当方のブログの基本的な目的は作品の整理です。
ブログに記入することでデータ検索が楽になります。自分のパソコンのみのデータだとデータが手元にないとお手上げですが、ブログにデータがあるといつでも検索できるメリットあります。作品の資料をみるためにはこれは意外に便利です。
あくまでもデータ整理での投稿ですので、対象の整理するデータがなくなるとブログは継続を中断することになります。なくなりそうでなくならないのが当方のコレクション・・・・、始めて10年近くなりますがこちらの根気のほうが最近心配になってきました。
さて博多人形などの人形系は当方の蒐集範囲外であり、衝動買いとした言いようがない経緯で購入した作品で以前に本ブログで投稿していた博多人形二点があります。入手時から彩色に欠点があったり、飾っていて一部破損したこともあって、木彫彩色の補修を依頼していた京都の人形店で補修をしていただき、この度補修が完了したので投稿いたします。
*作品の詳細は以前に本ブログで紹介していますので詳細は一部割愛させていただきます。
葵ノ上 博多人形 宗田源造作
作品サイズ:横幅約155*奥行き約16*0高さ約390
作者の宗田源造については下記の記事以外の詳細は残念ながら当方では不明です。作品については箱などもなく資料がありませんでしたので、作品の底に下記の銘があるので題は「葵上」、作者は「宗田源造」であろうと判断しています。
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宗田源造:無形文化財の保持者、卓越技能保持者。戦後から人形作りに従事し、内閣総理大臣賞などの数々の賞を受賞。博多を代表する人形作家。
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無形文化財の保持者ということは人間国宝のことでしょうか? 「葵上」は言わずと知れた源氏物語の「葵の上」のことでしょう。
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葵の上(あおいのうえ):紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。光源氏の最初の正妻。源氏との間に一粒種(夕霧)をもうける。この名は後世の読者がつけた便宜上の名前で、彼女が主役級の扱いを受ける「葵」帖から取られている。父は桐壺帝時代の左大臣、母は桐壺帝の妹の大宮。頭中将という同腹の兄弟がいる(どちらが年上なのかは作中では不明)。光源氏の従姉にあたる。
当初東宮(のちの朱雀帝)妃にと希望されていたが、左大臣の思惑で元服した源氏の北の方に納まる(「桐壺」)。だが密かに藤壺を恋い慕う源氏には、后がね(皇后候補)として大切に育てられた深窓の姫とはいえ物足りない心地がし、葵の上も他の女君にうつつを抜かす4歳下の夫にうちとけず、よそよそしい態度をとっていた。源氏との夫婦仲の冷淡さは、葵の上が詠んだ和歌が一首も登場しないことにも象徴されている(「帚木」~「花宴」)。
10年後(源氏22歳)にようやく懐妊、周囲は喜びに沸き、源氏も悪阻の苦しさに心細そうな葵の上の様子に珍しく愛しさを感じた。折りしも時は賀茂祭(葵祭、4月 (旧暦))、周囲に勧められるままに賀茂斎院の御禊の見物に行ったところ、図らずも家来が源氏の愛人の六条御息所の家来と車争いし、御息所の牛車を壊して恥をかかせてしまう。
この頃から葵の上は物の怪に悩まされて臥せるようになり、床を見舞った源氏の前で彼女に取りついた御息所の生霊が姿を見せるという事件が起きた。8月の中ごろに難産の末夕霧を産み、ようやく源氏とも夫婦の情愛が通い合ったと思うもつかの間、秋の司召の夜に急に苦しんで呆気なく他界。火葬と葬儀は8月20日過ぎに行われ、源氏はそれまで妻に冷たくあたってきたことを後悔しつつ、左大臣邸にこもって喪に服した(「葵」)。
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能の場面を扱うことの多い博多人形ですので、この人形は能の「葵上」の場面と源氏物語の「葵上」をマッチングさせた作品ではないかと推察しています。
能のおける「葵上」の説明は下記のとおりです。
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『葵上』(あおいのうえ):『源氏物語』の「葵」巻に取材した能楽作品。世阿弥改作か。 シテは六条御息所の生霊であり、題にもなっている葵の上は一切登場せず、生霊に祟られ寝込んでいることを一枚の小袖を舞台に寝かすこと(出し小袖)で表現している。 六条御息所は賀茂の祭の際、光源氏の正妻である葵の上一行から受けた侮辱に耐え切れず、生霊(前ジテ)となって葵上を苦しめて
いるのである。
薬石効なく、ついに修験者である横川の小聖が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿(後ジテ)で現われるが、最後は般若の姿のまま、法力によって浄化される場面で終わる。
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能では面を被った舞ですが、そこは博多人形ですから作品を美人像に仕上げています。
基本的に補修のメインは衣装部分。
汚れに非常に弱い博多人形ですから、通常はガラスケースで保管するのがいいのでしょうがそれでも色は退色してきますので、カバーを付けて飾るのがよいのでしょう。
あまり長時間の飾りっぱなしはよくないのでしょうが、博多人形はケースに仕舞いこむにもスペースをとるのが難点です。
ちなみに下記の写真が補修前の全体です。退色具合が解りにくいですが、特に白い衣装に手垢などの汚れは目立つので醜いものでした。
補修の是非のポイントは人形では顔です。下記の写真は補修前です。
補修には髪、眉毛、睫毛などが直されています。
補修前の方が雰囲気が良いとされる方がおられるかもしれませんね。このあたりは難しい判断になるということも今回痛感しました。化粧の濃い女性は魅力が薄れるということか・・??
