peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

岩手県立美術館の彫刻(その2) 2014年5月25日(日)

2014年05月27日 | 絵画

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2014年5月25日(日)、岩手県立美術館(盛岡市本宮字松幅12-3) で開催中 [4/12(土)~6/8(日)] の「生誕100年!植田正治のつくりかた」という写真展を観るために、一関市博物館のバスツアーに参加しました。植田正治は、独特な演出写真により国内外で絶大な人気を誇る写真家で、本展では写真集「童暦」に収録されている30点のモノクロ写真をはじめとして代表作約150点が展示されていました。

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1階の企画展示室で開催中の「生誕100年!植田正治のつくりかた」という写真展を一通り見た後、2階の「常設展」を観るために階段を上がって2階に行きました。

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常設展受付の前に「岩頭の女(ひと)」と名付けられた大きな彫刻(ブロンズ像)が展示されていました。2011(平成23)年3月11日の大津波により、台座から分断され、激しく損傷したが、瓦礫の中から発見・救出された陸前高田博物館蔵のものだと書かれていました。

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「常設展」を見た後、2階の歩廊を北側の方へ戻ってきたら私たちが乗ってきた一関市のバスが見えました。

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(上)この東側の「出入口」も自動ドアーになっていました。(下)レストラン。

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岩手県立美術館の彫刻(その1) 2014年5月25日(日)

2014年05月27日 | 絵画

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2014年5月25日(日)、岩手県立美術館(盛岡市本宮字松幅12-3) で開催中 [4/12(土)~6/8(日)] の「生誕100年!植田正治のつくりかた」という写真展を観るために、一関市博物館のバスツアーに参加しました。

植田正治は独特な演出写真により国内外で絶大な人気を誇る写真家で、本展では写真集「童暦」に収録されている30点のモノクロ写真をはじめとして代表作約150点が展示されていました。

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引率者から入場券を配布された後は、「自由行動」でしたので妻とも別行動でした。充分に時間があったので、2階の「常設展」も見てきました。

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(下)ゆったりとして寛げる椅子があるロビーに、アリスティート・マイヨールの「三人の妖精」像(高さ158㎝)が展示されていました。

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マイヨールは、ロダン、ブールデルと並び称されるフランス近代彫刻の巨匠である。ロダンより20年余り遅く生まれた彼はその影響を強く受けたが、ロダンの作品が文学性に富み、苦悩に満ちたものであったのに対して、彼の芸術には地中海に面した町に生まれ育った作家ならではの明快さまた晴朗さが一貫して感じられる。

 着手(1930年)から完成まで8年の歳月を要したこの群像は、マイヨール晩年の代表作である。三人の裸婦が互いに手を取り合う調和のとれた形は、西洋美術の伝統的主題である「三美神」(Les trois Graces)の流れをくむが、「三人の妖精」(Les trois nymphes)という作品名からも分かるように、ねらいは純粋に造形的な調和美にあった。彼の彫刻の様式的な特徴は人体への幾何学的フォルムの導入にあり、本作においても三人の裸婦の腕や脚部はほとんど円筒形として、その胸は完全な円錐として捉えられている。マイヨールは若い女性像を常にテーマとしたが、変化に富んだ女性の肉体が幾何学的フォルムに還元される際に生じる緊張感は、作品に充満する溢れんばかりの生命力へと昇華している。(佐々木一成)[岩手県立美術館発行「所蔵作品選(2001年10月6日発行)」より]

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(上と下)北側出入り口の方に舟越保武(ふなこし・やすたけ)さんの「道東の四季~春~」と題する彫刻(立像、高さ230㎝)が展示されていました。

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舟越保武はこの像を制作した頃からしばしば女性の立像を手がけるようになった。公園や学校など公共の場のためのものであり、モニュメンタルな性格を持つためか、そのどれもが実際の人物より少し大きい。

 作者は、自分は立像ばかりで坐像を作ってはおらず、モデルも使ってはいない。これは自分の不精のせいだからと、立像を集めた小さな個展のカタログで打ち明けているが、実際のところは不精なのではなくそうしたいからやっているに違いない。

 背筋を伸ばしてすっくと立つ長身の女性像は、彼の造形上の要請の結果であることは勿論であるけれど、若く美しく瑞々しい女性の生命、その、人の生命を永くそこに留めたいと願った姿でもあろう。技巧的な作為を凝らさず、余計な表情も与えない、無意識のうちに求める一つの面影。静かにそこにいる人。そんな印象を抱かせる舟越保武の女性像は、彼の理想と祈りにも似た姿を想起させる。

