最近、本ブログで紹介した福田豊四郎が描いた「軍鶏」(下記の写真)と比較してみようと入手した作品です。
描いたのはあの「田中一村」らしいです。
軍鶏図 田中一村筆 その3
紙本水墨着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:横455*縦1720 画サイズ:横315*縦940
1950年頃40歳前半の作と推定されます。
なんともはや「お上手」という出来です。軍鶏の野生の凄みをうまく表現しています。
色彩は奄美時代の通じるものがあります。
真贋はもはや別にして、この作品は気に入りました。
ちなみに落款は「一村画」となっており、1947年、「白い花」が川端龍子主催の第19回青龍社展に入選した際に、このとき初めて一村と名乗っていますので、40歳以降の作でしょう。
その後、1955年の西日本へのスケッチ旅行が転機となり、奄美への移住を決意していますので、画風からその以前の作、40歳前半の作ではないかと思われます。
印章は朱文白丸印の「師古」で、「米邨」時代からの印章であり、当方の「叭々鳥」と同じ印章です。下記の左写真が本作品の落款と印章で、右写真が「叭々鳥」の落款と印章です。
田中一村は人気の画家ですが、それは奄美大島に移住してからの特徴的な画風の作品によります。その頃の作品は身内によってすべて管理されましたので、市場に出回ることはまずありません。
奄美に移住する前の特に若い頃の「米邨」時代の作品は市場にたまに出回ります。とくに呉昌碩のような文人画風の作品はよく見かけます。貴重なのは「一村」の落款のある40歳代の作品でしょうが、画風が移行する時期で人気が出なかったし、売るということをしなかった時期なので、市場にはなかなか出回りません。
なんでも鑑定団にはその頃の作品である2作品が出品されています。
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参考作品 なんでも鑑定団出品作 2016年11月29日放送
軍鶏図など2点 評価金額:500万円
評:田中一村の作品に間違いない。8歳から40歳までは「米邨」という号を使っていた。印章には「年/三十有九」とあるので、昭和21年、まさに千葉に住んでいた時代の作品。
描かれているのは当時の千葉の原風景。荷車に牛、そして軍鶏。描き方は非常にその当時の近代的な日本画のもの。ところが後ろに描かれた木々は非常に伝統的な水墨画で描いている。一つの画面で彩色画と水墨画を同時に用いるというのが一村の大きな特徴の一つ。依頼品はおそらくその当時のままで、一村が仮表装のまま持ってきたのだろう。そういうことはほとんどないので、このままの状態にしておくというのも資料的には面白い。
参考作品 なんでも鑑定団出品作 2016年11月29日放送
花図屏風 購入金額:1200万円 評価金額:3000万円
評:描かれた時代は40歳代前半、米邨から一村に改めて間もない頃。その頃は支援者が少しおり、依頼品のような大きな作品を何点か描いている。昭和23年の頃の「菊花図」は、割と下の方に描いていて上に空白が残っている。それが昭和25年頃になると、花が画面いっぱいにあふれてくる。一村の心情を表現している気がする。それまでのいろいろな苦しい思いからだんだんと解き放たれて前向きになっているよう。こういったベースがあって、最後の素晴らしい作品群ができたという流れの中の貴重な1点。「一村」と名乗るようになってから売り絵は一切描いていないため、一村落款の作品が出てくることはまずない。
*「一村落款の作品が出てくることはまずない。」というのは51歳で奄美に移住してからはこのことは確実ですが、40歳代の作品は滅多に売りには出されていないものの、作品は人手に渡っていると思われます。
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当方で所蔵している作品は下記の2作品です。
叭々鳥 田中一村(米邨)筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横477*縦1740 画サイズ:横366*縦1035
この作品も40歳前半頃の作と推定されます。一度は贋作だろうと当方で打ち捨てていた作品ですが・・。
本日の作品と同時期より少し前に描いた作品と推察しました。
もう一つは若い頃の作品です。16歳でこのような作品を描いていたというのは田中一村がいかに早熟の画家であったかが解りますね。
大正乙丑初夏之図 田中一村(米邨)筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横450*縦1970 画サイズ:横340*縦1360
この作品には賛に「乙丑(きのとうし、いっちゅう)初夏」と記されており、大正14年(1925年)、田中一村が16歳頃の作と推察されます。
上記の作品である「大正乙丑初夏之図」にも押印されている「師古」という印章は下写真の左で、右の写真は思文閣に掲載の印章で昭和元年、18歳の時の作に押印されています。当方で所蔵している3作品の「師古」の印影は一致しますが、この程度の印章はたやすく偽造できるでしょう。真作のポイントはあくまでも出来。「大正乙丑初夏之図」はまず間違いなく真作と判断しています。
とにもかくにも気に入った作品は多少無理しても、思い切って購入することが大切です。こういう場合は作品が贋作であっても長い目でみれば、いい勉強になるものです。ただし事前に勉強によるある程度の知識と眼力が前提です。むやみに購入するとガラクタの山を築くことになります。
息子と鑑賞・・・。
抜けかけている羽根の描き方にはただならぬ力量がうかがわれます。
気づきにくいですが、墨と色の表現は独特です。なんでも鑑定団に出品された「軍鶏」の作品より後年の作でしょう。出来が良いです。
