<O‐60の温泉>
(時期的かもしれないが、勝浦は思ったよりしょぼい朝市だったので、まるで時間
を使っていない。そのわりには指先まで凍えてしまった。どうしようか・・・)
できれば温泉にでもはいって冷えきった身体を温めたい。朝市で買ってきたたこ
焼きを車のなかで食べながらしばし熟考する。
(そういえば勝浦の朝市に向かっている途中に、たしかふざけた温泉の看板をみた
なあ)
よし行ってみるか。決まれば行動は早い。
途中でみつけた「勝浦つるんつるん温泉」の看板にしたがって、二十分ほどで
その温泉にたどり着いた。オートキャンプもできるようだから広い敷地だ。
短い坂を登りきったところにある小さな駐車場はすでに車がいっぱいである。
建物の横を通って奥の広い駐車場に止めて、タオルを持って建物に戻る。ガラス戸
越しに見える一階の大広間は、かなりの客で埋まっている。
玄関の横に石の手水鉢みたいなのがあり、表面に厚い氷が張っていた。赤い色が
あり、なにかと思ったら金魚だった。しばらく観ていると、動いたからしぶとく
ヤツは生きているのだ。
受付で料金800円を払い、浴室に向かう。
脱衣室の籠はどれもからっぽ、つまり先客が誰もいないということだ。ニンマリ
として急いで脱ぎ散らかして、浴室に乱入する。
もうもうたる湯煙、なにも見えないほどの湯気がたちこめていた。
足元に注意しながら進み、外とのしきりのガラス戸を引いて冷たい外気で湯煙を
すこし吹き払った。
黒っぽい湯をたたえたタイル張りの浴槽は、狭い浴室の半分ほどを三角に近い形
で占めていた。外のひとり用ほどの露天風呂には湯が張られていなかった。
桶で掛け湯をすると、琥珀色の湯船にゆっくり身を沈めてゆく。
さらさらの泉質ではなく、比重とまとわりつくような粘りを感じる。高めの湯温
が、寒気にすくめられた五体をみるみるほどいていく。
隣の女湯からは、壁越しに騒々しい人声が聞こえてくる。「美容と健康に良く
効く名湯」が売り言葉だからきっと女性客のほうが多いのだろう。とすれば、女湯
のほうが広いのかもしれない。効能には神経痛、リウマチなどのほかに婦人病、
ヒステリーなどが書かれていた。飲用すれば冷え性、便秘にも効くらしい。
ひとりではいっているのだからまったく文句はないが、男湯のほうは、いいとこ
四人くらいでいっぱいである。
すっかり温まり、三十畳ほどありそうな大広間にはいって驚いた。
カラオケのあるステージに向かってテーブルが二列にならんでいるが、先客の
お婆さんたちですべて埋められている。ざっと二十人くらいだろうか。女湯の声
からすると、女性客は三十人以上はいることになる。
男の客・・・といえば、おおひとり、しょぼくれたお爺さんがいたぞ。わたしと
入れ違いに浴室にはいったひとと、わたしで三人か。
テーブルのうえには、湯飲み茶碗と、ミカンやらお菓子やら漬物がはいったタッ
パが並んでいた。さすがに朝の十時であるので酒類はないようだ。
すぐに大広間から廊下に引き返すのもなんなので、真ん中の列のテーブルに腰を
おろした。座布団はすべて使い切っているので、畳にあぐらをかき灰皿があるので
煙草に火を点ける。
広間にはいった瞬間と比べ、座がすこしだけ静まったような気がする。
わたしに背を向けているお婆さんがお茶をいれて、親切にも脚をひきずりながら
無言で持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
脚をひきずりながら引き返す背中に丁重にお礼を言った。
別なお婆さんが座布団を持ってきて、わたしに差し出した。
こちらも、引き返す背中に丁重にお礼を言った。
ううむ。とても嬉しいが、まずい流れだな。この調子では他にもミカンとか漬物
とかお菓子を持ってくるお婆さんが次々と出現しそうである。そのうち話しかける
ひとがいるかもしれない。
性格的にジツは律儀なわたしは、誠意には相応に応えずにはいられないのだ。
親切はまことに涙がでるほどありがたいが、今日は予定がたてこんでいる。
「おや、あれはなんだろう」
ひとりごとのように言って、煙草を消しお茶を持って立ち上がると、壁にかかっ
た額に歩み寄った。よく観ると「名湯勝浦温泉小唄」とあった。
額でいくばくかの時間を費やすと席のほうにもどり、お茶と座布団のお婆さんに
それぞれお礼を言って、灰皿と湯呑茶碗を手に、いかにも残念そうな視線を背中に
あつめて廊下に退散したのだった。
サッカーで、決められた年齢以下(アンダー)という制限をつけた選手で行う
公式戦がある。たとえばU‐18(18歳以下)とかU‐20(20歳以下)とかである。
そのデンでいくと、あの温泉はどうみてもO‐60(オーバー60歳)かO‐65だ。
わたしなどでさえ、あそこでは若い男性の範疇にはいってしまうのだろう・・・。
鴨川の道の駅で昼飯を食べながら、先ほどの温泉のことを思いだすのであった。
ちょっと前のことなのになぜか懐かしかった。
→「勝浦の朝市(1)」の記事はこちら
→「勝浦の朝市(2)」の記事はこちら
(時期的かもしれないが、勝浦は思ったよりしょぼい朝市だったので、まるで時間
