どうも最近は気持ちに余裕がないせいか、変なことを起こす人が多いようです。せっかく授かった子供を投げ落とすなど愚の骨頂の極まりといっていいでしょう。
自分のことしか考えない、ゲームのようにリセットして人生がやり直せると思っているのか後先を考えない・・
将来に不安などはつきものであって、とりたてて考えるほうが間違い・・
ストレスを溜めないためには気分転換が必要ですね。そういう意味では骨董の趣味は気分転換には最適です
本作品は出来がよいので購入しましたが、落款や印章が当方では資料がなく、思い切りだけで入手したものです。いつ頃の作品絵あるかは不明です。落款は「雲泉写」とあるのみです。印章は「釧就之印」の白方印と「月青三昧」という朱方印です。
題名は「雪景図」としていますが、もっと気の利いた画題があると思います。
雪景図 釧雲泉筆
水墨淡彩紙本緞子軸装 軸先鹿角 合箱二重箱
全体サイズ:縦2050*横740 画サイズ:縦1500*横608
この夜の雪景色に月を想像しなさいという意図があるようにも思われます。
画題は印章のそのままにて「月青三昧」が適切かと思います。まともに題を考えると「月下雪景独釣図」となろうかと思いますが、月、雪、釣り・・三昧かと・・。
心自由に風流を楽しみ人生を過ごす。出来そうで出来ない人生を歩んだ作者の覚悟が漂う作品であろうかと思います。
出来うるならば、釧雲泉のような生き方をしてみたいと思われる方も多くあろうかと思います。
生き方を学ぶもまた絵の楽しみ方のひとつでしょう・・・。
釧雲泉の傑作のひとつであろうと思います。
釧雲泉:宝暦9年(1759年)~文化8年11月16日(1811年12月31日))は、江戸時代後期の文人画家である。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画聖として知られる。江戸後期の南画家。備前、千々石に生まれ、幼少の頃、父に従って長崎に遊学し中国人について学問を受ける。絵が上手で山水画は殊のほか素晴らしかった。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画聖として知られる。父の没後九州を振り出しに四国・中国・近畿・江戸・越後等諸国を巡り歩いた。酒をたしなみ、茶を好み、潔癖な性格で料理、洗濯は自ら行った。気性は几帳面である反面、はなはだ気むずかしく、不快な言があると筆を投げ、杯を投げつけすぐに帰らせたと言う。金品のために絵を描くことはなかった。文化8年(1811年)、53歳にて出雲崎で客死。出雲崎浄邦寺山に埋葬された。号の雲泉は雲仙岳に因んだ。名を就、字を仲孚、通称 文平、別号に、魯堂、岱岳、六石、磊落居士(らいらいこじ)などがある。頼山陽、亀田鵬斎等と親交があった。
自分のことしか考えない、ゲームのようにリセットして人生がやり直せると思っているのか後先を考えない・・
将来に不安などはつきものであって、とりたてて考えるほうが間違い・・
ストレスを溜めないためには気分転換が必要ですね。そういう意味では骨董の趣味は気分転換には最適です
本作品は出来がよいので購入しましたが、落款や印章が当方では資料がなく、思い切りだけで入手したものです。いつ頃の作品絵あるかは不明です。落款は「雲泉写」とあるのみです。印章は「釧就之印」の白方印と「月青三昧」という朱方印です。
題名は「雪景図」としていますが、もっと気の利いた画題があると思います。
雪景図 釧雲泉筆
水墨淡彩紙本緞子軸装 軸先鹿角 合箱二重箱
全体サイズ:縦2050*横740 画サイズ:縦1500*横608
この夜の雪景色に月を想像しなさいという意図があるようにも思われます。
画題は印章のそのままにて「月青三昧」が適切かと思います。まともに題を考えると「月下雪景独釣図」となろうかと思いますが、月、雪、釣り・・三昧かと・・。
心自由に風流を楽しみ人生を過ごす。出来そうで出来ない人生を歩んだ作者の覚悟が漂う作品であろうかと思います。
出来うるならば、釧雲泉のような生き方をしてみたいと思われる方も多くあろうかと思います。
生き方を学ぶもまた絵の楽しみ方のひとつでしょう・・・。
釧雲泉の傑作のひとつであろうと思います。
釧雲泉:宝暦9年(1759年)~文化8年11月16日(1811年12月31日))は、江戸時代後期の文人画家である。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画聖として知られる。江戸後期の南画家。備前、千々石に生まれ、幼少の頃、父に従って長崎に遊学し中国人について学問を受ける。絵が上手で山水画は殊のほか素晴らしかった。旅に生き、酒をこよなく愛した孤高の画聖として知られる。父の没後九州を振り出しに四国・中国・近畿・江戸・越後等諸国を巡り歩いた。酒をたしなみ、茶を好み、潔癖な性格で料理、洗濯は自ら行った。気性は几帳面である反面、はなはだ気むずかしく、不快な言があると筆を投げ、杯を投げつけすぐに帰らせたと言う。金品のために絵を描くことはなかった。文化8年(1811年)、53歳にて出雲崎で客死。出雲崎浄邦寺山に埋葬された。号の雲泉は雲仙岳に因んだ。名を就、字を仲孚、通称 文平、別号に、魯堂、岱岳、六石、磊落居士(らいらいこじ)などがある。頼山陽、亀田鵬斎等と親交があった。
下の印は「丹青三昧」で、絵画の道一筋である、との意味のようで、この印は雲泉の使っていた印であるとの印譜集をどこかで見たことがあります。ただ、実際に使われた絵画は私は今まで見たことは無いのです。
落款は、どちらかと言えば最初期の雲泉の作品の字体に類似しているかなと思うのですが、そしてこの作品の字体と似た作品は他にも見たことがあるのですが、今のところは私も確信を持てません。
雪景山水については、雲泉も当然描いた画材で、売立目録に掲載されているものも複数あって、ただこの作品は初出かと思います。
今後も、雲泉の作品のご紹介待っています。