昨日の夕刻は日本橋の三越へ・・。目的はフォーマル用の紳士靴を購入するためです。紳士用の靴にはフォームと色によってフォーマル、ビジネス、カジュアルに使い分けるのが基本のように思います。使い分けを知らない方が多いようですが、マナーを見る人は見ていますので要注意です。
散々迷って靴は日本製にしました。フォーマル用の靴はストレートチップ、皮は艶消し、色は黒、これは最低限の基本ですね。靴の製品名は人の名のような製品ですが、ここまで言うとどこの製品かはお分かりいただけるでしょう。
骨董にこだわる人は靴、着物、スーツ、ネクタイなどや紳士用の小物にまでこだわりましょう。スーツはやはり・・・ですね。スーツやフォーマル用の靴は使う期間はもう限られてきたので身丈に合う程度に贅沢しています。なお最近不要になってきたスーツは廃棄しました。
さて明日から連休中は郷里の男の隠れ家に隠遁します。よって本ブログは不定期的に?投稿します。
本日は男の隠れ家から引っ張り出してきて整理した作品で、元の鞘に納めるために郷里に持ち帰る作品の紹介です。(今回は陶磁器は段ボールで一個分のみと少ないです。)
郷里の作品はまだ整理されていない雑もの?がたくさんあり、暇をつくっては片付けて整理しています。まだまだこのような作品がありましが、ある一定のレベルに達していない作品は廃棄処分とします。
備前花入 柴岡紘一作
共箱
口径*最大胴幅*高さ*底径
共箱でもない限り後世に遺された場合、そう簡単には遺された人には氏素性が判るものではありません。
そういうことのなきように小生は資料と共に遺そうとしています。
小生はインターネットのなき時代、美術年鑑からすべてが始まり、ひとつの作品の氏素性の調べるのに多大な労力を費やしました。
柴岡紘一:昭和16年備前市生まれ。備前陶芸センター終了後伊勢崎満・淳兄弟に師事。昭和46年に窯を築いて独立。日本伝統工芸展他入賞多数。備前市無形文化財。日本工芸会正会員。備前市無形文化財。
こちらは備前の徳利で高原敏の作品です。
備前徳利 高原敏作
共箱
口幅約26*最大胴幅約90*高さ120*底径55
星の数ほどの陶芸作家の作品がありますが、思い出以外を評価対象とすると遺すべき作品は意外に少ないものです。
打ち捨てるのが惜しいと思っていると押し入れから作品が溢れ出す・・。
最近の備前の作品は残念ながらほとんど見るべきものがないように感じます。
備前一輪生 木村素静作
母旧蔵(****から寄贈) 共箱
口径38*最大胴径135*高さ165*底径84
百貨店からの購入品のようですが、書付から母が母の友人から頂戴した作品のようです。
お茶の稽古の時になど母は花を飾るのによく使っていました。華道も習得していた母が生ける花は、主に庭に植えていた花が多く、実に品がよく楽しいものでした。
木村 素静(きむら そじょう):昭和49年岡山県備前焼重要無形文化財伊勢崎淳氏に従事し、昭和54年に独立し長船町に窯を築いた。同年から3年連続で岡山県展入選、57年からは6年連続で女流陶芸展に入賞、また、58年から6年連続で一水会陶芸展に入選、昭和63年には牛窓に窯を築き創作活動を続け、多数の個展を開催するなど長年にわたり岡山備前焼の女流作家として活躍している。
これらも記録として共箱に同封し、次の世代へ・・・。
備前花入 木村陶峰作
共箱
口径32□*最大胴幅110*高さ245*高台53□
母から昭和60年頃に結婚に際して頂いた作品で思い出のある作品です。
この花入れは捻じれ具合が見どころ。捻じれているので備前の焼成による肌の違いがよく見れます。家内もこれは気に入ったようです。
陶正園:備前窯元六姓の名門、木村総本家興楽園12代目木村長十郎友明の子木村正二により1913年に設立された。現代表の木村陶峰は、戦後中央大学法学部に学び、1962年に2代目に就任。戦後のきびしく長かった不況時代を乗り越え、今日の近代的大窯元に発展させた手腕は、大きく評価されている。「良い品を喜ばれる値段で」をモットーに、伝統を生かしながら現代生活にもマッチした作品づくりを目指しているとのこと。