を使っていない。そのわりには指先まで凍えてしまった。どうしようか・・・)
できれば温泉にでもはいって冷えきった身体を温めたい。朝市で買ってきたたこ
焼きを車のなかで食べながらしばし熟考する。
(そういえば勝浦の朝市に向かっている途中に、たしかふざけた温泉の看板をみた
なあ)
よし行ってみるか。決まれば行動は早い。
途中でみつけた「勝浦つるんつるん温泉」の看板にしたがって、二十分ほどで
その温泉にたどり着いた。オートキャンプもできるようだから広い敷地だ。
短い坂を登りきったところにある小さな駐車場はすでに車がいっぱいである。
建物の横を通って奥の広い駐車場に止めて、タオルを持って建物に戻る。ガラス戸
越しに見える一階の大広間は、かなりの客で埋まっている。
玄関の横に石の手水鉢みたいなのがあり、表面に厚い氷が張っていた。赤い色が
あり、なにかと思ったら金魚だった。しばらく観ていると、動いたからしぶとく
ヤツは生きているのだ。
受付で料金800円を払い、浴室に向かう。
脱衣室の籠はどれもからっぽ、つまり先客が誰もいないということだ。ニンマリ
として急いで脱ぎ散らかして、浴室に乱入する。
もうもうたる湯煙、なにも見えないほどの湯気がたちこめていた。
足元に注意しながら進み、外とのしきりのガラス戸を引いて冷たい外気で湯煙を
すこし吹き払った。
黒っぽい湯をたたえたタイル張りの浴槽は、狭い浴室の半分ほどを三角に近い形
で占めていた。外のひとり用ほどの露天風呂には湯が張られていなかった。
桶で掛け湯をすると、琥珀色の湯船にゆっくり身を沈めてゆく。
さらさらの泉質ではなく、比重とまとわりつくような粘りを感じる。高めの湯温
が、寒気にすくめられた五体をみるみるほどいていく。
隣の女湯からは、壁越しに騒々しい人声が聞こえてくる。「美容と健康に良く
効く名湯」が売り言葉だからきっと女性客のほうが多いのだろう。とすれば、女湯
のほうが広いのかもしれない。効能には神経痛、リウマチなどのほかに婦人病、
ヒステリーなどが書かれていた。飲用すれば冷え性、便秘にも効くらしい。
ひとりではいっているのだからまったく文句はないが、男湯のほうは、いいとこ
四人くらいでいっぱいである。
すっかり温まり、三十畳ほどありそうな大広間にはいって驚いた。
カラオケのあるステージに向かってテーブルが二列にならんでいるが、先客の
お婆さんたちですべて埋められている。ざっと二十人くらいだろうか。女湯の声
からすると、女性客は三十人以上はいることになる。
男の客・・・といえば、おおひとり、しょぼくれたお爺さんがいたぞ。わたしと
入れ違いに浴室にはいったひとと、わたしで三人か。
テーブルのうえには、湯飲み茶碗と、ミカンやらお菓子やら漬物がはいったタッ
パが並んでいた。さすがに朝の十時であるので酒類はないようだ。
すぐに大広間から廊下に引き返すのもなんなので、真ん中の列のテーブルに腰を
おろした。座布団はすべて使い切っているので、畳にあぐらをかき灰皿があるので
煙草に火を点ける。
広間にはいった瞬間と比べ、座がすこしだけ静まったような気がする。
わたしに背を向けているお婆さんがお茶をいれて、親切にも脚をひきずりながら
無言で持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
脚をひきずりながら引き返す背中に丁重にお礼を言った。
別なお婆さんが座布団を持ってきて、わたしに差し出した。
こちらも、引き返す背中に丁重にお礼を言った。
ううむ。とても嬉しいが、まずい流れだな。この調子では他にもミカンとか漬物
とかお菓子を持ってくるお婆さんが次々と出現しそうである。そのうち話しかける
ひとがいるかもしれない。
性格的にジツは律儀なわたしは、誠意には相応に応えずにはいられないのだ。
親切はまことに涙がでるほどありがたいが、今日は予定がたてこんでいる。
「おや、あれはなんだろう」
ひとりごとのように言って、煙草を消しお茶を持って立ち上がると、壁にかかっ
た額に歩み寄った。よく観ると「名湯勝浦温泉小唄」とあった。
額でいくばくかの時間を費やすと席のほうにもどり、お茶と座布団のお婆さんに
それぞれお礼を言って、灰皿と湯呑茶碗を手に、いかにも残念そうな視線を背中に
あつめて廊下に退散したのだった。
サッカーで、決められた年齢以下(アンダー)という制限をつけた選手で行う
公式戦がある。たとえばU‐18(18歳以下)とかU‐20(20歳以下)とかである。
そのデンでいくと、あの温泉はどうみてもO‐60(オーバー60歳)かO‐65だ。
わたしなどでさえ、あそこでは若い男性の範疇にはいってしまうのだろう・・・。
鴨川の道の駅で昼飯を食べながら、先ほどの温泉のことを思いだすのであった。
ちょっと前のことなのになぜか懐かしかった。
→「勝浦の朝市(1)」の記事はこちら
→「勝浦の朝市(2)」の記事はこちら
料理が美味しかったです。
勝浦つるんつるん温泉のホームページ、ご丁寧に教えていただきありがとうございました。
宿泊できるとは知りませんでした。
リーズナブルな宿泊料金で、美味しい料理、それにあの温泉なら宿泊も最高ですね。