 「道東の四季~春~」は釧路市にある幣舞橋の改築に際して「道東の四季」をテーマに佐藤忠良、柳原義達、本郷 新と共に女性像の制作を委嘱されたときのもので、舟越保武は「春」を担当した。(大野正勝)[岩手県立美術館発行「所蔵作品選(2001年10月6日発行)」より]

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道の駅「石神の丘」&岩手町立石神の丘美術館 2013年11月12日(火)

2013年11月13日 | 絵画

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2013年11月12日(火)、一関市立渋民公民館(館長・伊藤朋広、一関市大東町渋民)主催の「室蓬カレッジ文学講座卒業研修」が、一関市の研修バスを使って実施されました。参加者は館長と講師の内田正好先生を含めて22名。研修先は岩手町立石神の丘美術館花巻市博物館で開催中の藤城清治影絵展宮沢賢治記念館の3カ所。 大東町渋民の保健センター西側駐車場 8:00時出発、午後5:30時頃帰着の予定で実施されました。会費は昼食、入館料、保険込みで2,465円。

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道の駅「石神の丘」にバスが到着しました。トイレに行きたかったので一番先にバスを降りてトイレに向かいました。トイレの場所はすぐに見つかりました。「道路情報休憩所」の中にありました。用を済ませて戻ったら同行したみんなは未だバスの傍にいました。(上と下)

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(上)「石神の丘美術館」に向かって歩き出した一行でしたが、反対側に向かってしまって引き返します。(下)付近に展示されていた「たまゆらの面会石」という作品。

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(上と下3つ)産直・物産コーナー

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(上と下)「石神の丘美術館」入口の手前に造られている人工の滝。「恋人の聖地」の標示がありました。

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(下)道の駅「石神の丘」にあるレストラン「石神の丘」

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受付で入館料:大人100円を払い、先ず屋外展示場へ出発です。

こちらも降雪があったようで、出発地には真っ白な雪が残っていました。

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NHK-TV「日曜美術館」の東山魁夷・傑作10選 2012年10月18日(木)

2012年10月26日 | 絵画

2012年10月18日(木)、宮城県美術館で開催中の特別展・「東山魁夷展」を見る機会がありました。

「残照」(1947年、東京国立近代美術館)、「光昏」(1955、日本芸術院)、「青響」(1960年、東京国立近代美術館)、「映象」(1962年、東京国立近代美術館)、「花明り」(1968、株式会社大和証券グループ本社)、「晩鐘」(1971年、財団法人・北澤美術館)、「静唱」(1981年、長野県信濃美術館・東山魁夷館)、「緑響く」(1982年、長野県信濃美術館・東山魁夷館)などの作品が展示されていました。

http://www.pref.miyagi.jp/bijyutu/mmoa/ja/exhibition/20120922-s01-01.html [宮城県美術館:特別展:東山魁夷展]

NHK-TV[日曜美術館」の東山魁夷(ひがしやま・かいい)傑作10選

 NHKEテレビ2で、2012年8月19日(夜8:00~8:59)に放映された「日曜美術館」の”東山魁夷・傑作10選”で紹介された作品。

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2012/0819/index.html [夢の東山魁夷 傑作10選:NHK 日曜美術館]

(上)第1位:「道」昭和25(1950)年 絹本彩色・額装 134.4×102.2cm。 第6回日展。東京国立近代美術館・蔵。

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(上)日本経済新聞出版社発行「東山魁夷アートカレンダー(2013年版・小型判)」より

道 スケッチA青森・種差海岸に取材したスケッチをもとに描かれたこの作品は、両親や弟の死、敗戦のショックを乗り越え、自己との対話を繰り返した末に生まれた。終着駅であり、出発点でもあることを象徴する1本のまっすぐな道の風景。それは画伯が到達した人生観のあらわれともいえる。[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

(下)「道」スケッチA 昭和25(1950)年 紙本着色・スケッチ 34.0×26.5cm。長野県信濃美術館・東山魁夷館・蔵

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(上)[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