本作品の入手の決断は、当方にとっては身の程知らずの思い切った決断かもしれません。
描いたのはあの「田中一村」らしいです。
軍鶏図 田中一村筆 その3
紙本水墨着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:横455*縦1720 画サイズ:横315*縦940
1950年頃40歳前半の作と推定されます。
なんともはや「お上手」という出来です。軍鶏の野生の凄みをうまく表現しています。
色彩は奄美時代の通じるものがあります。
真贋はもはや別にして、この作品は気に入りました。
ちなみに落款は「一村画」となっており、1947年、「白い花」が川端龍子主催の第19回青龍社展に入選した際に、このとき初めて一村と名乗っていますので、40歳以降の作でしょう。
その後、1955年の西日本へのスケッチ旅行が転機となり、奄美への移住を決意していますので、画風からその以前の作、40歳前半の作ではないかと思われます。
印章は朱文白丸印の「師古」で、「米邨」時代からの印章であり、当方の「叭々鳥」と同じ印章です。下記の左写真が本作品の落款と印章で、右写真が「叭々鳥」の落款と印章です。
田中一村は人気の画家ですが、それは奄美大島に移住してからの特徴的な画風の作品によります。その頃の作品は身内によってすべて管理されましたので、市場に出回ることはまずありません。
奄美に移住する前の特に若い頃の「米邨」時代の作品は市場にたまに出回ります。とくに呉昌碩のような文人画風の作品はよく見かけます。貴重なのは「一村」の落款のある40歳代の作品でしょうが、画風が移行する時期で人気が出なかったし、売るということをしなかった時期なので、市場にはなかなか出回りません。
なんでも鑑定団にはその頃の作品である2作品が出品されています。
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参考作品 なんでも鑑定団出品作 2016年11月29日放送
軍鶏図など2点 評価金額:500万円
評:田中一村の作品に間違いない。8歳から40歳までは「米邨」という号を使っていた。印章には「年/三十有九」とあるので、昭和21年、まさに千葉に住んでいた時代の作品。
描かれているのは当時の千葉の原風景。荷車に牛、そして軍鶏。描き方は非常にその当時の近代的な日本画のもの。ところが後ろに描かれた木々は非常に伝統的な水墨画で描いている。一つの画面で彩色画と水墨画を同時に用いるというのが一村の大きな特徴の一つ。依頼品はおそらくその当時のままで、一村が仮表装のまま持ってきたのだろう。そういうことはほとんどないので、このままの状態にしておくというのも資料的には面白い。
参考作品 なんでも鑑定団出品作 2016年11月29日放送
花図屏風 購入金額:1200万円 評価金額:3000万円
評:描かれた時代は40歳代前半、米邨から一村に改めて間もない頃。その頃は支援者が少しおり、依頼品のような大きな作品を何点か描いている。昭和23年の頃の「菊花図」は、割と下の方に描いていて上に空白が残っている。それが昭和25年頃になると、花が画面いっぱいにあふれてくる。一村の心情を表現している気がする。それまでのいろいろな苦しい思いからだんだんと解き放たれて前向きになっているよう。こういったベースがあって、最後の素晴らしい作品群ができたという流れの中の貴重な1点。「一村」と名乗るようになってから売り絵は一切描いていないため、一村落款の作品が出てくることはまずない。
*「一村落款の作品が出てくることはまずない。」というのは51歳で奄美に移住してからはこのことは確実ですが、40歳代の作品は滅多に売りには出されていないものの、作品は人手に渡っていると思われます。
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当方で所蔵している作品は下記の2作品です。
叭々鳥 田中一村(米邨)筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横477*縦1740 画サイズ:横366*縦1035
この作品も40歳前半頃の作と推定されます。一度は贋作だろうと当方で打ち捨てていた作品ですが・・。
本日の作品と同時期より少し前に描いた作品と推察しました。
もう一つは若い頃の作品です。16歳でこのような作品を描いていたというのは田中一村がいかに早熟の画家であったかが解りますね。
大正乙丑初夏之図 田中一村(米邨)筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱入
全体サイズ:横450*縦1970 画サイズ:横340*縦1360
この作品には賛に「乙丑(きのとうし、いっちゅう)初夏」と記されており、大正14年(1925年)、田中一村が16歳頃の作と推察されます。
上記の作品である「大正乙丑初夏之図」にも押印されている「師古」という印章は下写真の左で、右の写真は思文閣に掲載の印章で昭和元年、18歳の時の作に押印されています。当方で所蔵している3作品の「師古」の印影は一致しますが、この程度の印章はたやすく偽造できるでしょう。真作のポイントはあくまでも出来。「大正乙丑初夏之図」はまず間違いなく真作と判断しています。
とにもかくにも気に入った作品は多少無理しても、思い切って購入することが大切です。こういう場合は作品が贋作であっても長い目でみれば、いい勉強になるものです。ただし事前に勉強によるある程度の知識と眼力が前提です。むやみに購入するとガラクタの山を築くことになります。
息子と鑑賞・・・。
抜けかけている羽根の描き方にはただならぬ力量がうかがわれます。
気づきにくいですが、墨と色の表現は独特です。なんでも鑑定団に出品された「軍鶏」の作品より後年の作でしょう。出来が良いです。
本作品の入手の決断は、当方にとっては身の程知らずの思い切った決断かもしれません。