本日は疑わしき作品・・。
以前に紹介した広田多津の作品らしき作品です。
鏡 伝広田多津筆
紙本着色軸装→額装に改装
全体サイズ:縦1890*横647 画サイズ:縦875*横537
軸装でしたが、貧相な軸装であったことと疑わしき作品(模写 贋作)はそれなりに飾るところがあるもので捨てきれずにいた作品でもあります。
本作品の落款と印章は下記のとおりです。落款の書体には違和感はありませんが、マネしやすい書体ですので絶対的な判断基準にはなりません。印章は資料がないのですが未確認ですが、この印章は逆さに押印されています。「逆さ印に贋作なし」という格言はよく言われますが・・・。
軸装には下記写真右のような書付がありました。手元にあった要らなくなった額にマットを仕立てて入れて検証しています。
さて本日紹介する作品もまた疑わしき作品・・。
本作品は資料として入手した作品で、入手に要した費用はは5000円もしませんでした。皆は贋作と思ったのかもしれませんが、当方では資料として調べたかった押印されている印章もあり、真贋相半ばと判断して入手しました。
大いに疑わしき作品 富士之山 伝寺崎廣業筆 その97 明治30年(1897年)頃?
水墨淡彩絹本軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:横1210*縦660 画サイズ:横620*縦420
寺崎廣業としては珍しい構図ですが、画風は明治30年代としてもおかしくないようです。箱書は三本廣業となってからの真作ならこの絵を描いた少し後の明治40年代のものでしょう。普通はこのような面倒な贋作は作りませんが・・。
作品中の落款からは明治30年代と推測され、題や落款の書体には違和感はありません。落款の書体はぎこちなさがありますが、違和感はありません。なおこの時期は短期間で書体が少しずつ幾つかに変遷しています。
この印影は明治30年代の初期の頃の作品に押印されていますが、本作品の印章は資料や他の所蔵品のものよりひと廻り小さく、当方ではこの印章はまだ確認できていません。確認できている印章(下記写真右)とは印影は一致しますが、写真では判断できませんが大きさが違います。大きさの違う印が存在する・・?? これはあり得ることですが・・。
下写真左は箱に貼られた書付です。下写真右は大きさの違う真印です。
この作品を描いたと思われる時期に描いた似たような作風の作品として下記の作品があります。
日露戦争従軍画帖 寺崎廣業・村田丹陵合作 明治38年(1905年)
絹本水墨淡彩画帖 全12枚内11作品 鳥谷幡山・昭和6年鑑定箱
本表装サイズ:縦290*横370 画サイズ:縦250*横325
*画家の村田丹陵は寺崎廣業の義父です。
「日露戦争従軍画」は幾つかの作品が描かれており、版画になって出版もされています。また肉筆でも同じ構図の作品が複数あります。おそらく戦勝のため請われたり、軍部の要請で幾つかの作品を描いたと思われます。
当方にも四幅対に仕立てられた肉筆の作品を所蔵していますが、このように「日露戦争従軍画帖 寺崎廣業・村田丹陵合作」(リストにあるひと作品だけありませんが、おそらく刺激が強いための除かれたのでしょう。代わりに作品を入れて四幅対にはあります。)としてまとめられているものはこの作品は唯一無二でしょう。
*ちなみに寺崎廣業の修業時代に描いた粉本の巻物が当方には三巻ありますが、こちらも非常に貴重な資料となっています。
**寺崎廣業は村田丹陵の娘さんと結婚していますので、上記の画帳は貴重な作品となっています。
この「日露戦争従軍画帖」を描いた頃の画風に本日紹介している作品と似通った作品があります。
本作品を贋作と言い切ってしまえばそれまでですが、誠に悩ましい作品であることに間違いありません。「疑わしき作品」として紹介しますが、当方では筋の良い作品ではないかと判断しています。
二重箱(内箱は上箱)や表具の誂えはいいものですし、いずれにしても5000円分の参考資料代ですが、この投資分の回収は充分できています。
売買される方であれば本日のような作品は扱わないほうがいいでしょうが、当方のような凡人は長らく「いいかな?」と思ったり、「ダメかな?」と思ったり逡巡することになります。