなおす。ここまでは、これからに比べればどうということはない。
 さあ、いよいよ七曲の難所である。
 
 天気もいよいよ、堪え切れずにいまにも泣き出しそうだ。
 とりあえずは、畑宿から甘酒茶屋まで、ありったけの元気を掻き集めて真剣に
登らねばならないのである。



 石畳もものすごい急坂になった。



 胸突き八丁の石段もいくつか登らねばならない。今回なんとか登れているのは、
会社の身体の弱い先輩が東海道を制覇した、というその一点だけ思い出して
「くそぉ!負けてたまるか」とばかり奮起したからである。(しかし、あとで思っ
たが、本当に登ったのであろうか)



 身体は汗まみれである。寒いのか暑いのか感覚がはっきりしない。
 元箱根から降りてくる観光客と次々とすれ違い、そのたびに挨拶を交わすがこち
らは声に力がはいらない。観光客は畑宿まで降りて観光、そしてあとはバスだから
元気なものだ。



 若葉の下で煙草を吸っているうちに、ついに雨が降り出した。
(ま、まずいなあ・・・)
 あいかわらず鶯が相手を探すように啼いていて、応えようと思うが、疲れすぎて
口笛もうまく吹けなくなってしまった。

   ― (4)-4に続く ―
  → 東海道五十三次(4)-2の記事はこちら


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