今日は50年以上前に亡くなった父の命日ですので仏様の作品の紹介です。天野方壷はかの富岡鉄斎から「師匠」と崇められた画家であり、その技量には侮れないひとかどならぬものがあります。
瀧見(観瀑)観世音像図 天野方壷筆 その5
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 極箱
全体サイズ:縦2130*横680 画サイズ:縦1450*横410
賛から明治20年の作と推定されます。明治27年(1894)歿、享年67才ですから、1887年60歳の作となります。
本ブログでは他に明治26年(1893年)、69歳の作の同図の作品を所蔵しています。
掛け軸を黴臭いと毛嫌いする方がいますが、たしかに保存方法が悪いと本作品のようにシミが発生することになります。
ただそれを許容して余りある魅力のある作品に本作品はなっています。
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瀧見観音:三十三観音の一で、岩山に座して静かに瀧を見る姿である。大方の図像は、断崖の岩上に 寄りかかるように坐り、向かって左側、観音の右手方に瀧を配し、瀑布をじっと見つめる尊容であるが、作日によっては左右が逆になっている作品もあります。
俗塵のおよばない深山幽谷の岩上に静かに安座する姿で、『観音経』に「たとい害する心を興して大なる火の坑に推き落とされんも、火の観音の力を念ずれば火の坑は変じて池とならん」とあります。悪意に満ちた火焔が瀧の飛瀑の力によって鎮火し清浄な心にさせてくる観音様です。
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天野方壷の名はそれほど知られていませんが、出身地の愛媛県では続木君樵と並んで伊予画壇の双壁といわれていました。天野方壷の経歴については、その実家に伝わる明治17年に書かれた自筆の履歴書により知ることができます。
文政7年(1824)8月16日、伊予松山藩の三津浜(松山市三津)に生まれた方壷は、13歳で京都に出て、文人画家の中林竹洞や、書家としても有名な儒者の貫名海屋に学んだのち、関西から山陽山陰を経て九州四国まで数年にわたり西日本各地を歴遊し、勝景、奇景を写生したり古画書を模写したりして修行を続けました。
21歳のとき一旦は京都に戻り、日根対山に師事しましたが間もなく京都を発って関東へ旅行、江戸に至り、渡辺華山高弟の椿椿山に学んだあと、蝦夷地にまで行って海岸の勝景を写生しています。さらに、長崎で木下逸雲に学び、明治維新後、明治3年47歳の時には中国上海に渡航し、胡公寿にも師事しました。
各地の有福な書画の愛好の庇護をうけつつ、休みなく全国を旅し画道修行を続けた彼は、明治8年52歳になってようやく京都に居を構え定住しました。画号としては方壷のほか、盈甫、三津漁者,銭幹、真々,石樵、銭岳、雲眠、白雲外史など多数あり、時々に自分の心境に合った号を付け、楽しんでいたものと思われます。この間35歳の時、那須山の温泉で洪水に見舞われ、溺死しかかったが九死に一生を得ています。しかし、この時携えていた粉本、真景などをことごとく失いました。また、49歳の時東京に寓居中火災に会い、粉本をことごとく焼失しました。
ほとんど日本全国に足跡を残してますが、京都に定住したのちは、四季の草花を栽培しこれを売って生計を営み、売花翁と号していたほか、京都府画学校(現在 京都市立芸術大学)に出仕を命じられたり、内国絵画共進会に出品したりしながらもやはり歴遊を続け、明治28年旅先の岐阜で逝去しました。享年72歳でした。墓は京都市上賀茂の霊源寺にあります。
方壷と交際のあった文人画の巨匠、富岡鉄斎は、私的な筆録(メモ帳)の中で方壷のことを [画匠]と記していて、かなり高く評価していたことが窺えます。
鉄斎といえば[萬巻の書を読み万里の路を行く]を座右の銘として、全国を旅行しましたが、この[万里を行く]ことに関しては方壷は
鉄斎を凌駕しているかもしれません。
愛媛県美術館には彼の作品が42点所蔵されているそうです。平成16年は方壷生誕180年に当たり。これに因んで当美術館分館の萬翠荘において7月17日から8月29日の間展覧会が開催され作品20点が展示されました。また、平成15年の10月3日から12月25日まで福島県の桑折町種徳美術館において天野方壷展が開催され、作品13点が公開されました。
本ブログでは他に明治26年(1893年)、69歳の作の同図の作品を所蔵しています。
瀧見観世音像図 天野方壷筆 その1
絹本墨淡彩軸装 軸先塗 合箱
全体サイズ:縦1540*横540 画サイズ:縦1100*横410
賛には「明治癸巳(みずのとみ)一月十一日謹書於天香書屋南窓下 方壷天吉 押印(「天埜□印、白文朱方印」)」とあり、明治26年(1893年)の作と推察されますので、「その1」は「その5」より6年後の制作の作品です。
