・・・「まぼろしの邪馬台国」宮崎康平著という本は以前から、本の映画化などもあって、耳にしていたが、内容は歴史書と云うより、小説のような読み物として理解していた。
・・・今回、たまたま、図書館に行ったときに、無意識にのぞいた書棚にあったので、気楽に借りてきて読んで、歴史書としてその研究の態度、進め方に感銘を受けた。
・・・私は読書としては、ここ二年くらいは古代史の本を一番多く、読んでいて、蔵書もその分野に関する本を今、身近においている。
しかし、それらの歴史書と今回紹介する「まぼろしの邪馬台国」という本は明らかに違う内容の本であった。
違うところは、次に紹介する著者の言葉が如実に表されている。このような方法で古代史をまじめに研究した人は過去にいなかったし、現在もいない。
・・・著者は途中失明の盲人です。「・・・・。 つまり目が見える人には記紀は千二百年のへだたりがある。 失明した今の私は、どんなにもがいても自らよむことができない。もとより、点字の古事記や魏志倭人伝があるわけでない。 読んでもらって耳で聞く。 音に頼るほかないのであるる。だが耳で聞いて覚えるということは、稗田阿礼とも対座出来るということなのだ。・・・・」
…この本のこの文章を読んでなるほど、こういう研究の方法があったのだと私は思いました。
しかし、機器をすべて暗誦するという、この気の遠くなるような方法以外にも、著者が素晴らしいと思ったのは、疑問に思った事はすべて、自分の足で歩いて古代人と同じ経験をして考えられたことです。
現場に行くのは研究者は皆、やることですが、古代人と同じように、すべての場所を全行程、奥さんの手引きで、自分の足で歩いて、体で実感するということは今までの研究者のしないことでした。
・・・このことは、単に古代史の研究だけでなくすべての研究に通じることと思います。
トヨタ生産方式では、よく「現地現物」実証主義が言われますが、この著者のやり方ほどの実証主義で且つ、そのオリジナリティーには感心しました。