夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

お気に入りの作品 修理完了 田村将軍 木彫彩色像 加納鉄哉作 明治40年作 その2

2021-01-15 00:01:00 | 彫刻
ときおりコメントを頂いている元同僚の米吉さんから今年も干支のマスコットが届きました。米吉さんが自ら作っているオリジナル作品です。家内と作品を眺めながら、思わずニコリとさせらる作品です。しばらく親しくお会いできていませんが、元気そうで安心しています。



さて本日はずいぶんと痛んでいた作品ですが、数か月要して、この度補修が完了しました。作品そのものは以前に投稿した作品ですので詳細は省略させていただきます。

修理完了 田村将軍 木彫彩色像 加納鉄哉作 明治40年作 その2
底彫銘 共箱 補修必要→補修完了
作品サイズ:高さ310*幅135*奥行155



上記写真では、後方の丸い作品が加納銕哉作を修復した作品、前方の「福の神」の作品が市川銕琅作を修復した作品です。修復された二作品ですが師弟関係の作品ですね。左の祖父の家訓と共に祀っています。

半年ほど前に修理を京都にある専門店に依頼して、この度ようやく修理が完了して手元に届きました。修理前の写真が下記のものです。



大きな破損はないもののひび割れや欠損、色彩の剥落が多い作品でした。



弓矢や太刀に欠損がないのは奇跡的と言えます。



同じ作品にももっと痛んだ同じ作品が見られ、同様の作品が複数存在するようですが、どれくらいの数が作られたか知りません。約100年前の作であり、良好な状態で遺っている作品は稀有と思われます。



本作品は顔の部分の欠損はとくに修理を必要と判断させる状態です。



本作品は共箱があり、共箱裏には「丁未六月大吉日 寶藻庵主鉄哉拝施 押印」とあり、作品の足底には「鉄哉造拝」、「丁未年□□吉 以下不明」と記されており、1907年(明治40年)加納鉄哉が63歳の作となります。

 

坂上田村麻呂は4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて蝦夷征討に功績を残しています。薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍し、死後は平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、のちに「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて武神や軍神として信仰の対象となりました。



現在は武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの「田村語り」、並びに坂上田村麻呂伝説が創出されています。むろん神格化され多くの神社の祀られています。



神格化された坂上田村麻呂の像ですので、きちんと修復していただきました。



作られてから100年の古さを生かしながらの修復です。



顔の部分もきれいに直されています。あまりにきれいに直しすぎてもいけないのでほどほどに直したようです。



弟子の市川鉄琅については作品を幾つか紹介していますが、師である加納鉄哉については2作品目の紹介です。近代木彫という範疇では加納鉄哉は見落とされがちですが、当方としてはこのような彫刻作品は好きな作品群です。修復によって今後ながらく大切に保存していきたい作品のひとつになりました。





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2 コメント

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反芻咀嚼 (夜噺骨董談義)
2021-01-16 17:42:56
丑吉の舌舐めずりの表情の意図するところはそのように奥深いとは驚きですね。
丑は胃袋が複数あるのでそれが可能なのかもしれませんね。当方もそうありたいものです。情報を単純に直情的に鵜呑みしないで反芻咀嚼といきたいものですが、反芻咀嚼を試みると忘却の彼方ということになりかねない認知症に近いこの頃です。
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丑吉をご愛顧くださいませ (米吉)
2021-01-15 19:01:13
丑吉も、本ブログでのご紹介を心より喜んでいるようです。
ところで、丑吉本人によると、縁起の良い亀甲柄を背景にカウベルを首にVサインを掲げていますが、実は「反芻の真っ最中」とのこと。
コロナ禍で、より多くの情報が錯綜するなか、一旦取り入れた情報を反芻咀嚼して吸収すべく、
両頬にいっぱい頬張り、理解納得した情報に「舌舐めずり」しているとの事。
やるね!丑吉!
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