本日は高村光雲らしき作品・・・?? おそらくは定説?となっている工房作品のようです。
*なお完全な本人作と思われる作品はせいぜい50体ほど?のようであり、現状ではたとえ工房作品でも本人作と同様として評価されています。
大日如来像 高村光雲刀 昭和8年作 その6
木彫 材質白檀 共箱
共箱サイズ:高さ242*幅129*奥行123
作品サイズ:高さ180*幅89*奥行75
材料は白檀のようで、その香りが漂う作品となっています。
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高村光雲:嘉永5年2月18日(1852年3月8日)~1934年(昭和9年)10月10日)は仏師、彫刻家。幼名は光蔵。高村光太郎、高村豊周は息子。写真家の高村規は孫。
江戸下谷(現・台東区)に町人兼吉の子として生まれる。1863年から仏師の高村東雲の元に徒弟となる。後に師匠東雲の姉エツの養子となり、高村姓となる。
明治維新以後は廃仏毀釈運動の影響で仏師としての仕事は無く、輸出用の象牙彫刻が流行したために木彫も衰え、光雲自身の生活も苦しかった。そのような中で光雲は木彫に専念、積極的に西洋美術を学び、衰退しかけていた木彫を写実主義を取り入れることで復活させ、江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる重要な役割を果たした。
1890年から東京美術学校に勤務、翌年に彫刻科教授、帝室技芸員に任ぜられる。
1893年には「老猿」をシカゴ万博に出品。その後「山霊訶護」をパリ万博に出品。
1926年に東京美術学校を退職し、名誉教授に。
光雲の弟子には山崎朝雲、山本瑞雲、米原雲海など近代日本彫刻を代表する彫刻家がいる。
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高村光雲においては、観音像に代表される仏教彫刻は初期から晩年まで生涯を通して造像されていたこと、光雲が開拓したと言われる近代的な動物彫刻は絶対数が少なく、大正末年以降にはほとんどないこと、古典や歴史上の人物を主題にした作品は大正期以降多くなること等が一つの傾向としてあげられています。
光雲の作品は、その全てが注文制作でしたが、光雲の名声が上がるにつれて、作品の製作依頼が多くなり、吉祥的な主題の彫刻や現世利益的な観音など仏教彫刻の制作が増加していった可能性が考えられます。
木彫の技術と表現に着目して、複数の作例がある仁王像、観音立像、翁舞、壽老舞などを見ると、「光雲」刻銘や光雲自身の箱書など真作である条件が揃っていても、同一作家の手になるとは思えないほどの大きな差異が認められる場合があるとされています。
光雲が、光太郎や門弟たちの生活費を得る目的で、また善光寺の仁王像など大作造像のために工房制作や代作を行っていたことは、豊周の文章にも紹介されています。
子息の光太郎が伝えるところによると、門弟が光雲に無断で光雲作として世に出した作品もあるとのこと。そのようなことがあっても、大らかな性格の光雲は、作品の善し悪しは歴史が判断するだろうと大様に構えていたそうです。光雲にはこのように制作された作品の方がむしろ多く、最初から最後まで光雲一人の手になった作品は、光太郎によれば「一生涯かかつて五十點位なものであらう」(「回想録」)という記述があります。
*「一生涯かかつて五十點位なもの」というのは少なすぎるので、定かではないと思われます。
**江戸時代の著名な画家においても、弟子が描いた作品に師の印章を押印しても許容していたという逸話が多くあります。
現在となっては、多くの場合光雲個人の作品と門弟たちの手が加わっている作品とを厳密に区別するのは非常に困難であり、本展出品作の中にも、明らかに光雲門人の手が入っていると思われる作品も見受けられますが、それらも光雲の刻銘と箱書を有していています。
ところで光雲の刻銘、あるいは箱書には、「高村光雲」と「高邨光雲」の二例があります。「村」と「邨」とがどのように使い分けられていたのか、現時点では断定できませんが、「邨」は個人制作の作品、「村」は門弟の手が加わった作品である可能性もあるされています(高村規氏の示教 ただし確定ではないららしい)。光雲の作風展開を検討する上でも、刻銘・箱書の検討は、今後の研究課題なのでしょう。
江戸時代以前には、彫刻だけでなく絵画等でもこうしたことは当然のことであり、研究者は個人制作と工房制作との峻別に研究者は精力を注いでいますが、作家個人の存在が確立したいわゆる近代作家と光雲を位置づけて研究しようとすると、工房制作・共同制作の問題の前では大きな違和感を感ぜざるをえない状況のようです。
前近代的な世界で生まれ育ち、前近代的な職人であることを否定しなかったと同時に、近代的な作家でもあろうとしたのが高村光雲ではなかったかと推定されています。光雲自身の中に「前近代」(職人)と「近代」(芸術家)とが分かち難く存在していると考えられるでしょう。