さてもう一点は川崎虎雄の先の作品です。こちらは顔は補修していません。
博多人形「利休像」 川崎虎雄作
幅185*奥行130*高さ200
博多人形の名工である川崎虎雄の作品ですが、この「利休像」は数多く製作しているようです。
こちらは腕が破損していたりしたので、迷わず補修に踏み切りました。
割れなどの補修跡はすっかりきれいになり、どこが補修されたか解りません。このあたりが補修跡がすぐわかる陶磁器と違いますね。
ケースなどない状態での入手でしたので、そのまま飾っていたのが災いして破損してしまいました。
補修するかしないかは所有者の作品への思い入れ次第ですが、今回の補修に要した費用はこの2作品でおよそ6万円なり。補修期間は数か月要しました。
高いと思うか、安いと思うかは所蔵者次第・・。ただ物を持つということはそういうこと。メンテなどの責任をとるのも蒐集する者の役目と考えています。
この人形も顔が鑑賞のポイントでしょう。
作品を眺めていると男の顔は年を経てよくならねばならぬものと考えてしまいますね。
女性の化粧と年を経た男の顔、人形は奥が深そう・・。人の顔も年と共にどういう人生を歩んできたのか問われるようで、顔には責任が生まれてくるのかもしれません。
先日赤坂の通りを喫茶しながら見ていたら、李朝の骨董店のショーケースを眺めている人よりもフィギュアのお店のショーケースを眺めていく人のほうが断然に多いのにびっくりしました。世の流れはフィギュアにか・・??? フィギュアにはフィギュアについての知見と謂れ、歴史が生まれつつあるのかもしれません。
ブログに記入することでデータ検索が楽になります。自分のパソコンのみのデータだとデータが手元にないとお手上げですが、ブログにデータがあるといつでも検索できるメリットあります。作品の資料をみるためにはこれは意外に便利です。
あくまでもデータ整理での投稿ですので、対象の整理するデータがなくなるとブログは継続を中断することになります。なくなりそうでなくならないのが当方のコレクション・・・・、始めて10年近くなりますがこちらの根気のほうが最近心配になってきました。
さて博多人形などの人形系は当方の蒐集範囲外であり、衝動買いとした言いようがない経緯で購入した作品で以前に本ブログで投稿していた博多人形二点があります。入手時から彩色に欠点があったり、飾っていて一部破損したこともあって、木彫彩色の補修を依頼していた京都の人形店で補修をしていただき、この度補修が完了したので投稿いたします。
*作品の詳細は以前に本ブログで紹介していますので詳細は一部割愛させていただきます。
葵ノ上 博多人形 宗田源造作
作品サイズ:横幅約155*奥行き約16*0高さ約390
作者の宗田源造については下記の記事以外の詳細は残念ながら当方では不明です。作品については箱などもなく資料がありませんでしたので、作品の底に下記の銘があるので題は「葵上」、作者は「宗田源造」であろうと判断しています。
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宗田源造:無形文化財の保持者、卓越技能保持者。戦後から人形作りに従事し、内閣総理大臣賞などの数々の賞を受賞。博多を代表する人形作家。
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無形文化財の保持者ということは人間国宝のことでしょうか? 「葵上」は言わずと知れた源氏物語の「葵の上」のことでしょう。
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葵の上(あおいのうえ):紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。光源氏の最初の正妻。源氏との間に一粒種(夕霧)をもうける。この名は後世の読者がつけた便宜上の名前で、彼女が主役級の扱いを受ける「葵」帖から取られている。父は桐壺帝時代の左大臣、母は桐壺帝の妹の大宮。頭中将という同腹の兄弟がいる(どちらが年上なのかは作中では不明)。光源氏の従姉にあたる。
当初東宮(のちの朱雀帝)妃にと希望されていたが、左大臣の思惑で元服した源氏の北の方に納まる(「桐壺」)。だが密かに藤壺を恋い慕う源氏には、后がね(皇后候補)として大切に育てられた深窓の姫とはいえ物足りない心地がし、葵の上も他の女君にうつつを抜かす4歳下の夫にうちとけず、よそよそしい態度をとっていた。源氏との夫婦仲の冷淡さは、葵の上が詠んだ和歌が一首も登場しないことにも象徴されている(「帚木」~「花宴」)。
