<おちゅんの宿(1)>
舌切雀のお宿、ホテル磯部ガーデンである。
舌切雀の宿、はちと長いのでわたしは勝手ながら「おちゅんの宿」と名付けている。
あの世界遺産候補である冨岡製糸場もここからは車を使えばとても近い。
磯部温泉のある磯部駅は、高崎からJR信越本線で四駅、所要時間は二十分ほどだ。
磯部温泉だが、まずは、<温泉記号(マーク=♨)の発祥の地>として知られている。
これは江戸時代(1661年)に土地の境界をめぐる訴訟があり、その際に江戸幕府から出た判決文の地図に温泉記号が存在した。現在、これよりも古い使用例が見つかっていないことから、温泉記号発祥の地とされたのである
磯部温泉が発祥というのがもうひとつあって、ジツはこちらのほうが有名だ。
明治から大正にかけての児童文学者、巌谷小波(いわやさざなみ)は舌切り雀の伝説が伝わるというこの地を訪れ、舌切り雀の昔話を書き上げた。
舌切り雀のおとぎ話は全国各地に昔からあるが、巌谷小波が児童文学として後世に残したことから、磯部温泉は<舌切雀伝説発祥の地>とされている。
駅前の温泉街を抜けて、足湯のあるところを曲がったところに、その児童文学者の巌谷小波も逗留したおちゅんの宿はある。
だからこの宿は、とにかく「おちゅんとお爺さん」づくしなのである。
まずは宿の敷地にある舌切神社がある。
宿にはいると入り口の正面で迎えてくれる、おちゅんとお爺さん。
舌切雀伝説ゆかりの品々を展示している宝物殿。
浴衣の柄もおちゅんとお爺さんなら、部屋に置いてある宿の名物の炭酸せんべいにも、おちゅんとお爺さんの絵柄が焼きこまれている。
しかし舌切雀伝説もよく覚えていないなあと思ったら、土産に買った炭酸せんべいの包装紙に舌切雀伝説が書いてあった。
『むかし昔、爺と婆がおりました。ある日、悲しく鳴いている小雀をかわいそうにと爺は、家に
持ち帰り、おちゅんと呼んでかわいがりましたとさ。
そして、おちゅんは、婆の大事なあらいはりののりを食べ、婆に舌をチョン切られてしまい
ました。
帰った爺はおちゅんの行方をさがしてまわり、竹やぶに雀のお宿を見つけました。
そこで、おちゅんに婆のしたことをあやまったと。
おちゅんは、うれしく爺をもてなし、帰りには大小のつづらを差し出した。
爺は年とて小さいつづらを背負いました。
家に帰ってつづらをあけりや、金、銀、さんごの宝もの。
爺はびっくり大よろこび。
それを見た婆は、おちゅんのもとへと走り行き、大きなつづらをさいそくしたと。
そして帰る道すがら重いつづらの中をがまんできずに開けました。あけてびっくりつづらの
中からへびや化けものがいっぱい。
婆は腰をぬかしてしまいましたとさ。欲はかかぬほうがええ。』
そうそう忘れずに書いておかねばいけないが、なんと、夕食の一品であるきのこうどんに使われている小さな土鍋までも特製のおちゅん鍋というのだからまずは驚いて次の瞬間に噴き出すように笑ってしまった。
これで終わりではなく、まだまだおちゅんは続くのだ。
―続く―
→「もうすぐ世界遺産、冨岡製糸場」の記事はこちら
舌切雀のお宿、ホテル磯部ガーデンである。
舌切雀の宿、はちと長いのでわたしは勝手ながら「おちゅんの宿」と名付けている。
あの世界遺産候補である冨岡製糸場もここからは車を使えばとても近い。
磯部温泉のある磯部駅は、高崎からJR信越本線で四駅、所要時間は二十分ほどだ。
磯部温泉だが、まずは、<温泉記号(マーク=♨)の発祥の地>として知られている。
これは江戸時代(1661年)に土地の境界をめぐる訴訟があり、その際に江戸幕府から出た判決文の地図に温泉記号が存在した。現在、これよりも古い使用例が見つかっていないことから、温泉記号発祥の地とされたのである
磯部温泉が発祥というのがもうひとつあって、ジツはこちらのほうが有名だ。
明治から大正にかけての児童文学者、巌谷小波(いわやさざなみ)は舌切り雀の伝説が伝わるというこの地を訪れ、舌切り雀の昔話を書き上げた。
舌切り雀のおとぎ話は全国各地に昔からあるが、巌谷小波が児童文学として後世に残したことから、磯部温泉は<舌切雀伝説発祥の地>とされている。
駅前の温泉街を抜けて、足湯のあるところを曲がったところに、その児童文学者の巌谷小波も逗留したおちゅんの宿はある。
だからこの宿は、とにかく「おちゅんとお爺さん」づくしなのである。
まずは宿の敷地にある舌切神社がある。
宿にはいると入り口の正面で迎えてくれる、おちゅんとお爺さん。
舌切雀伝説ゆかりの品々を展示している宝物殿。
浴衣の柄もおちゅんとお爺さんなら、部屋に置いてある宿の名物の炭酸せんべいにも、おちゅんとお爺さんの絵柄が焼きこまれている。
しかし舌切雀伝説もよく覚えていないなあと思ったら、土産に買った炭酸せんべいの包装紙に舌切雀伝説が書いてあった。
『むかし昔、爺と婆がおりました。ある日、悲しく鳴いている小雀をかわいそうにと爺は、家に
持ち帰り、おちゅんと呼んでかわいがりましたとさ。
そして、おちゅんは、婆の大事なあらいはりののりを食べ、婆に舌をチョン切られてしまい
ました。
帰った爺はおちゅんの行方をさがしてまわり、竹やぶに雀のお宿を見つけました。
そこで、おちゅんに婆のしたことをあやまったと。
おちゅんは、うれしく爺をもてなし、帰りには大小のつづらを差し出した。
爺は年とて小さいつづらを背負いました。
家に帰ってつづらをあけりや、金、銀、さんごの宝もの。
爺はびっくり大よろこび。
それを見た婆は、おちゅんのもとへと走り行き、大きなつづらをさいそくしたと。
そして帰る道すがら重いつづらの中をがまんできずに開けました。あけてびっくりつづらの
中からへびや化けものがいっぱい。
婆は腰をぬかしてしまいましたとさ。欲はかかぬほうがええ。』
そうそう忘れずに書いておかねばいけないが、なんと、夕食の一品であるきのこうどんに使われている小さな土鍋までも特製のおちゅん鍋というのだからまずは驚いて次の瞬間に噴き出すように笑ってしまった。
これで終わりではなく、まだまだおちゅんは続くのだ。
―続く―
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