夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

木村武山 その3 不動明王 

2010-12-07 06:17:15 | 掛け軸
不動明王 木村武山筆
絹本銀彩絹装軸所定鑑定人題 共箱二重箱 径330

今月の思文閣の「和の美」というカタログに木村武山の「聖観音」が掲載されていました。
その一文に「木村武山の画境は明治初期の歴史画に始まり、二十代半ばで花鳥画に移り、大正期には琳派風の装飾性を加味するが、四十歳の時に大和・河内方面を訪れた際、河内長野の観心寺の本尊如意輪観音像に感動し、以後、仏画を描くようになった。また最晩年の5年間は、病によって右手の自由が利かなくなったが、左手で絵筆をとり、「左武山」の異名をとるほど、確固とした描線と鮮烈な色彩の作品を生み出したことを考えると、武山の仏画には、人の生に対する敬虔な祈りの心が込められているのだろう」とあります。

本作品は不動明王を、円窓を黒地として銀彩で描いた作品。

不動明王は大日如来が一切の悪魔を降伏するために変化し、忿怒身を現したもの、常に大火焔の中にあって内外の諸難や穢を梵焼し、一切の冤敵を擢滅して衆生を擁護します。

その姿を簡潔に描いた木村武山の佳作。

「代」は前の所定鑑定人の横山陽子女史によるものです。

絵そのものは脳溢血の前の作品と思われ、箱書きは以後と思われるが、最終判断は後学といたします。

軸を改装のために箱に収まらなくなったか、箱の傷みがひどいためかによって、箱を細工し箱を変えています。このことは掛け軸にはよくあることです。



下の作品は知人の所蔵の作品でしたが、売却されたものです。
弘法大師 木村武山筆
絹本金彩色軸装共箱
画サイズ:横350*縦1210

思文閣へ売却(売却金額:40万)弘法大師の絵は珍しいとのこと。落款にぎこちなさがあるため脳溢血以後の左手で描かれた「左武山」と称される作品である。





下記は左から不動明王の本紙の落款、印章、右が箱書きです。前の箱書きが組み込まれています。

 

下は箱書きの落款と印章、右が弘法大師の印章です。



下の写真は木村武山の所定鑑定人である横山陽子の識の書付です。




木村武山:明治9年生まれ、昭和17年没(1876年~1942年)、享年67歳。茨城県笠原藩士の家に生まれる。名は信太郎。初め川端玉章について学び、後に東京美術学校卒業後、岡倉天心の率いる新興画壇の第一線に立ち、前期日本美術院、再興美術院の功労者の一人となる。前半は花鳥画を、後半は仏画を描き、ことに彩色画を得意とした。日本美術院同人となる。「阿房却火」、「孔雀明王」が代表作。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。