10年後(源氏22歳)にようやく懐妊、周囲は喜びに沸き、源氏も悪阻の苦しさに心細そうな葵の上の様子に珍しく愛しさを感じた。折りしも時は賀茂祭(葵祭、4月 (旧暦))、周囲に勧められるままに賀茂斎院の御禊の見物に行ったところ、図らずも家来が源氏の愛人の六条御息所の家来と車争いし、御息所の牛車を壊して恥をかかせてしまう。
この頃から葵の上は物の怪に悩まされて臥せるようになり、床を見舞った源氏の前で彼女に取りついた御息所の生霊が姿を見せるという事件が起きた。8月の中ごろに難産の末夕霧を産み、ようやく源氏とも夫婦の情愛が通い合ったと思うもつかの間、秋の司召の夜に急に苦しんで呆気なく他界。火葬と葬儀は8月20日過ぎに行われ、源氏はそれまで妻に冷たくあたってきたことを後悔しつつ、左大臣邸にこもって喪に服した(「葵」)。
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能の場面を扱うことの多い博多人形ですので、この人形は能の「葵上」の場面と源氏物語の「葵上」をマッチングさせた作品ではないかと推察しています。
能のおける「葵上」の説明は下記のとおりです。
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『葵上』(あおいのうえ):『源氏物語』の「葵」巻に取材した能楽作品。世阿弥改作か。 シテは六条御息所の生霊であり、題にもなっている葵の上は一切登場せず、生霊に祟られ寝込んでいることを一枚の小袖を舞台に寝かすこと(出し小袖)で表現している。 六条御息所は賀茂の祭の際、光源氏の正妻である葵の上一行から受けた侮辱に耐え切れず、生霊(前ジテ)となって葵上を苦しめて
いるのである。
薬石効なく、ついに修験者である横川の小聖が呼ばれ祈祷が始まると、生霊は怒り、鬼の姿(後ジテ)で現われるが、最後は般若の姿のまま、法力によって浄化される場面で終わる。
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能では面を被った舞ですが、そこは博多人形ですから作品を美人像に仕上げています。
基本的に補修のメインは衣装部分。
汚れに非常に弱い博多人形ですから、通常はガラスケースで保管するのがいいのでしょうがそれでも色は退色してきますので、カバーを付けて飾るのがよいのでしょう。
あまり長時間の飾りっぱなしはよくないのでしょうが、博多人形はケースに仕舞いこむにもスペースをとるのが難点です。
ちなみに下記の写真が補修前の全体です。退色具合が解りにくいですが、特に白い衣装に手垢などの汚れは目立つので醜いものでした。
補修の是非のポイントは人形では顔です。下記の写真は補修前です。
補修には髪、眉毛、睫毛などが直されています。
補修前の方が雰囲気が良いとされる方がおられるかもしれませんね。このあたりは難しい判断になるということも今回痛感しました。化粧の濃い女性は魅力が薄れるということか・・??
さてもう一点は川崎虎雄の先の作品です。こちらは顔は補修していません。
博多人形「利休像」 川崎虎雄作
幅185*奥行130*高さ200
博多人形の名工である川崎虎雄の作品ですが、この「利休像」は数多く製作しているようです。
こちらは腕が破損していたりしたので、迷わず補修に踏み切りました。
割れなどの補修跡はすっかりきれいになり、どこが補修されたか解りません。このあたりが補修跡がすぐわかる陶磁器と違いますね。
ケースなどない状態での入手でしたので、そのまま飾っていたのが災いして破損してしまいました。
補修するかしないかは所有者の作品への思い入れ次第ですが、今回の補修に要した費用はこの2作品でおよそ6万円なり。補修期間は数か月要しました。
高いと思うか、安いと思うかは所蔵者次第・・。ただ物を持つということはそういうこと。メンテなどの責任をとるのも蒐集する者の役目と考えています。
この人形も顔が鑑賞のポイントでしょう。
作品を眺めていると男の顔は年を経てよくならねばならぬものと考えてしまいますね。
女性の化粧と年を経た男の顔、人形は奥が深そう・・。人の顔も年と共にどういう人生を歩んできたのか問われるようで、顔には責任が生まれてくるのかもしれません。
先日赤坂の通りを喫茶しながら見ていたら、李朝の骨董店のショーケースを眺めている人よりもフィギュアのお店のショーケースを眺めていく人のほうが断然に多いのにびっくりしました。世の流れはフィギュアにか・・??? フィギュアにはフィギュアについての知見と謂れ、歴史が生まれつつあるのかもしれません。