夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

繕いされた器

2017-05-27 00:01:00 | 陶磁器
人は大切なことを失っても腹は減るものです。生きる気力も無くなり、力が抜けてしまっても食べることには貪欲です。人はなにがあろうとも生きることだけは本能として持っています。これは経験したことがないと実感として湧かないかも知れませんが・・。その境地では骨董などは路傍の石に等しいものです。

さて本日は無残に割れて補修された赤い輪線の碗・・。



発掘品なのかもしれませんが、初期伊万里から古伊万里に移行する磁器に作られたと推察する非常に珍しい作品です。



見込みには古九谷のような絵が描かれています。さてこのまま打ち捨てるには勿体ないが、鑑賞するにもあまりにも見苦しいので、輪島塗の補修で縁ができた輪島の工房に相談したみたところ、金繕いの職人さんが補修していただけることになりました。



直ってきたのがこちらです。がさがさに割れたいた口縁を直し、磁体の色は共色に、青と赤の輪線を書き直しくれました。



外側も同様で、脆い感触ではなくなりました。



金繕いなら目立ちすぎるのを抑えた補修方法です。



こちらは古清水焼の属する帯山焼の湯呑です。



茶渋を落とそうという欲から洗浄中に落としてしまい。粉々に割れてしまいました。茶渋は落ちたのですが・・・。



自分で繕いましたが、いまひとつ巧くできませんでしたし、なにしろ水が漏れる



こちらも輪島工房で金繕いの職人さんが直してくれることになりました。



ちょっとした欠け程度なら素人でもできますが、大きな割や共色の必要となり補修は専門に補修する職人に依頼する必要があります。このような依頼によって技術が少しでも遺っていければと思いますね。



作品自体の価値、作品への思い入れと補修費との兼ね合いがありますが、意外と廉価でしてくれるようです。



出来上がってきた作品がこの写真です。内側は金繕いで外側が共色の補修となっています。



外側は一見、どこが割れた部分かわからなくなりました。



湯呑みですが、野点用の茶碗にも使えそうな風格がでてきました。家内も大喜びです。



人は大切なものを失っても傷を負いながらも蘇ります。蘇るようにできているのです。蘇らせるべく食欲や仕事は必ず追いかけてきます。否応なしに・・・。

ものも蘇らせてやるのが人の務めのように思います。



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