夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

双鯉之図 内海吉堂筆 その8(鯉之図 その3)

2019-04-30 00:01:00 | 掛け軸
小生の衣服のボタン付けは息子の役目になりました。道具を使って遊ぶ、仕事するはこの世の基本、鉄は熱いうちに打て!



さて久方ぶりに先週は日本橋の三越に行き、美術品コーナーを覗いてきました。昔から日本橋の三越に行った際には観るようにしているのですが、なにか今回の展示作品はすべて綺麗!と感じました。こぎれいなマンションの部屋に合う作品というイメージです。これも時代かな?と思って観てきました。気に入ったは鈴木蔵のお茶碗、牛島憲之の絵、これは良かった。当然お値段もかわいくない・・・。

*連休中はまた5月の節句が近く、また令和の新時代に向けて「鯉」の作品を書き溜めていた原稿からいくつか投稿します。

さらに久方ぶりに内海吉堂の作品の紹介となります。本作品で8作品目の所蔵となりますが、とくに鯉を描いた作品は人気が高く、こちらは本作品で3作品目です。日本橋三越もまた五月の節句の品々が多々ありました。

双鯉之図 内海吉堂筆 その8(鯉之図 その3)
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合二重箱
全体サイズ:縦*横 画サイズ:縦*横

 

賛は「癸卯(みずのとう、きぼう 1903年 明治36年)之小春吉堂海復寫於蒹葭楊柳室 押印(白文朱方印「内□復印」、朱文白方印「吉堂」」とあり、内海吉堂が52歳頃の作。

  


中国では向かい合う一対の鯉は「相思相愛」の象徴であり、結婚式の贈り物などでも欠かせないアイテムです。鯉はたくさん子供を産む、ということから、子孫繁栄や子宝に恵まれるように、との願いも込められています。『水を得た魚のよう』という例えは新婚夫婦の幸せな生活の様子を表したとされます



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内海吉堂:1849~1925。嘉永2年(1849)12月3日福井県敦賀生まれ。父は内海元紀。本名は復、字は休郷、通称は鹿六。滋賀県湖東の医師・小菅兎峰について漢学を、のち京都に出て四条派の塩川文麟に師事する。花鳥画、特に鯉画を得意とする。明治初年中国に遊学すること2回、各地の旧跡名画に接して研鑚、南画家の道に進む。明治21年京都府画学校に出仕。明治30年第1回全国絵画共進会に『武陵桃源』、明治32年第2回に『東坡遊石鐘山』で銅牌、明治40年『松巒瀑布』で三等銅牌となるなど日本美術協会展で受賞を重ね活躍する。大正元年第6回文展に『船過孟浪梯図』で、翌年第7回文展に『江南春靄』で入選する。大正14年(1925)10月9日京都市で歿、75歳。

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これだけきちんと表具の状態がよいのは珍しいですが、内海吉堂の「鯉」を描いた作品は評価が高いので再表具したのかもしれません。

*塩川文麟のホタル、内海吉堂の鯉の作品は出来不出来はありますが、出来の良い作品は見逃さないほうがいいでしょう。



二重箱に誂えられています。



笑ったような擬人化されて魚の表現は陶芸の金城次郎に通じるものがあると感じるのは小生だけでしょうか?



こういう作品は広々としたところに飾るのがたのしいですね。



金城次郎の作品と対比させてみました。中国では向かい合う一対の鯉は「相思相愛」の象徴・・・・



展示室に光と影を作り出して水の中にいるような演出をしてみても面白いです。。『水を得た魚のよう』という例えは新婚夫婦の幸せな生活の様子を表したということを踏まえての展示です。



鯉はたくさん子供を産む、ということから、子孫繁栄や子宝に恵まれるようにとの願い・・・、もともかく大幅です。



表具も水を現す表具になっています。結婚式の贈り物?? 新婚の新居には大きすぎるでしょうね



鯉の愉しい作品は飾っていてもめでたくていいものです。



我が家の今年の五月の節句の飾り床です。高層マンションが増え最近はこのような床を構えることが少ない住居環境となりましたが、どうも高層マンションの眺めはすぐに飽きがくると思うのですが・・・。きれいはすぐに飽きる、骨董も女性も同じ・・・・

きれいなものを人に自慢できるものだが飽きがくるもの、味のあるものは人には理解できないが自分では面白いもの、いずれどちらが大切かは時間が裁量してくれますね。物も人間も同じこと・・・、さて周囲にあるものはきれいなものもより道具を使って時間を過ごすものが大切。


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