以上の備前の作品ら・・、当時は新進気鋭の作家? 金重陶陽、藤原啓、藤原建、藤原雄らの作品を経て、現代の作家の良き作品を見出そうとして男の隠れ家の先人の思いが伝わる作品です。その思いを記した記録を添付して保存箱に遺しておきましょう。
以上が昨年、男の隠れ家から漁ってきた備前の作品ですが、現在ではそれほど高い評価を受けている作家ではありませんが、作品ひとつひとつは魅力的です。まだいいものがあるかもしれません。
ついでにこちらは古染付の茶巾筒・・、線香入れに使用しています。
古染付 茶巾入
誂箱
幅約26*胴幅26*高さ70*底径26
家内が購入した薄茶器・・。
共箱もありますが、詳細はよくわかりません。
いろんな作品がありますが、今では出来の良しあしである一定のレベルの作品は否かが判断できるようになりました。
これは祭器に使用している対の瑠璃釉の作品です。
本日は数多くの作品の紹介となりましたが、ひとつひとつをブログに投稿するほどの作品ではありませんので、まとめて投稿してみました。
作品はよく勉強して整理することが必要ですが、そのためには勉強となる作品を入手しなくてはなりません。勉強にもならない作品を集めて放置するのでは、これは骨董蒐集とは言えないのでしょう。目につくところに骨董品が山積になっていたり、職場に作品を持ち込むのは言語道断です。あくまでも趣味はスマートに、そして品よく・・。
さ~、郷里の作品ももうすぐ片付きます。今回の帰省では人を頼んで男の隠れ家の骨董類の大処分?の予定です。まだなにか掘り出し物がないかなと密かな期待もありますが、さすがにもうないと踏んでいます。
人間、年を経ると要るものと要らないものが解るようにならないといけないようですね。どんどん衣類も骨董も含めて大処分・・・。男は65歳、女は70歳で身の回りを最低限に整理すべきだそうです。
散々迷って靴は日本製にしました。フォーマル用の靴はストレートチップ、皮は艶消し、色は黒、これは最低限の基本ですね。靴の製品名は人の名のような製品ですが、ここまで言うとどこの製品かはお分かりいただけるでしょう。
骨董にこだわる人は靴、着物、スーツ、ネクタイなどや紳士用の小物にまでこだわりましょう。スーツはやはり・・・ですね。スーツやフォーマル用の靴は使う期間はもう限られてきたので身丈に合う程度に贅沢しています。なお最近不要になってきたスーツは廃棄しました。
さて明日から連休中は郷里の男の隠れ家に隠遁します。よって本ブログは不定期的に?投稿します。
本日は男の隠れ家から引っ張り出してきて整理した作品で、元の鞘に納めるために郷里に持ち帰る作品の紹介です。(今回は陶磁器は段ボールで一個分のみと少ないです。)
郷里の作品はまだ整理されていない雑もの?がたくさんあり、暇をつくっては片付けて整理しています。まだまだこのような作品がありましが、ある一定のレベルに達していない作品は廃棄処分とします。
備前花入 柴岡紘一作
共箱
口径*最大胴幅*高さ*底径
共箱でもない限り後世に遺された場合、そう簡単には遺された人には氏素性が判るものではありません。
そういうことのなきように小生は資料と共に遺そうとしています。
小生はインターネットのなき時代、美術年鑑からすべてが始まり、ひとつの作品の氏素性の調べるのに多大な労力を費やしました。
柴岡紘一:昭和16年備前市生まれ。備前陶芸センター終了後伊勢崎満・淳兄弟に師事。昭和46年に窯を築いて独立。日本伝統工芸展他入賞多数。備前市無形文化財。日本工芸会正会員。備前市無形文化財。
こちらは備前の徳利で高原敏の作品です。
備前徳利 高原敏作
共箱
