<北野天満宮>
麦代餅を食べると、桂から阪急を使って西院まで二駅戻って、そこから歩いて嵐電に乗り換え北野天満宮に向かうことにした。
べつに、どうしてもいきたいところではないのだが、
(麦代餅だけが目的ではるばる京都まで行ったのか、馬っ鹿じゃねえーの)
と思われるのも癪である。
北野天満宮へ行きたかった、というほうが不自然ぽくないだろう。そして実際に行ったのと、口だけとは説得力が段違いだ。
出張がやたら多かった頃、西へ来ると京都ではけっこう観光したのでわたしはかなり詳しい。だから行ったことのないところのほうがジツは少ないのである。
懐かしい嵐電を帷子ヶ辻で乗換えて途中、妙心寺駅でおりると、駅に近い食堂で早めに軽い昼食をとった。
裏通りにあり、観光客目当てというよりオール地元の客相手の食堂という感じが嬉しい。三種類ある定食も四百三十円、六百円、七百五十円とリーズナブルな値段である。
定食を選ばず、軽く麺類にしたのは訳があるのであるが、そのうちわかる。
北野白梅町駅から北野天満宮までは歩いてだいたい十分くらいらしい。
ここが、地元では通称として「天神さん」とか「北野さん」と呼ばれている「北野天満宮」である。
太宰府天満宮とともに天神信仰の中心であり、こちらの天神も学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。
だからなのだろうか、今日も修学旅行の生徒がかなり多い。
菅原道真が大宰府に配流され、没した後、内裏の清涼殿落雷事件など都では災害が相次いだ。これを道真の怨霊の祟りだとする噂が広まる。いわゆる御霊(ごりょう)信仰だ。
そこで朝廷は没後二十年目に道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。また天暦元年(947年)に、現在の北野の地に菅原道真を祀る社殿が造営された。
永延元年(987年)には初めての勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られる。もともとは火雷天神だったのが、江戸時代に、道真が優れた学者であり歌人だったので、いつしか天神は学問の神として信仰されるようになったというわけだ。
京都の二大門前市のひとつ、「天神さん」はここ北野天満宮で毎月二十五日に開かれて賑わう。
境内には骨董品、古着、植木、漬物、干物、餅など、ありとあらゆる種類の露店がズラリと千軒以上も並ぶ。最近ではいわゆるフリマのように、客に若者や外国人も多くなっているそうだ。
ついでに二大門前市のもうひとつを書いておくと、東寺の「弘法さん)」で開催日は毎月二十一日である。
北野天満宮の脇にある、この上七軒歌舞練場では春に「北野をどり」を催すことで有名である。
上七軒は室町時代に北野天満宮の再建をするときに、のこった建材を使って七軒の茶店を立てたのが由来である。
桃山時代、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された折りに団子を献上して大いに誉められて以来、花町として繁栄を極めたという。
喉が渇いたのでこの辺で冷たいものでも飲んで、それから移動するとしよう。
→「本命麦代餅、対抗かつら饅頭」の記事はこちら
→「梅ヶ枝餅」の記事はこちら
麦代餅を食べると、桂から阪急を使って西院まで二駅戻って、そこから歩いて嵐電に乗り換え北野天満宮に向かうことにした。
べつに、どうしてもいきたいところではないのだが、
(麦代餅だけが目的ではるばる京都まで行ったのか、馬っ鹿じゃねえーの)
と思われるのも癪である。
北野天満宮へ行きたかった、というほうが不自然ぽくないだろう。そして実際に行ったのと、口だけとは説得力が段違いだ。
出張がやたら多かった頃、西へ来ると京都ではけっこう観光したのでわたしはかなり詳しい。だから行ったことのないところのほうがジツは少ないのである。
懐かしい嵐電を帷子ヶ辻で乗換えて途中、妙心寺駅でおりると、駅に近い食堂で早めに軽い昼食をとった。
裏通りにあり、観光客目当てというよりオール地元の客相手の食堂という感じが嬉しい。三種類ある定食も四百三十円、六百円、七百五十円とリーズナブルな値段である。
定食を選ばず、軽く麺類にしたのは訳があるのであるが、そのうちわかる。
北野白梅町駅から北野天満宮までは歩いてだいたい十分くらいらしい。
ここが、地元では通称として「天神さん」とか「北野さん」と呼ばれている「北野天満宮」である。
太宰府天満宮とともに天神信仰の中心であり、こちらの天神も学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。
だからなのだろうか、今日も修学旅行の生徒がかなり多い。
菅原道真が大宰府に配流され、没した後、内裏の清涼殿落雷事件など都では災害が相次いだ。これを道真の怨霊の祟りだとする噂が広まる。いわゆる御霊(ごりょう)信仰だ。
そこで朝廷は没後二十年目に道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。また天暦元年(947年)に、現在の北野の地に菅原道真を祀る社殿が造営された。
永延元年(987年)には初めての勅祭が行われ、一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られる。もともとは火雷天神だったのが、江戸時代に、道真が優れた学者であり歌人だったので、いつしか天神は学問の神として信仰されるようになったというわけだ。
京都の二大門前市のひとつ、「天神さん」はここ北野天満宮で毎月二十五日に開かれて賑わう。
境内には骨董品、古着、植木、漬物、干物、餅など、ありとあらゆる種類の露店がズラリと千軒以上も並ぶ。最近ではいわゆるフリマのように、客に若者や外国人も多くなっているそうだ。
ついでに二大門前市のもうひとつを書いておくと、東寺の「弘法さん)」で開催日は毎月二十一日である。
北野天満宮の脇にある、この上七軒歌舞練場では春に「北野をどり」を催すことで有名である。
上七軒は室町時代に北野天満宮の再建をするときに、のこった建材を使って七軒の茶店を立てたのが由来である。
桃山時代、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された折りに団子を献上して大いに誉められて以来、花町として繁栄を極めたという。
喉が渇いたのでこの辺で冷たいものでも飲んで、それから移動するとしよう。
→「本命麦代餅、対抗かつら饅頭」の記事はこちら
→「梅ヶ枝餅」の記事はこちら
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