著名な画家の作品を蒐集するのもいいのですが、名が埋もれかけた画家の作品の蒐集も愉しいと感じさせてくれる画家のひとりですね。
瀧見(観瀑)観世音像図 天野方壷筆 その5
絹本水墨淡彩軸装 軸先木製 極箱
全体サイズ:縦2130*横680 画サイズ:縦1450*横410
賛から明治20年の作と推定されます。明治27年(1894)歿、享年67才ですから、1887年60歳の作となります。
本ブログでは他に明治26年(1893年)、69歳の作の同図の作品を所蔵しています。
掛け軸を黴臭いと毛嫌いする方がいますが、たしかに保存方法が悪いと本作品のようにシミが発生することになります。
ただそれを許容して余りある魅力のある作品に本作品はなっています。
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瀧見観音:三十三観音の一で、岩山に座して静かに瀧を見る姿である。大方の図像は、断崖の岩上に 寄りかかるように坐り、向かって左側、観音の右手方に瀧を配し、瀑布をじっと見つめる尊容であるが、作日によっては左右が逆になっている作品もあります。
俗塵のおよばない深山幽谷の岩上に静かに安座する姿で、『観音経』に「たとい害する心を興して大なる火の坑に推き落とされんも、火の観音の力を念ずれば火の坑は変じて池とならん」とあります。悪意に満ちた火焔が瀧の飛瀑の力によって鎮火し清浄な心にさせてくる観音様です。
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天野方壷の名はそれほど知られていませんが、出身地の愛媛県では続木君樵と並んで伊予画壇の双壁といわれていました。天野方壷の経歴については、その実家に伝わる明治17年に書かれた自筆の履歴書により知ることができます。
文政7年(1824)8月16日、伊予松山藩の三津浜(松山市三津)に生まれた方壷は、13歳で京都に出て、文人画家の中林竹洞や、書家としても有名な儒者の貫名海屋に学んだのち、関西から山陽山陰を経て九州四国まで数年にわたり西日本各地を歴遊し、勝景、奇景を写生したり古画書を模写したりして修行を続けました。
21歳のとき一旦は京都に戻り、日根対山に師事しましたが間もなく京都を発って関東へ旅行、江戸に至り、渡辺華山高弟の椿椿山に学んだあと、蝦夷地にまで行って海岸の勝景を写生しています。さらに、長崎で木下逸雲に学び、明治維新後、明治3年47歳の時には中国上海に渡航し、胡公寿にも師事しました。
各地の有福な書画の愛好の庇護をうけつつ、休みなく全国を旅し画道修行を続けた彼は、明治8年52歳になってようやく京都に居を構え定住しました。画号としては方壷のほか、盈甫、三津漁者,銭幹、真々,石樵、銭岳、雲眠、白雲外史など多数あり、時々に自分の心境に合った号を付け、楽しんでいたものと思われます。この間35歳の時、那須山の温泉で洪水に見舞われ、溺死しかかったが九死に一生を得ています。しかし、この時携えていた粉本、真景などをことごとく失いました。また、49歳の時東京に寓居中火災に会い、粉本をことごとく焼失しました。
ほとんど日本全国に足跡を残してますが、京都に定住したのちは、四季の草花を栽培しこれを売って生計を営み、売花翁と号していたほか、京都府画学校(現在 京都市立芸術大学)に出仕を命じられたり、内国絵画共進会に出品したりしながらもやはり歴遊を続け、明治28年旅先の岐阜で逝去しました。享年72歳でした。墓は京都市上賀茂の霊源寺にあります。
方壷と交際のあった文人画の巨匠、富岡鉄斎は、私的な筆録(メモ帳)の中で方壷のことを [画匠]と記していて、かなり高く評価していたことが窺えます。
鉄斎といえば[萬巻の書を読み万里の路を行く]を座右の銘として、全国を旅行しましたが、この[万里を行く]ことに関しては方壷は
鉄斎を凌駕しているかもしれません。
愛媛県美術館には彼の作品が42点所蔵されているそうです。平成16年は方壷生誕180年に当たり。これに因んで当美術館分館の萬翠荘において7月17日から8月29日の間展覧会が開催され作品20点が展示されました。また、平成15年の10月3日から12月25日まで福島県の桑折町種徳美術館において天野方壷展が開催され、作品13点が公開されました。
本ブログでは他に明治26年(1893年)、69歳の作の同図の作品を所蔵しています。
瀧見観世音像図 天野方壷筆 その1
絹本墨淡彩軸装 軸先塗 合箱
全体サイズ:縦1540*横540 画サイズ:縦1100*横410
賛には「明治癸巳(みずのとみ)一月十一日謹書於天香書屋南窓下 方壷天吉 押印(「天埜□印、白文朱方印」)」とあり、明治26年(1893年)の作と推察されますので、「その1」は「その5」より6年後の制作の作品です。
著名な画家の作品を蒐集するのもいいのですが、名が埋もれかけた画家の作品の蒐集も愉しいと感じさせてくれる画家のひとりですね。