畑で虫取り網を振り回し、小生が息子にモンシロチョウを捕ってあげてから、息子にせがまれて義母と家内は蝶が来るたびに虫取り網を振り回しているようです。
時には戦利品を獲ているようで、クロアゲハやアゲハなど子供の垂涎の蝶を捕まえているようです。蝶の掴み方も教えたとおりしているようです。小生が帰宅したら「見せる!」と言っていたらしく、帰宅したらすぐに虫かごを持ってきました。
「さ~、放してあげるんだよ。」と言うと、虫かごから出して逃がしてあげていましたが、放された蝶は息子としばらく遊んでいました。飛んでからもしばらく頭の上を回っていました。なかなかない珍しい光景を見せてくました。
さて、本日はお猪口の紹介です。
古伊万里の猪口は骨董店で気に入った作品があると、少しずつ買い集めています。普段使いなので、男の隠れ家や現在の居の食器棚に納まっており、時折家内が食器として使っています。
食器棚から溢れた作品は骨董店で買ってきた桶を細工した飾り棚などにも置いています。
お猪口は高台が高いものほど価値が高いとか、生掛けの初期伊万里が珍品とか、幾つかの決まりごとがありますが、基本的にはその各々のデザイン性が高く、使いやすいものが良いのでしょう。
幕末から明治期の眼鏡底と呼ばれる作品群は最近までは蒐集の対象外でしたが、近年では品不足のせいか、その作品群まで蒐集対象となり、境目がなくなったようです。
今まで紹介していないと思われる作品を本日は紹介します。
古伊万里 薊文染付のぞき猪口 一対
口径52*高台径*高さ63
江戸中期頃のの古伊万里かな? 「薊」はお猪口にはよく描かれる文様ですが、ここまで染付の面白味が出ている作品は珍しいかと思います。
焼き上がり発色好いです、歪みなく、座りも良い薄い作りの上手作と思われます。
6cmほどの頃良い大きめのサイズで、内側は口縁に「墨はじき」で描かれた草文が効いており、趣があります。
*「墨はじき」:あらかじめ墨で描かれた文様を描き、その上から呉須を塗って窯に入れます。墨は燃えて飛んでしまうので、その部分が白く残るという技法です。この手法は17世紀の中頃にはおこなわれているいて、伊万里の歴史の中では古くからある技法です。蠟抜きという技法とは違い、細かい文様を柔らかく白く残すことができるのでよく使われていたと思われます。本作品のように内側の口縁の部分に用いているのは珍しく、粋ですね。
古伊万里 錆釉のぞき猪口
口径44*高台径34*高さ50
江戸後期の古伊万里かな?
初期伊万里の吸坂手に似ているこのような錆釉薬ののぞき猪口は非常に珍しい。
内側の口縁の染付と文字の文様が洒落ています。ここが現代ものと違う趣向でしょう。幼稚園のバザーで息子が買ってきたコースター・・・、年長組の園児が作ったものです。
お猪口の本流はやはり染付でしょうね。色絵のある錦手はちょっと主流から外れていると思うのは小生だけではないでしょう。
高台は深めのものがやはり味わいがあります。このへんはこだわりというもの。
生掛けの味わいもこだわり・・。
そして図案・・・。
眼鏡底と称される幕末から明治期の作品は、江戸期とは一線を画すべきものかもしれません。
お猪口の良いものは滅多に市場の出なくなりました。数多くあればよいというものではないようで、納得した作品を集めていくようにしています。
当方ではあちらこちらの神々のお水入れに用いています。
骨董はそれを使ったり、飾ったりした人々と古いものが心を通わせることが主眼であり、さらに忘れ去られたような古い作品の中に新たな美やときめきを発見することに本来の愉しみがあるものです。むろん商品としての金額的なことは避けては通れないのですが、「たいしたことではないのだ。」ということを忘れてはいけません。
白洲正子が「美しい、欲しいという衝動を金額で測ってはいけません。」ということを述べており、「なんでも鑑定団」が生み出している「なんでもお金に置き換える」という風潮はいいものではありませんね。
骨董は所詮、子供の頃の昆虫捕りのようなもの、昆虫を金で買ってはつまらない。
