夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

日露戦争従軍画帖 寺崎廣業・村田丹陵合作 明治38年(1905年)

2022-02-04 00:01:00 | 日本画
下記のような作品を見つけ、面白そうな作品だったので入手ました。



我が郷里の工芸品である曲げわっぱのような気がします。



用途な水指となっていましたが、どうも大きさから湯桶のようですね。湯桶の中でも茶道具のひとつとしての使う道具でしょう。



湯桶:茶道具の一つ。寒中、露地の蹲踞(つくばい)に湯を入れて出す、割り蓋つきの桶。

外径が30センチあり、家内は首桶みたいと物騒なことを言っていますが・・。



秋田杉の柾目がきれいです。



郷土の工芸品の樺細工のように桜の皮を一部に使っています。一見すると真新しいように見えますが、使っていた形跡もあり最近のものではないかもしれません。



さて本日の作品紹介です。寺崎廣業と寺崎廣業の義父である村田丹陵による日露戦争従軍画帖の合作です。

寺崎廣業は明治25年には画家である邨田丹陵の娘「菅子」と結婚して向島三囲神社の前に住んでいます。そして1904年(明治37年)には日露戦争の従軍していますが、一方で義父である村田丹陵は明治37〜38年の日露戦争では海軍に従軍していますので、同じ戦場において従軍していた可能性はあります。当時の画家達は心ならずも軍の支援の命には従わざる得ない状況であったのでしょう。



日露戦争従軍画帖 寺崎廣業・村田丹陵合作 明治38年(1905年)
絹本水墨淡彩画帖 全12枚内11作品 鳥谷幡山・昭和6年鑑定箱
本サイズ:縦290*横370 画サイズ:縦250*横325

寺崎廣業(橋本雅邦)の門下であった鳥谷幡山による昭和6年に記された鑑定箱に収まっています。

 

所蔵文庫? 非常に珍しい作品ですね。 

表具師によるものと思われる印が押印されています。

印銘にある「石井恒吉」という表具師が実際に存在したようです。
「東京府平民石井市次の二男にして嘉永五年十二月二十九日を以て生れ明治八年二月分れて一家を創む表具師を業とし現時所得税三百七十餘圓を納む。東京、下谷、長者町一ノ四」とありますので、おそらく表具されたのは明治の頃で、昭和になって箱に収められたものと推察されます。

 

冒頭の記述のように、寺崎廣業は明治25年には邨田丹陵の娘「菅子」と結婚して向島三囲神社の前に住んでおり、村田丹陵は義父となります。村田丹陵の父、邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より寺崎廣業は初期の号である「宗山」を与えられています。さらに本画帖の冒頭の文は故実家であった義父の村田丹陵の父、邨田直景のようです。

この画帳は寺崎廣業の郷里からの入手で、軍のためにというより身内により製作されたように推測されます。



画帳の冒頭のリストには下記の12作が記されていますが、「戦後惨状」という作品がありません。



「満州春色」



「海軍根□地」



「十三里砲台戦」



「戦士」



「金州城」



「海軍陸戦隊」



「南山占領」



「幕舎」



「砲弾爆発」



「老孤山月」



「艦艇猛進」



「戦後惨状」という作品が抜き取られた跡がありませんが、凄惨さをうかがえるので最初から製本しなかったかもしれません。

軍からの指示もあったのでしょうが、この従軍時に描いた作品は版画にもなっていますし、同じ作品を数作品描いており、肉筆画でも同構図の作品が存在するようです。

下記の作品を当方では所蔵しています。

日露戦争従軍図 四幅対 寺崎廣業筆 明治38年(1905年)
絹本水墨淡彩軸装 軸先 合箱入
全体サイズ:縦970*横385 画サイズ:縦245*横315



四幅をまとめて購入し「四幅対」に仕立てた作品です。



「十三里砲台戦」



「南山占領」



「老孤山月」 この作品には画帳の作品には描かれていない兵士の姿があります。



そして「戦後惨状」・・、前述のように下記の作品が画帳から抜けていますが、この四幅対の作品によってすべての画帖の作品が明らかになっています。



ともかく資料的には貴重な資料の作品です。寺崎廣業の郷里にとって当方のコレクションが役に立てるようにしておきたいと思っています。



繰り返しになりますが、この従軍した時に描いた寺崎廣業の作品は他にも同図の肉筆の作品が散見され、複数枚描かれたと思われます。また版画にもなっており、肉筆画のどれかが原画なのでしょう。寺崎廣業について当方では初期の頃の粉本もあり、それと合わせて貴重な資料となるように願っています。





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