夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

呉州餅花手 茶褐地白花花卉文盤

2018-06-01 00:01:00 | 陶磁器
明末の漳州窯のおける大皿の作品は、呉須染付・呉須赤絵(青絵)・餅花手と大きく3つに分かれます。呉須染付や呉須赤絵や青絵の大皿の作品は本ブログにていくつか紹介しましたので、本ブログを読まれている方にはよくご存知かと思います。本日紹介するのは餅花手と称されている作品です。

正直なところこの作品を入手する前まで「餅花手」という作品群の知識は皆無でしたが、観た瞬間に「よし、買おう。」という判断をしました。落札金額は35万ほど、高いか安いかは小生の判断では解りません。骨董蒐集は基本は直感が勝負というのが小生の信条です。胎土がどうのこうの、釉薬がどうのこうの、落款と印章がどうのこうの域では一瞬の勝負の買い時に判断ができないからです。

呉州餅花手 茶褐地白花花卉文盤
合古杉箱入
口径*高台径*高さ



「餅花手」とは中国・明時代末期の呉須手の一種。粗い胎土の上に白濁釉をかけ、さらに器全体へ瑠璃釉(藍地)あるいは茶褐釉(柿地)をかけて素地を覆い、その表面に白濁釉やコバルト顔料で絵付けをしたり、白泥で点を連ねて表現された文様が特徴で、その独特の文様が正月飾りの餅花のように見えることから日本で名付けられた呼称で、瑠璃釉(藍地)の作品が多く、その作品を総称して藍呉須とも呼ばれています。



江戸時代には多くの中国陶磁器が日本に輸入されたが、「餅花手」(もちはなて)に関しては現存するものが少ないといわれていますが、特に茶褐釉(柿地)の作品は極めて少ないように思います。

*餅花:柳の細長い若枝に小さく丸めた餅や米粉のだんごを刺したもので、五穀豊穣や繁栄を祈願して小正月に神棚に飾り付けるもの。



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呉須餅花手大皿:明末の漳州窯のおける大皿の作品は、呉須染付・呉須赤絵(青絵)・餅花手と大きく3つに分かれます。餅花手は白地、藍地、柿地に細分化され、胎土は白くありませんので、そのため失透質の白釉を、高台を除く全面に掛けて、その上に藍釉や茶褐釉をかけてあります。

高級な釉薬を大量に使用した餅花手は、まだ伊万里磁器が登場する前の陶磁器の黎明期において、日本にて大いに所望された作品です。呉須染付、赤絵ともに白地部分の白が純白に近く、赤絵、染付けの発色の良い、いわゆるあがりの良い作品の評価は現在も高い。

また、図柄では南蛮船や寿老人、獅子が描かれた作品も昔から高級品、貴重品です。

当時から精緻で上手で貴重な作品は、たいてい口縁が額縁のように立っています。口縁の立っている作品(鍔縁)は、評価が高いと言われています。桃山・江戸初期に大量に輸入された作品ですので、市場には作品の数は多いのですが、前述のような作品は評価が高くなっています。

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本作品は餅花手の中でも稀有なほど精巧な作品で、無傷であり、口縁が鍔縁状の丁寧な作りであり、何よりもその文様が精緻です



日本には、16世紀から17世紀に中国・漳州で焼かれた「餅花手」が輸入されたが、製品にするまで手間もかかり、高値な呉須も大量に使用され、独特の藍色の陶磁器であったことから、まだ伊万里が登場したばかりのころに茶人や支配層の武士に大いに所望されたようです。



「餅花手」盤の高台裏は高台を除く全面に白釉をかけ、さらにその上に瑠璃釉をかけていて、高台裏の釉薬のかかっていない素地が真っ白でないのを見ると、素地全体に釉をかけ絵付けして仕上げた、塗埋手の青手古九谷の作風を連想させる。



明暦元年(1655)に、前田利常の隠居領に隣接する大聖寺藩で彩色磁器の至高の美を表現したとされる古九谷が、利常の探求心から肥前長崎で集められた「餅花手」の作風も手本にして焼かれたという可能性が十分にあるようにも思えるますね。



(追記):呉須手には、呉須染付、呉須手赤絵・呉須手青絵、餅花手などの独特な作風があり、特に日本の茶席で重宝されたこともあり、中国の民窯の大量生産された作品ですが必ずしも二級品の扱いとは言えず、むしろ後の日本の陶磁器に大きな影響を与えた陶磁器として評価されています。特に、赤絵は、京焼の奥田頴川、永楽和全、九谷焼の春日山焼等、日本の陶磁器に多大な影響を与えたとされます。



本作品の特徴は精緻な文様と茶褐の釉薬の発色の良さにあります。



特に見込みと細かい文様が施され、その周辺には白泥の発色はしていませんが、よく見ると文様が確認できそれがかえって美しさを引き立てています。



口縁が立っているから評価が高いかどうかはよくわかりませんが、確かに佳作の作品には口縁が立っている作品が多いようです。



菊なのか蒲公英なのは不明の文様ですが、唐草のように描かれた葉とのコントラストも見事です。ここまで出来の良い茶褐色の作品は例を見ません。



古そうな杉箱に収められており、あまりいい書体とは言えませんが、前の所有者の書付もあります。



なんでも鑑定団にも出品され、博物館にも展示されている作品がありますが、いずれも藍釉の作品です。

参考作品
呉州餅花手瑠璃地白花花卉文盤
2016年12月13日出品作品
評価金額:250万



評:400年くらい前の明王朝後期から末期にかけて福建省の南部で焼かれた呉州の皿に間違いない。日本には呉州の皿が大量に輸入されたが、依頼品はその中でもトップクラス。高台の内側を見るとよく判るが、まず本体を作ってそこに白い釉薬を化粧がけし、その上にコバルト釉をかけてクリーム状にした白泥を絞り出して絵を描いている。まるで鳥の羽根のように軽やかで柔らかい様子の文様が生まれ、実に気品がある。ところが裏を返すとべったり砂がついている。窯に溶着しないように、床の上に砂を一面に敷き詰めてそこに置いて焼き上げる。おそらく当時の職人たちは、皿というものは料理を乗せる上側だけきれいであれば良いだろうと考え、裏はかなり無頓着であったのだろう。そういうところが日本の茶人たちの侘び寂びを愛する気持ちに通じ、日本では人気がある。

参考作品
呉州餅花手瑠璃地白花花卉文盤 2点
2015年1月27日出品作品
評価金額:150万



評:惜しいことに2枚とも傷がある。無傷なら300万円でもよい。中国明時代の終わりから清時代のはじめにかけて作られた瑠璃呉須の大皿。これには柿釉といって鉄の釉薬をかけた茶色のものと、呉須をかけた依頼品のような瑠璃手と2種類ある。白泥で中に文様を描いており、これが日本の古正月の餅花とそっくりなので“餅花手”と呼ばれる。裏が砂高台になっており、焼いているときに窯にくっつかないように撒いた砂がざらざらとついている。それがまたこの皿の大きな味わいになっている。

参考作品
呉州餅花手瑠璃地白花花卉文盤
京都国立博物館蔵 寄贈者:原田吉蔵



説明:青や茶色の釉薬の上に、白い釉薬で文様を描いてあるものを、正月飾りの餅花に似ていることから、餅花手と呼んでいる。この盤は典型的な藍地餅花手のもので、類品が江戸の信州高遠藩四谷屋敷跡から出土している。

明末の漳州窯の作品と思われる作品が数多くなりましたが、「餅花手」が最も蒐集が難しいのかもしれません。当方では藍釉の作品を残すところとなりました。


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