さて本日は午後から日帰りで大阪まで出張です。
時には戦利品を獲ているようで、クロアゲハやアゲハなど子供の垂涎の蝶を捕まえているようです。蝶の掴み方も教えたとおりしているようです。小生が帰宅したら「見せる!」と言っていたらしく、帰宅したらすぐに虫かごを持ってきました。
「さ~、放してあげるんだよ。」と言うと、虫かごから出して逃がしてあげていましたが、放された蝶は息子としばらく遊んでいました。飛んでからもしばらく頭の上を回っていました。なかなかない珍しい光景を見せてくました。
さて、本日はお猪口の紹介です。
古伊万里の猪口は骨董店で気に入った作品があると、少しずつ買い集めています。普段使いなので、男の隠れ家や現在の居の食器棚に納まっており、時折家内が食器として使っています。
食器棚から溢れた作品は骨董店で買ってきた桶を細工した飾り棚などにも置いています。
お猪口は高台が高いものほど価値が高いとか、生掛けの初期伊万里が珍品とか、幾つかの決まりごとがありますが、基本的にはその各々のデザイン性が高く、使いやすいものが良いのでしょう。
幕末から明治期の眼鏡底と呼ばれる作品群は最近までは蒐集の対象外でしたが、近年では品不足のせいか、その作品群まで蒐集対象となり、境目がなくなったようです。
今まで紹介していないと思われる作品を本日は紹介します。
古伊万里 薊文染付のぞき猪口 一対
口径52*高台径*高さ63
江戸中期頃のの古伊万里かな? 「薊」はお猪口にはよく描かれる文様ですが、ここまで染付の面白味が出ている作品は珍しいかと思います。
焼き上がり発色好いです、歪みなく、座りも良い薄い作りの上手作と思われます。
6cmほどの頃良い大きめのサイズで、内側は口縁に「墨はじき」で描かれた草文が効いており、趣があります。
*「墨はじき」:あらかじめ墨で描かれた文様を描き、その上から呉須を塗って窯に入れます。墨は燃えて飛んでしまうので、その部分が白く残るという技法です。この手法は17世紀の中頃にはおこなわれているいて、伊万里の歴史の中では古くからある技法です。蠟抜きという技法とは違い、細かい文様を柔らかく白く残すことができるのでよく使われていたと思われます。本作品のように内側の口縁の部分に用いているのは珍しく、粋ですね。
古伊万里 錆釉のぞき猪口
口径44*高台径34*高さ50
江戸後期の古伊万里かな?
初期伊万里の吸坂手に似ているこのような錆釉薬ののぞき猪口は非常に珍しい。
内側の口縁の染付と文字の文様が洒落ています。ここが現代ものと違う趣向でしょう。幼稚園のバザーで息子が買ってきたコースター・・・、年長組の園児が作ったものです。
お猪口の本流はやはり染付でしょうね。色絵のある錦手はちょっと主流から外れていると思うのは小生だけではないでしょう。
高台は深めのものがやはり味わいがあります。このへんはこだわりというもの。
生掛けの味わいもこだわり・・。
そして図案・・・。
眼鏡底と称される幕末から明治期の作品は、江戸期とは一線を画すべきものかもしれません。
お猪口の良いものは滅多に市場の出なくなりました。数多くあればよいというものではないようで、納得した作品を集めていくようにしています。
当方ではあちらこちらの神々のお水入れに用いています。
骨董はそれを使ったり、飾ったりした人々と古いものが心を通わせることが主眼であり、さらに忘れ去られたような古い作品の中に新たな美やときめきを発見することに本来の愉しみがあるものです。むろん商品としての金額的なことは避けては通れないのですが、「たいしたことではないのだ。」ということを忘れてはいけません。
白洲正子が「美しい、欲しいという衝動を金額で測ってはいけません。」ということを述べており、「なんでも鑑定団」が生み出している「なんでもお金に置き換える」という風潮はいいものではありませんね。
骨董は所詮、子供の頃の昆虫捕りのようなもの、昆虫を金で買ってはつまらない。
さて本日は午後から日帰りで大阪まで出張です。