夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

桜下猫図 中林竹渓筆

2011-09-15 05:44:23 | 掛け軸
南画の投稿が続きますが、おそらくあとそうも長くない間に南画というものが日本人から消え去るかも知れません。それなのになぜ私は大事にするのかは自分でも分かりません。田舎の風景に似ているからなのか、骨董収集の始まりが集めやすい南画から始まったからなのか・・、いずれ損得で割り切れないのが趣味と言うもの。

死というものを意識した時にはこの収集がまったく無意味に感じられました。すべて捨て去ろうかとも思いました。

今は生きるという前提があるところに趣味は存在することに気がついています。

ゴルフにしろ、お酒にしろ自分の好きなものに熱中できる今を大事にしなくてはいけません。

震災で今は苦しい思いの被災者も早く震災時の時からの気持ちを切り替えて欲しいものです。死んだ人々や今のむなしさを忘れるのではなく、なんとか乗り越えるのです。

そのためには苦しくても現実を認識しなくてはなりません。老いた人々が多い東北の人々には酷な面もありますが、生きるということはそういうことが何度もあるのです。

さて、投稿作品の説明です。

中林竹洞の子息で山本梅逸を師とする名古屋出身の画家。

画才の誉れ高く、親は中林竹洞、師は山本梅逸というサラブレットながら、性格に問題があったという記述もあります。要は上司の機嫌をとるということをしなかったとか、協調性が悪かったという内容のようです。

士分という武士社会の組織の中では重要な要素であり、我々サラリーマンと共通したところがあります。


桜下猫図 中林竹渓筆
絹本水墨着色軸装軸先 合箱入
全体サイズ:横402*縦1658 画サイズ:横340*縦958

「懝法 庚戌喜陽於寫東山草堂 竹渓 中林業」とある。



董法山水図とは、中国五代から宋時代初期に活躍した画人董源の画法にならって描かれた作品のことです。淡墨を重ね細かく柔らかな線で平淡に描き出すその画法は、中国南宗画の基本画法の一つとして、後世の画人たちに綿々と伝えられてきました。わが国においても、江戸時代中期以降、数多くの南画家たちが、輸入される雑多な絵画作品や画譜(絵画技法を図解した画法書)類を参考にして董源の画法を学び、それぞれの画面に反映させており、その技法を倣った描き方である。




1850年の作であり、竹渓が34歳の時である。痛んでいたために表具は改装され折れ目は補強されている。出来、落款と賛から真作と断定でき、貴重な作行きの逸品です。


中林竹渓(1816-1867):尾張を代表する文人画家竹洞を父として、京都に生まれる。幼い頃から画才を発揮した竹渓は、父の期待を一身に背負い父得意の中国風山水図の習得に励み、中年以降の竹渓は父の画風に立ち返りつつ、清新な文人画や叙情溢れる風景画の逸品を描いた。竹渓が晩年に到達した画境は幕末の文人画家の中にあっては、特筆すべき完成度を示している。

サラリーマンの組織は様々で、その強さ、弱さを見抜くことが肝要のようです。
身内をかばう傾向にあるので本当の弱さの本質を見つけるのには時間がかかります。


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