下記の緑釉の花入れは水を入れると沁み出してきました。そこでサイズを測り、インターネットで竹に乾漆の処理をした「おとし」を注文しました。
*古信楽はその用途から水漏れするものが多いですが、中国の緑釉のように埋葬品に使うものもまた水漏れしても構わない・・??
おとしの価格は送料を入れて3000円程度です。口径や長さがその都度微妙なので、この値段で特注で依頼できるのはありがたいですね。
さて本日は源内焼の作品の紹介です。
現在では当方で100点を超える源内焼を蒐集できていますが、これからは出来の良い作品だけに限定して蒐集していこうと考えています。そのせいかしばらくは蒐集の対象となる良い作品にはお目にかかれませんでしたが、この度貴重な作品を入手できたので紹介します。
貴重な作品 源内焼 三彩竹林七賢人図大鉢
「平賀源内のまなざし 源内焼」(五島美術館出版)掲載:作品NO66「三彩竹林七賢人図大鉢」
平賀源内先生遺品館企画展「讃岐の源内焼」掲載NO52・53「三彩竹林七賢人大鉢」(P34)に地図皿に準じて掲載
口径329*高台径209*高さ63 誂箱
源内焼で30センチを超える作品は稀有で、しかも三彩で型からきれいに抜けている出来の良い作品となるととても貴重です。源内焼の作品において垂涎の的となる作品は大皿の地図皿ですが、現存数は種類ごとに数枚程度らしいです。それについで本日の作品は数が少なく、評価の高い作品と言っていいでしょう。
*「型からきれいに抜けている出来の良い作品」の源内焼はこれからますます貴重となるでしょう。
図集ではこの作品は「皿」ではなくて「鉢」に分類されています。
ちょっとした傷は当方で金繕いしています。
口縁の稜の部分には亀甲文などの綺麗な文様があり見所となっています。「平賀源内のまなざし 源内焼」(五島美術館出版)に掲載されている作品NO66は緑釉単彩ですが、本作品は二彩となっています。
さらにこの作品と同型の作品は平賀源内先生遺品館企画展「讃岐の源内焼」(財団法人 平賀源内先生顕彰会出版)の図集に作品NO52・53「三彩竹林七賢人大鉢」(P34)として地図皿に準じて掲載されています。
こちらは本作品と同じような色合いの作品が掲載されています。この図柄はよくご存じの竹林の七賢人を題材にした作品です。
本ブログにて複数回記述していますが、ついでに「竹林の七賢人」について復習しておきましょう。
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竹林の七賢(ちくりんのしちけん):3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した実在した下記の七人のことです。
阮籍(げんせき)
嵆康(けいこう)
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)
「阮籍」が指導的存在で、その自由奔放な言動は『世説新語』に記されており、後世の人々から敬愛されています。実際に7人が一堂に会したことはないらしく、4世紀頃から「竹林の七賢」と呼ばれるようになったとされています。
隠者と言われることがありますが、多くは役職についており、特に「山濤」と「王戎」は三公にまで昇格しています。日本では竹林の七賢というと、現実離れしたお気楽な発言をする者の代名詞となっているようですが、当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、「嵆康」は鍾会の讒言によって陥れられ、死刑に処せられています。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(目くらまし)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞されています。
背景には三国の中で有力であった魏で、司馬懿が実権を握り、司馬昭、司馬炎と三代がかりで権力を簒奪して晋(西晋)を建国したという3世紀の王朝交替の混乱があったようです。貴族の中にそのような政治の場面から身を避けて隠遁し、竹林に集まって酒を飲んだり、楽器を奏でたりしながら、きままに暮らす人々が現れたとされます。彼らは権力者の司馬氏からの招聘も断り、自由に議論するを好んで「竹林の七賢」と称され、彼らの議論は「清談」と言われ、以後の六朝の文化人の理想とされました。
魏から晋の時代には老荘思想に基づき、俗世から超越した談論を行う清談が流行し、『世説新語』には彼ら以外の多くの人物について記されていますが、彼ら以後は社会に対する慷慨の気分は薄れ、詩文も華美な方向に流れたとされています。
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この作品を眺めながら、現状の国の政治家、官公庁の役人、ポーズの多い都知事らを思うとき「清談」とは何ぞやとの思いが湧きますね。
俗世の魑魅魍魎たる世界・・。
権力者は誰のためのなにの働きか・・??
