夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

流雲 藤井達吉筆 その15 & 金重陶陽

2016-12-15 00:01:00 | 掛け軸
今週は社内の忘年会。赤坂にある老舗の料亭での忘年会でしたが、同僚とオーナーがなんと同級生であったそうな・・。

床には大きめに堂本印象の額装の見事な山水画、玄関には魯山人の壷。懇親を深めたほかに眼も潤いました。料亭での一流のものとの触れ合いはとんと少なくなってきた昨今ですが、解る人も少なくなってきたように思います。

さて藤井達吉の画の作品に魅せられて蒐集して、ようやく15作品目の作品の紹介となります。

流雲 藤井達吉筆 その15
紙本水墨軸装 軸先陶器 共箱
全体サイズ:縦1500*横415 画サイズ:縦630*横240



藤井達吉は昭和25(1950)年から31(1956)年まで碧南市の道場山に住みましたが、故郷での藤井の生活を支えたのは碧南市民をはじめとする藤井を敬愛する方々でした。「野菜を持って行った時に水墨をお礼に描いてくれた」というエピソードが多々あり、気軽に作品を人に差し上げることが多かったようで、まくりの状態の作品や共箱でない作品が数多く存在します。



それゆえ、共箱でない作品が多く、また栗木伎茶夫氏など直接藤井の教えを受けた方々の鑑定した箱書のある作品も数多くあります。そして意外に少ないのが共箱の作品です。本作品のような共箱の作品は貴重となります。藤井達吉の画の贋作は少ないのですが、やはり共箱や鑑定箱のあるきちんとした作品が市場では評価されるようです。



美術学校にも行けず、独学で芸術の道を歩んだ達吉に美を教えたものは、「自然」であったそうです。草花の無駄の無い美しさに美の本質を見つけ、そこから芸術を学んだと語っています。路傍の雑草一本にも心を使い、庭は手入れをせず、自由奔放に育った雑草と四季の移り変りの美を大切にしたと・・・。



「自然を見つめる。言い換えれぱ自然を愛すること。そして自然に教えられることが芸術の第一歩ではなかろうか。」、「写生をし、写生を超越して創造に行くのが芸術である。」と言っています。

根底にあるものは「自然を観察せよ。」の信念であり、全てここから出発しています。このことは、達吉の多くの作品の基となっているデザインに見つけることができます。



工芸については、

「工芸とは本来、絵画・彫刻・及び工芸全般を包合し、総合的に作られてこそ一つの作品となるもので、その内一つでも欠けることは許されない。」

「工芸においては、絵画も一義、図案も一義、素材も一義、枝術も一義であり、全てが整って初めて一つの作品となる。つまり、工芸は全ての芸術的要素を含んだ総合芸術である。」と・・・。

そして、「旧来、工芸品は数人の分割された職人の手仕事によって作られており、作り手の作意は表に出さなかったが、これでは本当の芸術とは言えない。一つの作品の、図案から制作までを一人でおこない、作者の人間性を表現して初めて芸術作品と言える。」と言っている。

この言葉には小生も大いに賛同します。



芸術については、「芸術作品は、作者の人間性、全人格が優劣を決めるのであって、技術ではない。」、「最後は『人格』に帰する。何をしてもこの『人格』の表現だ。」と言っているように、人格の大切さを唱えています。

そして、芸術を行なう理由として「より人間らしく生き、人間らしく生きるために芸術をおこなうのである。」と言っています。

達吉の言う「人間らしさ」とは、常に向上すること。つまり、咋日より今日、今日より明日の自分の方が進歩していて、死ぬときが最高の自分であることを求めつづけるという意味、人が人を、自然を愛し、慈しみ、感謝し、心豊かに生活することと言えるのでしょう。

友人に当てた書簡につぎの言葉がある。

芸術とは何ぞや宗教なり 
宗教とは何ぞや真実なり 
真実とは何ぞや愛なり 
愛とは何ぞや芸術なり

藤井達吉の言葉からは芸術至上主義のような印象を持たれる方も多いでしょうが、芸術だけだなく、人間の生、そのものに当てはまる言葉のように思います。



達吉は師も弟子もなく、生涯独身ですごし一切の妥協を排し、名利に悟淡として一所不在の生活をおくり、「孤高の芸術家」といわれました。多くの苦悩を超え、自然の教えに帰依し、後半生の藤井の作品は文人画的性格が強まりました。

その後半生の作品の代表格のひとつが藤井達吉の水墨画です。

ちなみに手前の作品は以前に紹介しました金重陶陽の作品です。以前に本ブログでも紹介しました。

備前一輪花入 金重陶陽作 その5(整理番号)
共箱
幅120*奥行き100*高さ190



金重陶陽は人気を失っていた備前焼を再興させることに成功し、ご存知のように初代人間国宝にして「備前焼中興の祖」と称されています。金重陶陽の作品は紛らわしい贋作が多いので共箱が重要となります。



自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れません。小生もファンなのですが、なかなかその作品の蒐集はお値段も高く、贋作も多いので困難を極めています。



陶陽は没年となる昭和42年に、岡山県で開催された全国植樹祭に出席のため来岡された 昭和天皇皇后両陛下に対して轆轤実演を披露していますが、この時の印象をもとに、皇后陛下は次の歌を発表した。この歌を紹介し、結びとしたい。

備 前 焼 「孫のごと若きに轆轤まはさせて 土のたくみは鉢つくりなす」



古備前を見つめつつ新しい備前を再構築した金重陶陽もまた藤井達吉と同時代を生き抜いた「真の工芸」を作り出した一人と言えるのでしょう。



備前の中ではやはり最高峰の作品を作り出した陶工です。



底には「ト」の刻銘のある作品です。



展示室に飾ってみた藤井達吉と金重陶陽・・、意外にマッチングするものかと・・。描いた人、作った人物が解っている作品はその人となりも鑑賞の対象となるもののようです。


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