夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

群鶴之図 不動立山筆

2018-12-10 00:01:00 | 掛け軸
画集で一度観てからいつかは入手したいと考えていた画家、不動立山の作品を入手しましたので、本日紹介いたします。

群鶴之図 不動立山筆
絹本着色軸装 軸先樹脂 共箱二重箱
全体サイズ:縦2080*横570 画サイズ:縦1210*横420



箱裏には「岬氏清属 昭和九稔夏作之」とあります。昭和9年(1934年)、48歳の頃作。吉祥図であり某岬氏から所望されて描いた作品と想像されます。




*********************************

不動立山:本名定一。明治19年(1886年)4月18日兵庫県三原郡の農家の次男として生れた。同34年上洛し、京都市立美術工芸学校に入学し、38年に卒業した。40年に1年志願兵として合格、陸軍歩兵軍曹となった。また41年から翌42年にかけて神戸市小学校訓導として教鞭をとった。

京都市立絵画専門学校の開校により、ここに学び明治45年第2回の卒業生となった。また大正10年には西山翠嶂に師事し、青甲社の創立に参画している。作品は、最初第6回文展に「冬の夜更」「春雨の夕」が初入選し、ついで第11回に「献燈」(六曲一双)を出品した。



帝展には多くの作品を発表し、次のような作品がみられる。3回「古陵」、第4回「朝雨のあと」、第5回「貴船路の秋」、第7回「遠雷」、第8回「みのる秋」、第9回「観音堂」、第11回「夕立」、第12回「余燼」、第13回「夏時雨」、第14回「放牧」、第15回「曾根沼」等で、新文展では第2回展に「劫火」、3回に「春月」があり、いずれも無鑑査出品である。

昭和17年戦時下疎開のため淡路島に転居し、戦後昭和48年までこの地に滞留していたが昭和48年9月には京都の自宅に戻っている。作品は京都的肌目細かな画風の中に、近代的感覚を導入させたものだが、新文展出品作「劫火」などには、意慾的で逞しいものがみられた。

昭和50年(1975年)8月14日京都市の自宅で老衰のため死去した。享年89歳。

*********************************

鶴をこれほどの数多く一度に数多く描いた作品はありそうで意外に少ない。



吉祥画ゆえ一般的すぎて画の評価云々するような作品と思えない方も多いかもしれませんが、趣豊かな作風は不動立山の真骨頂でしょう。



なんでも鑑定団には下記の作品が出品されています。意外にいい作品を遺しており、また評価が高い画家の一人です。

********************************

参考作品
なんでも鑑定団出品作
2015年7月7日
評価金額:100万



*立山は淡路島出身で、帝展・文展に出展、穏やかで抒情的な作品を残しているが、十分な評価を受けていない。依頼品は大正13年、帝国美術展出品・入選作。堂々として木が覆いかぶさるような表現の立派な作品。牛が歩んでいるが、京都のゆったりとした空気感を醸し出している。残念なのが絵具の剥がれが出てきていること。

********************************

たしかに現在ではあまり知られていない画家ですが、当方ではいつか機会があったら出来の良い作品を入手したいと考えていた画家の一人です。



正月などの床の間の飾りのはうってつけの作品でしょう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。