夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

瓢箪から駒とは・・張果老 安田靭彦筆

2010-10-10 10:45:11 | 掛け軸
張果老 安田靭彦
絹本水墨軸装 軸先樹脂合箱
全体サイズ:1180*横410 画サイズ:縦310*横280

「瓢箪から駒」は「瓢箪から駒が出る」を略したもので、冗談で言ったことが意図せずに実現してしまうことやありえないことをたとえて言う際に使うことわざである。

さて「瓢箪から駒」ということが少なくなりましたね。夢を持って仕事や遊びをすることがなくなったせいですかね

日本は少子高齢化でこじんまりとした国になりつつありますね。なにか、「瓢箪から駒」はありませんかね。

たとえば、地方が衰退していますが、「自然が多く残っていい」と放っておいたら大観光地になったとか・・・、円高で大変だと言っていたら日本が世界の土地を買い占めたとか・・・






このことわざの語源は東遊記(とうゆうき)にある。東遊記は『四遊記』の一つ。

八仙の起源を述べたもの。別名「上洞八仙伝」、または「八仙出処東遊記伝」。その八仙の一人である張果(中国、唐代の道士。八仙の一人とされ、張果老ともいう)は恒州中条山に隠居し、尭(ぎょう)の時世に生まれたと称し、白驢(はくろ=白い驢馬)に乗って一日に数万里を行き、休息する時は驢を畳んで腰の瓢(ひさご)に納め、乗る時はその水を噴くと、忽ち驢が現れたという。

一時玄宗(げんそう)の信任を得て都に招かれ、玄宗はその死後棲霞観を建立し祀ったという。白驢に乗っているところがよく画題とされる。

小林古径の作品も見かけたことがあります。

本作品はその語源を画題にした安田靭彦の席画である。洒脱な出来から真作と思われますが、真贋を論じるほどの作品でもあるますまい


安田靭彦:明治17年生まれ、昭和53年没。享年94歳。本名は新三郎。東京に生まれる。

小堀鞆音に師事し、今村紫紅等と紅児会を起こして新日本画の開拓に尽くし、また日本美術院が再興されるやいなや、その同人として尽力した。寡作であるが「守屋大連」や「夢殿」は初期の代表作、「黄瀬川の陣」は日本画の長所を発揮した記念作である。

高雅な洗練された画風に特色があり、古代美術に対する造詣を反映した「日食」や「王昭君」等にも独自な画風を示している。

また画業の他、良寛和尚の筆跡を世に顕揚した功績もある。帝室技芸員、芸術院会員で文化勲章を授与され、昭和26年まで東京芸術大学の教授でもあった。





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2 コメント

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いつの間にやら (米吉)
2010-10-12 05:41:40
先週から私事でバタバタしていまして夜噺を久し振りに拝見。あっという間に秋!に衣替えしていたのですね!ウーン 季節感があって良いですよねえ!
となると、御本人もソロソロ衣替え?
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秋ですね (夜噺骨董談義  )
2010-10-12 11:35:26
米吉さん、お久しぶりです。
吹く風はすっかり秋です。
秋にちなんだ絵を探して投稿してみたいと思います。
ん?・・・プロフィール写真を衣替えしなさいということですね
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