骨董の世界の方がどうもまともらしい
*古信楽はその用途から水漏れするものが多いですが、中国の緑釉のように埋葬品に使うものもまた水漏れしても構わない・・??
おとしの価格は送料を入れて3000円程度です。口径や長さがその都度微妙なので、この値段で特注で依頼できるのはありがたいですね。
さて本日は源内焼の作品の紹介です。
現在では当方で100点を超える源内焼を蒐集できていますが、これからは出来の良い作品だけに限定して蒐集していこうと考えています。そのせいかしばらくは蒐集の対象となる良い作品にはお目にかかれませんでしたが、この度貴重な作品を入手できたので紹介します。
貴重な作品 源内焼 三彩竹林七賢人図大鉢
「平賀源内のまなざし 源内焼」(五島美術館出版)掲載:作品NO66「三彩竹林七賢人図大鉢」
平賀源内先生遺品館企画展「讃岐の源内焼」掲載NO52・53「三彩竹林七賢人大鉢」(P34)に地図皿に準じて掲載
口径329*高台径209*高さ63 誂箱
源内焼で30センチを超える作品は稀有で、しかも三彩で型からきれいに抜けている出来の良い作品となるととても貴重です。源内焼の作品において垂涎の的となる作品は大皿の地図皿ですが、現存数は種類ごとに数枚程度らしいです。それについで本日の作品は数が少なく、評価の高い作品と言っていいでしょう。
*「型からきれいに抜けている出来の良い作品」の源内焼はこれからますます貴重となるでしょう。
図集ではこの作品は「皿」ではなくて「鉢」に分類されています。
ちょっとした傷は当方で金繕いしています。
口縁の稜の部分には亀甲文などの綺麗な文様があり見所となっています。「平賀源内のまなざし 源内焼」(五島美術館出版)に掲載されている作品NO66は緑釉単彩ですが、本作品は二彩となっています。
さらにこの作品と同型の作品は平賀源内先生遺品館企画展「讃岐の源内焼」(財団法人 平賀源内先生顕彰会出版)の図集に作品NO52・53「三彩竹林七賢人大鉢」(P34)として地図皿に準じて掲載されています。
こちらは本作品と同じような色合いの作品が掲載されています。この図柄はよくご存じの竹林の七賢人を題材にした作品です。
本ブログにて複数回記述していますが、ついでに「竹林の七賢人」について復習しておきましょう。
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竹林の七賢(ちくりんのしちけん):3世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した実在した下記の七人のことです。
阮籍(げんせき)
嵆康(けいこう)
山濤(さんとう)
劉伶(りゅうれい)
阮咸(げんかん)
向秀(しょうしゅう)
王戎(おうじゅう)
「阮籍」が指導的存在で、その自由奔放な言動は『世説新語』に記されており、後世の人々から敬愛されています。実際に7人が一堂に会したことはないらしく、4世紀頃から「竹林の七賢」と呼ばれるようになったとされています。
隠者と言われることがありますが、多くは役職についており、特に「山濤」と「王戎」は三公にまで昇格しています。日本では竹林の七賢というと、現実離れしたお気楽な発言をする者の代名詞となっているようですが、当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、「嵆康」は鍾会の讒言によって陥れられ、死刑に処せられています。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、その意図の韜晦(目くらまし)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞されています。
背景には三国の中で有力であった魏で、司馬懿が実権を握り、司馬昭、司馬炎と三代がかりで権力を簒奪して晋(西晋)を建国したという3世紀の王朝交替の混乱があったようです。貴族の中にそのような政治の場面から身を避けて隠遁し、竹林に集まって酒を飲んだり、楽器を奏でたりしながら、きままに暮らす人々が現れたとされます。彼らは権力者の司馬氏からの招聘も断り、自由に議論するを好んで「竹林の七賢」と称され、彼らの議論は「清談」と言われ、以後の六朝の文化人の理想とされました。
魏から晋の時代には老荘思想に基づき、俗世から超越した談論を行う清談が流行し、『世説新語』には彼ら以外の多くの人物について記されていますが、彼ら以後は社会に対する慷慨の気分は薄れ、詩文も華美な方向に流れたとされています。
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この作品を眺めながら、現状の国の政治家、官公庁の役人、ポーズの多い都知事らを思うとき「清談」とは何ぞやとの思いが湧きますね。
俗世の魑魅魍魎たる世界・・。
権力者は誰のためのなにの働きか・・??
骨董の世界の方がどうもまともらしい