夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家 群仙会遊之図 小田海僊筆

2012-11-07 08:12:43 | 掛け軸
京都画壇のもう一人に巨匠といえる画家です。

このような中国趣味の作品は好みが大きく作用することになります。

群仙会遊之図 小田海僊筆
絹本水墨淡彩 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦2020*横660 画サイズ:縦1230*横510




「王羸之印」の白方印、「巨海□」の朱方印が押印されています。

 


小田海僊:天明5年(1785年)~文久2年閏8月24日(1862年10月17日))は、江戸時代後期の日本の南画家。 通称良平、名は羸(るい)または瀛(えい)。 字を巨海、号は海僊の他に百谷または百穀。









周防国富海(現 山口県防府市富海)に生まれ、長門国赤間関(現 山口県下関市)の紺屋(染工)を営む小田家の養子となったいます。 22歳のとき、京都四条派の松村呉春に入門し、同門の松村景文や岡本豊彦らと名声を競ったが、やがて頼山陽に感化され南画に転向しています。





九州に遊学し、中国元明時代の古書画の模写をするなどして研究を重ねて、独自の画風を確立した。文政7年(1824年)、萩藩の御用絵師となり、一時江戸に滞在。2年後、京都に戻り活動。嘉永元年(1848年)から安政元年(1854年)にかけて画室を設けているが、このころ富岡鉄斎に絵を教えたと推定されています。



さて、仙人が集まって何をしているのやら・・。楽しそうに書を読んだり、書いたりしているようです。



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