あれからもう8年・・・、なんども被災地を訪れたりといろいろありましたが月日の経つのは早いものであり、ともかく本日は時間になったら黙祷です。
さて本日の作品は寺崎廣業の作品の紹介ですが、印章のみの作品ですが、この作品を寺崎廣業の真作と断定したのはあくまでも当方の経験値と資料からによるものです。
唐美人図 寺崎廣業筆 明治25年(1892年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 誂箱
全体サイズ:縦1270*横420 画サイズ:縦260*横330
第2期 宗山期
落款はなく印章のみの作品です。印章は「廣業」の白文長方印で明治25年頃に押印されている作品が図録などにあります。寺崎廣業の初期とされるこの頃の作品は非常に珍しい作品です。
寺崎廣業は1888年(明治21年)春23歳に上京すると平福穂庵、ついで菅原白龍の門をたたいています。広業は4か月でまた放浪の旅に出ますが、穂庵のくれた三つの印形を懐中にしていたそうです。足尾銅山に赴いて阿仁鉱山で知りあった守田兵蔵と再会し、紹介されて日光大野屋旅館に寄寓し美人画で名を挙げました。
1年半で帰郷し穂庵の世話で東陽堂の「絵画叢誌」で挿絵の仕事をしました。ここで諸派名画を模写し広業の総合的画法の基礎を築いたといわれています。
この当時から寺崎廣業は美人画を数多く手がけていますが、その中には唐美人図を描いた作品が多数あり、この作品は明治25年頃に挿絵の下書きとして描かれてのではないかと推察されます。
席画にようなで保存箱はないものの表具はきちんとしています。
当方の蒐集作品では「秀齋時代」、さらには「粉本の巻物」がこの作品より以前の作品となります。本作品の印章は「菜花に猫」(明治20年代)」秋田千秋博物館蔵、「墨堤之雪(明治26年)」秋田県立近代美術館蔵の作品などにごく僅かの初期の作品に押印された作品が遺るだけえです。
*明治25年邨田丹陵の娘「菅子」と結婚。向島三囲神社の前に住。これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えられる。よって「宗山」の印章、号のある作品は明治25年以降の作と推定されますが、当方の分類では明治20年代までの寺崎廣業を制作年代では第2分類とし「宗山期」としています。
現時点での当方の寺崎廣業についての所蔵作品は下記のような分類数になっています。
第1期:秀齋時代(~明治20年)
第2期:宗山時代(明治20年代)
第3期:二本廣業時代(~明治40年)
第4期:明治時代(~明治45年)
第5期:大正時代
以上76点の作品数となっていますが、パソコン上にデータ化しておくことと並行して当方ではアナログ化してファイリングしておきます。
なお美術館に行ったり、図録を観てもほんの少ししか役に立つことは判りません。
蒐集の第1段階の「自腹で買う事」が骨董の始まりで、所蔵もしないでの勉強はありえないということです。ただ買い方もケチな買い方はまずいけません。極力生活費を削減して苦労していいものを、いいお値段で買わないと骨董蒐集のスタートラインにたてません。スタートラインに立てる人ですら極く僅かの人しかいませんね。インターネットオークションで一万、二万の入札でから始める人はまず失格でしょう。ある程蒐集したら、データを整理したり、蒐集した作品のレベルを見直しましょう・・。
さて本日の作品は寺崎廣業の作品の紹介ですが、印章のみの作品ですが、この作品を寺崎廣業の真作と断定したのはあくまでも当方の経験値と資料からによるものです。
唐美人図 寺崎廣業筆 明治25年(1892年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 誂箱
全体サイズ:縦1270*横420 画サイズ:縦260*横330
第2期 宗山期
落款はなく印章のみの作品です。印章は「廣業」の白文長方印で明治25年頃に押印されている作品が図録などにあります。寺崎廣業の初期とされるこの頃の作品は非常に珍しい作品です。
寺崎廣業は1888年(明治21年)春23歳に上京すると平福穂庵、ついで菅原白龍の門をたたいています。広業は4か月でまた放浪の旅に出ますが、穂庵のくれた三つの印形を懐中にしていたそうです。足尾銅山に赴いて阿仁鉱山で知りあった守田兵蔵と再会し、紹介されて日光大野屋旅館に寄寓し美人画で名を挙げました。
1年半で帰郷し穂庵の世話で東陽堂の「絵画叢誌」で挿絵の仕事をしました。ここで諸派名画を模写し広業の総合的画法の基礎を築いたといわれています。
この当時から寺崎廣業は美人画を数多く手がけていますが、その中には唐美人図を描いた作品が多数あり、この作品は明治25年頃に挿絵の下書きとして描かれてのではないかと推察されます。
席画にようなで保存箱はないものの表具はきちんとしています。
当方の蒐集作品では「秀齋時代」、さらには「粉本の巻物」がこの作品より以前の作品となります。本作品の印章は「菜花に猫」(明治20年代)」秋田千秋博物館蔵、「墨堤之雪(明治26年)」秋田県立近代美術館蔵の作品などにごく僅かの初期の作品に押印された作品が遺るだけえです。
*明治25年邨田丹陵の娘「菅子」と結婚。向島三囲神社の前に住。これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えられる。よって「宗山」の印章、号のある作品は明治25年以降の作と推定されますが、当方の分類では明治20年代までの寺崎廣業を制作年代では第2分類とし「宗山期」としています。
現時点での当方の寺崎廣業についての所蔵作品は下記のような分類数になっています。
第1期:秀齋時代(~明治20年)
第2期:宗山時代(明治20年代)
第3期:二本廣業時代(~明治40年)
第4期:明治時代(~明治45年)
第5期:大正時代
以上76点の作品数となっていますが、パソコン上にデータ化しておくことと並行して当方ではアナログ化してファイリングしておきます。
なお美術館に行ったり、図録を観てもほんの少ししか役に立つことは判りません。
蒐集の第1段階の「自腹で買う事」が骨董の始まりで、所蔵もしないでの勉強はありえないということです。ただ買い方もケチな買い方はまずいけません。極力生活費を削減して苦労していいものを、いいお値段で買わないと骨董蒐集のスタートラインにたてません。スタートラインに立てる人ですら極く僅かの人しかいませんね。インターネットオークションで一万、二万の入札でから始める人はまず失格でしょう。ある程蒐集したら、データを整理したり、蒐集した作品のレベルを見直しましょう・・。