高村光雲は個人の創造を第一義に反抗を続けた長男光太郎に晩年まで並々ならぬ愛情を注ぎ続け、また西洋彫刻の制作法を木彫に取り入れようとした門人米原雲海らにも寛容な態度をとり続けたという光雲のありようからは、西洋画の写実表現を彫刻にも取り入れようとして実物写生に励み、また工部美術学校で行われていた西洋彫刻を憧れた光雲、米原雲海らとともに善光寺山門の丈六仁王像を共同制作した駒込吉祥寺境内の工場にモダンなデザイン椅子を持ち込んだ近代人(芸術家)高村光雲の姿が浮かび上がってきます。
一方で、門弟たちの生活を支えるために毎日注文仕事をこなす光雲、パリから帰国した光太郎に銅像会社設立を持ちかける光雲、肖像彫刻の原型を光太郎に制作させる光雲、門弟との合作に「光雲刻之」の銘を入れる光雲、これらは前近代的な世界(職人)を生きる光雲の姿なのでしょう。このどちらか一方のみが光雲の実像ではなく、相矛盾して見える二面性をあわせ持った存在、それが高村光雲という人物ではないだろうかと評価されています。このことを私たちは一度素直に受け入れた上で、大きな振幅を見せる光雲銘の作品を改めて見直すことが必要なのでしょう。
本作品は大日如来像と思われ、大日如来像は密教の最高位の仏で、曼荼羅の中心にいます。曼荼羅には胎蔵界と金剛界の2種類あり、大日如来にも2種あります。
胎蔵界の大日如来像は腹の前で両掌を上に向けて重ねる禅定印(ぜんじょういん)を結び、金剛界大日如来は智拳印(ちけんいん)と呼ばれる印を結びます。智拳印は胸の前で、左手をこぶしに握って人さし指だけ立て、それを右手で握る印で、右手は仏、左手は衆生を表し、煩悩、即菩提の理を示すそうです。
本作品はほのかな香りのする白檀を使用しています。白檀は沈香とは違って熱を加えなくても十分に芳香を放つため、置物である仏像、仏教儀式に欠かせない数珠等の仏具をはじめとして、日本では扇子の骨に使ってあおぐことで香りを発散させたり、匂い袋の香料の一つに利用するなど、身近なところで多種多様に使われています。線香の原料の中では最も一般的ですね。
インドの寺院や宗教儀式では、瞑想する際に白檀を芳香させるといわれ、白檀の香りが雑念を払い集中するときに使われるそうです。仏教がインドから中国に伝播するにつれ、中国でも仏教儀式に白檀が多く使われるようになり、日本には、仏教とともに中国から伝来したとされています。
産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く分布していますが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用は少ないようです。特にインドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれています。栽培もされ、紀元前5世紀頃にはすでに高貴な香木として使われていたそうです。
熱帯性の常緑樹で、初めは独立して生育しますが、生長するにつれ吸盤で寄主の根に寄生するようになる半寄生植物です。幼樹の頃はイネ科やアオイ科、成長するにつれて寄生性も高まり、タケ類やヤシ類などへと移り、宿主となる植物は140種以上数えられています。雌雄異株で周りに植物がないと生育しないことから栽培は大変困難で、年々入手が難しくなっており、インド政府によって伐採制限・輸出規制が掛けられているとのこと。5月頃、黄色や紫色などの小さな花を開く。心材は濃い色をしており香りも強く、辺材になるほど白っぽく香りも少なくなる。芳香は樹脂分ではなく、精油分に由来するそうです。さわやかな甘い香りを持つ香木として知られ、花・茎・葉・根が利用されます。
白檀は、貴重な香木として扱われるほか、蒸留して取られる精油は白檀油(サンダルウッド・オイル)とよばれ、その主成分サンタロールには、殺菌作用、利尿作用の薬効成分があると言われ、薬用にも広く利用されます。
また、気分の薬として胸のつかえをとり、爽快感を与え、精神的なストレスや不安症などをやわらげるようでです。インドの伝統的医学アーユルヴェーダでは、心身全体を冷まして鎮める作用があるとされ、循環器・消化器・呼吸器・神経系すべてに作用を及ぼすと考えられています。化粧品・医学部外品成分の天然香料の中でも、白檀油はアレルゲン陽性率が高く、注意を要するとのこと。
箱書には「昭和8年6月吉辰 帝室技芸員 従三位 高村光雲 押印」とあり
印章は朱文白方印「高村光雲」、「▢▢」であり、浅知恵の当方の私見ではこれらには違和感はありません。
丁寧な彫ですね。当方での高村光雲の工房作品におけると思われる仏像はこの作品ですでに4作品目となりますが、下記の写真の他の作品の彫りから見ても同じようですね。
贋作はどうも手足の彫りに粗雑さがあるようです。この作品らは隙がないかな??
どこから見ても隙がない・・・??? 高村光雲作として評価してよいと推定しています。
これらの木彫を飾る際は日よけのカバーのついたガラスケースや厨子に入れて飾って保管するのを原則としています。
普段の保管はひとみ蓋に保管箱に入れて風呂敷で覆っておきます。
収納されている外見から、取り出す際に乱雑にならないようにひと目で中身の作品が分かるようにしておくのが収納の必須だと思います。