夜噺骨董談義

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蒔絵印籠 梶川文龍斎作 

2021-12-05 00:01:00 | 漆器
本日は印籠の梶川派の2作品目の紹介です。ただし徳川幕府のお抱え蒔絵師であった梶川派の中でも本日紹介する梶川文龍斎が個人名としては著名ですが、その詳しい伝記については実は解っていないようです。

蒔絵印籠 梶川文龍斎作
印籠本体:縦75*横54*高さ18 文龍斎銘 五段重ね
根付:幅35*縦30*高さ12 堆朱(朱塗)



梶川文龍斎は宝暦年間(1751~1753)頃~文化年間(1804~1817)頃に活躍したと思われる蒔絵師で、「官工梶川文龍斎」等の花押が捺されている作品が多く残ることから、徳川幕府のお抱え蒔絵師と推察されています。



また現存作品の書銘、花押の違いから少なくとも3代は続いたと推察されています。



狩野探幽(1602-74)の下絵による鷹が雀を追う図の印籠(いんろう)など印籠、硯箱、盃などを残すしていまが、本作品がそのような図を参考にしたかは不明です。

もしかしたら有名な王維の詩である「竹里館図」を題材にした作品かもしれません。この詩は数多くの画家が絵画で表現しています。

独り幽篁の裏に坐して     ひとり竹藪の奥に坐り
弾琴 復た 長嘯       琴を弾き 詩を歌う
深林 人知らず        深い竹林には人影もなく
明月 来たりて相照らす    ただ月だけが私を照らしてくれる



刻印は単に「梶川作」、または「梶川文龍斎」などがあります。ただし梶川文龍斎作(偽銘)の例が多数現存し、明治中期以降の当時の新作があるので要注意とされています。



一般には梶川蒔絵(かじかわまきえ)に所属する 江戸時代の蒔絵師の一派。本来梶川派は寛文(かんぶん)~天和(てんな)年間(1661~84)ころに蒔絵の名手の彦兵衛が徳川家に仕えて以来、その門弟の久次郎が後継者となり、精巧な印籠(いんろう)蒔絵で名を成している一派です。



のち子孫とその一派は、ほかの幸阿弥や古満などの各派に伍して活躍し、その作品を梶川蒔絵とよんだが、この家系に属したものに、文龍斎、与四郎、常寿、良延、清左衛門が主として印籠に名を記していますが、その詳細な伝記は解っていません。



根付には堆朱の作品が付いています。



とてもよくできていますが、この巻物と印籠の絵が関係しているかもしれません。



最近発見された作品として下記の作品が挙げられます。

参考作品 官工/梶川文龍斎銘
名物裂尽蒔絵印籠
蒔絵博物館所蔵 江戸時代後期 明和・安永の頃(1770年頃)



この作品は実際に提物として実際に使われていた作品で、2017年に新発見された作品だそうです。本作品も新発見・・・??



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