巴里 田崎広助画
油彩 額装 サイン:画面右下、裏面左下(H.Tasaki)
全体サイズ:縦350*横485 画サイズ:縦270*横405(P6号)
前の所有者の説明によると「絵画収集家の遺族から依頼された作品。
サインはありますが判読不可能のため、作者不詳とさせていただきます。
厚紙のボードに描いてある肉筆の古い油彩画で、おそらく戦前の作品と思います。
画面の隅に小さなピン穴がありますので、留学した画家がパリの宿泊先の窓辺で描いたスケッチでしょうか。画面の一部分にひび割れがありますが、絵具の剥離の心配はなく、比較的に安定している様子です。」とあります。
田崎広助は昭和7年(1932年から1935年)渡仏しており、その頃の作ではないかと考察されますが、詳細は不明です。
パリで苦学していたのでしょうか・・ダンボールに描いていますから、そのあたりにあったものに描いたのでしょう。キャンパスを購入するお金にも困っていたのでしょうか?ダンボール?のような厚手の紙に描かれていますので、苦学のあとが推察されます。
額は古くて痛みがひどいために新装のものに致しました。サインは「H.TASAKI」と大文字でされるのが通常ですがパリに居た頃は「H.Tasaki」であり、サインは一致します。
この画家も贋作が多いですよ。桜島、阿蘇、富士・・には気をつけてください。
下記の作品は随分前に入手した作品ですが・・・
桜島 伝田崎廣助作
油絵額装裏書サイン共シール 画サイズ:縦230*横320 F4号
田崎広助:1898年福岡県八女郡北山村に生まれる。本名廣次。
1917年福岡県師範学校第二部卒業、坂本繁二郎に師事。1920年画家を目指し上京本郷駒本小学校の図画教師。1923年関東大震災により、東京を引き払い京都に移り、錦林小学校に勤めつつ、京都・聖護院の関西美術学校に学ぶ。1924年錦林小学校の同僚、黒田敏子と結婚、画業に専念。
1926年3点が二科展初入選します。1932年シベリア鉄道にて渡欧 パリのアトリエを拠点として、イタリア、スペインなどに写生旅行 サロン・ドートンヌに『パリの裏町』など3点出品サロン・ド・リーブルに出品。1935年滞欧作7点を二科展に特別陳列。1937年練馬区豊玉にアトリエを構える。
風景画、特に日本の山を多く描き、その中でも阿蘇山を題材にしたものが多い。1975年文化勲章受章1984年東京で歿、享年85歳
油彩 額装 サイン:画面右下、裏面左下(H.Tasaki)
全体サイズ:縦350*横485 画サイズ:縦270*横405(P6号)
前の所有者の説明によると「絵画収集家の遺族から依頼された作品。
サインはありますが判読不可能のため、作者不詳とさせていただきます。
厚紙のボードに描いてある肉筆の古い油彩画で、おそらく戦前の作品と思います。
画面の隅に小さなピン穴がありますので、留学した画家がパリの宿泊先の窓辺で描いたスケッチでしょうか。画面の一部分にひび割れがありますが、絵具の剥離の心配はなく、比較的に安定している様子です。」とあります。
田崎広助は昭和7年(1932年から1935年)渡仏しており、その頃の作ではないかと考察されますが、詳細は不明です。
パリで苦学していたのでしょうか・・ダンボールに描いていますから、そのあたりにあったものに描いたのでしょう。キャンパスを購入するお金にも困っていたのでしょうか?ダンボール?のような厚手の紙に描かれていますので、苦学のあとが推察されます。
額は古くて痛みがひどいために新装のものに致しました。サインは「H.TASAKI」と大文字でされるのが通常ですがパリに居た頃は「H.Tasaki」であり、サインは一致します。
この画家も贋作が多いですよ。桜島、阿蘇、富士・・には気をつけてください。
下記の作品は随分前に入手した作品ですが・・・
桜島 伝田崎廣助作
油絵額装裏書サイン共シール 画サイズ:縦230*横320 F4号
田崎広助:1898年福岡県八女郡北山村に生まれる。本名廣次。
1917年福岡県師範学校第二部卒業、坂本繁二郎に師事。1920年画家を目指し上京本郷駒本小学校の図画教師。1923年関東大震災により、東京を引き払い京都に移り、錦林小学校に勤めつつ、京都・聖護院の関西美術学校に学ぶ。1924年錦林小学校の同僚、黒田敏子と結婚、画業に専念。
1926年3点が二科展初入選します。1932年シベリア鉄道にて渡欧 パリのアトリエを拠点として、イタリア、スペインなどに写生旅行 サロン・ドートンヌに『パリの裏町』など3点出品サロン・ド・リーブルに出品。1935年滞欧作7点を二科展に特別陳列。1937年練馬区豊玉にアトリエを構える。
風景画、特に日本の山を多く描き、その中でも阿蘇山を題材にしたものが多い。1975年文化勲章受章1984年東京で歿、享年85歳
一体これらの作品をどこに、どのように収納し管理しているのやら想像もつきません。
ざっと175点もの作品が既に掲載されてきましたが
今後、このペースで掲載していくとなると在庫の数にも限界があるのでは?と気になるところです。余計な心配には及ばず!でしょうね。
ところで田崎広助は福岡出身で阿蘇山の風景画が多数あるとのこと。熊本生まれの福岡育ちの米吉にとっては親しみを感じる画家のひとりとなりました。
そういえば九州出身ですね。
九州出身の画家は多いですよ。
たしか福田平八郎、田能村竹田も・・・。
貴兄がアドレスを教えた三人のうち一人は当ブログは難解とのこと・・これほど素人向けに書いているのに
芸術の都。
と言われるゆえんがわかったような。
昔から芸術家の憧れだったのでしょうか。
どこもかしこも、彫刻だらけ。ルーブル・オルセー・ヴェルサイユの規模にただただ唖然とするばかり。
でも私はやっぱり日本人だなと、
たった4日間のパリ旅行で実感しました(笑)。
そうですね、海外に行くと生まれ育った日本をより一層意識しますね。
日本は素晴らしい・・・日本人に生まれて良かったと・・・その日本はこれからどうなる
ブログ愛読者に連絡まで・・。
こんなとき何ですが、大々歓迎ですよ。
Tさん、Yさんも!
幹事さんに伝えておきます。
IN FUTONヤレヤレ
当方のブログが連絡板・・・
・・・オーケーですよ、楽しい激励会になりそうですね・・ついでに忘年会にしてしまいましょう