・・・邪馬台国論争において考古学的な証拠として重要な古代の中国鏡が初めて奈良の桜井市にある桜井茶臼山古墳で見つかったというニュースである。
・・・中国の史書、魏志倭人伝には、邪馬台国の卑弥呼が魏の国に使者を送り、銅鏡百枚を授かったと書かれている。
その時の中国の年号「景初三年」、「景初四年」、「正始元年」と書かれた銅鏡は全国七か所で発見されているが、いずれも地方で、出土しており、現在、邪馬台国の有力所在地の大和地方では見つかっていなかった。
今回の発見で奈良盆地南東部が、邪馬台国の有力所在地であることを示す大きな発見である。
・・・桜井茶臼山古墳は古墳時代前期の古墳で全長207mあり、箸墓古墳より少し時代が新しく西暦300年前後に造られたとみられている。
しかし、古墳からは王者の権威の遺品といわれている、玉杖や玉葉が見つかっており、それらから大王級の墓と見られている。
・・・この墓の主はだれかということを考えてみる。
「日本古代の国家形成」 水野祐著には天皇の年代を記紀の干支を参考に古代天皇の年代検証がされている。
この天皇の年代を当てはめてみると、記紀に書かれている天皇で実在が考えられられる最初の天皇である、「崇神天皇」の父親ぐらいが、この古墳の主人公に当てはまる年代である。
ちなみに崇神天皇の墓は古事記では、山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)に葬られた、とある。
現在では、崇神天皇陵は奈良県天理市柳本町の柳本行燈山古墳(前方後円墳・全長242m)に比定されている。
しかしながら、それより少し前に造られた西殿塚古墳(前方後円墳・全長220m)を、その真陵とする考え方もある。