口幅約26*最大胴幅約90*高さ120*底径55
星の数ほどの陶芸作家の作品がありますが、思い出以外を評価対象とすると遺すべき作品は意外に少ないものです。
打ち捨てるのが惜しいと思っていると押し入れから作品が溢れ出す・・。
最近の備前の作品は残念ながらほとんど見るべきものがないように感じます。
備前一輪生 木村素静作
母旧蔵(****から寄贈) 共箱
口径38*最大胴径135*高さ165*底径84
百貨店からの購入品のようですが、書付から母が母の友人から頂戴した作品のようです。
お茶の稽古の時になど母は花を飾るのによく使っていました。華道も習得していた母が生ける花は、主に庭に植えていた花が多く、実に品がよく楽しいものでした。
木村 素静(きむら そじょう):昭和49年岡山県備前焼重要無形文化財伊勢崎淳氏に従事し、昭和54年に独立し長船町に窯を築いた。同年から3年連続で岡山県展入選、57年からは6年連続で女流陶芸展に入賞、また、58年から6年連続で一水会陶芸展に入選、昭和63年には牛窓に窯を築き創作活動を続け、多数の個展を開催するなど長年にわたり岡山備前焼の女流作家として活躍している。
これらも記録として共箱に同封し、次の世代へ・・・。
備前花入 木村陶峰作
共箱
口径32□*最大胴幅110*高さ245*高台53□
母から昭和60年頃に結婚に際して頂いた作品で思い出のある作品です。
この花入れは捻じれ具合が見どころ。捻じれているので備前の焼成による肌の違いがよく見れます。家内もこれは気に入ったようです。
陶正園:備前窯元六姓の名門、木村総本家興楽園12代目木村長十郎友明の子木村正二により1913年に設立された。現代表の木村陶峰は、戦後中央大学法学部に学び、1962年に2代目に就任。戦後のきびしく長かった不況時代を乗り越え、今日の近代的大窯元に発展させた手腕は、大きく評価されている。「良い品を喜ばれる値段で」をモットーに、伝統を生かしながら現代生活にもマッチした作品づくりを目指しているとのこと。
以上の備前の作品ら・・、当時は新進気鋭の作家? 金重陶陽、藤原啓、藤原建、藤原雄らの作品を経て、現代の作家の良き作品を見出そうとして男の隠れ家の先人の思いが伝わる作品です。その思いを記した記録を添付して保存箱に遺しておきましょう。
以上が昨年、男の隠れ家から漁ってきた備前の作品ですが、現在ではそれほど高い評価を受けている作家ではありませんが、作品ひとつひとつは魅力的です。まだいいものがあるかもしれません。
ついでにこちらは古染付の茶巾筒・・、線香入れに使用しています。
古染付 茶巾入
誂箱
幅約26*胴幅26*高さ70*底径26
家内が購入した薄茶器・・。
共箱もありますが、詳細はよくわかりません。
いろんな作品がありますが、今では出来の良しあしである一定のレベルの作品は否かが判断できるようになりました。
これは祭器に使用している対の瑠璃釉の作品です。
本日は数多くの作品の紹介となりましたが、ひとつひとつをブログに投稿するほどの作品ではありませんので、まとめて投稿してみました。
作品はよく勉強して整理することが必要ですが、そのためには勉強となる作品を入手しなくてはなりません。勉強にもならない作品を集めて放置するのでは、これは骨董蒐集とは言えないのでしょう。目につくところに骨董品が山積になっていたり、職場に作品を持ち込むのは言語道断です。あくまでも趣味はスマートに、そして品よく・・。
さ~、郷里の作品ももうすぐ片付きます。今回の帰省では人を頼んで男の隠れ家の骨董類の大処分?の予定です。まだなにか掘り出し物がないかなと密かな期待もありますが、さすがにもうないと踏んでいます。
人間、年を経ると要るものと要らないものが解るようにならないといけないようですね。どんどん衣類も骨董も含めて大処分・・・。男は65歳、女は70歳で身の回りを最低限に整理すべきだそうです。