(下)第2位:「残照」昭和22(1947)年 第3回日展特選 紙本彩色・額装 151.5×212.0cm 東京国立近代美術館・蔵。

「残照」:山並は幾重もの襞(ひだ)を見せて、遙かに遠くへ続いていた。冬枯れの山肌は、沈鬱な茶褐色の、それ自体は捉え難い色であるが、折からの夕陽に彩られて、明るい部分は淡紅色に、影は青紫色にと、明暗の微妙な階調を織り交ぜて静かに深く息づいていた。その上には雲一つ無い夕空が、地表に近づくにつれて淡い明るさを溶かし込み、無限のひろがりを見せていた。(「風景との対話」1967)[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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(上)日本経済新聞出版社発行「東山魁夷アートカレンダー(2013年版・小型判)」より

第3位:「光昏」 昭和30(1955)年 紙本彩色・額装 181.7×136.4㎝ 日本芸術院・蔵 第11回日展 日本芸術院賞

 私はこの作品で古い能衣装の持つような渋味のある装飾的な効果と、自然の荘厳な実感を両立させる試みをしてみたいと思った。また、いつも私の作品の基底を流れている孤独な感情が、センチメンタルな悲哀感でなく、むしろ荘重なものとして表われる可能性があると感じた。(「風景との対話」1967))[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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(上)平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より

光昏 新潟と長野の県境に近い野尻湖と、湖水を隔て西に聳える黒姫山の姿のスケッチがもとになった作品。「この空を金色にして、湖水を黒く描いてみたら」と閃いて、逆光に栄える自然の姿を表わした。「光と影が綾を織る夕べのひとときの風景」という東山47歳の時の制作)[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

第4位:「白夜光」 昭和40(1965)年 紙本彩色・額装 151.0×222.5㎝ 東京国立近代美術館・蔵 第8回新日展

昭和37(1962)年に北欧(デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド)の旅へ出かけた東山は、厳寒の地における人間と自然との雄大な共生の光景をしっかりとその眼のなかに焼き付けたのだった。日本では到底味わえない自然の神秘と奥深さを目の当たりにするとともに、そこに生き暮らす人間の存在感を強く感じ取った東山は、帰国後さらに重厚で格調高い北欧の風景を主題とする一連の作品を発表した。この作品はそれらの中の一つである。[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

第5位:「夕静寂」昭和49(1974)年 紙本彩色 額装 227.0×158.0㎝ 長野県信濃美術館・東山魁夷館/蔵 改組第6回日展

東山魁夷はそもそも、色彩や質感による対象の再現に意をたむけるタイプの画家ではない。現実の対象がどうであれ、色彩の調子や配分は、作者の意図によってあくまで画面の中で決定される。そうした色彩はいく分抽象的であるとともに、作者のように制作の動機にたえず内省をかかえる場合はモノトーンに近いものとなっていくだろう。唐招提寺障壁画第一期完成から第二期への制作の前後に描かれた「春雪」(1973)や「夕静寂」(1974)、「秋深」(1975)や「凍池」(1977)は水墨ではないが、ひとつの色彩(あるいは顔料)がもつ見えないものを具現化するいわば「力」のようなものに依りながら、その色彩の世界に作者自身が沈潜して描かれたものといえる。[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

第6位:「晩鐘」 昭和46(1971)年 紙本彩色・額装 81.5×115.0㎝ 財団法人北澤美術館・蔵

 永久に師匠になんかならないほうが幸いだと、私は書いたことがある。大きな壁画の完成と、日本の古都を主題にした連作のあとで、この旅に出たのも、遍歴徒弟であった時の曽遊の地を巡ることによって、老い込もうとする私の心に、温かい鼓動が甦ることを希ってのことであろうか。いや、そういう意志的なものではなく、いつも円周運動を描いて歩かされている私の宿命によるものかもしれない。(「馬車よ、ゆっくり走れ~ドイツ・オーストリア紀行~」1971)[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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(上)日本経済新聞出版社発行「東山魁夷アートカレンダー(2013年版・小型判)」より

第7位:「花灯り」 昭和43(1968)年 紙本彩色・額装 126.5×96.0㎝ 東山魁夷展~京洛四季

 昭和43(1968)年11月、東山は皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」制作のための下図とともに、京都をテーマとした「京洛四季」と題した連作を展示した展覧会を東京・銀座の松屋で開催した。北欧への旅を終えた翌年(昭和38年)以降、彼はしばしば京都を訪れてスケッチを描き溜めていたのだった。東山が北欧への旅に出る前に、川端康成が彼に「京都はいま描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいてください。」と語ったというが、東山自身の心の内にもいつか京都を主題とした連作を描いてみたいという強い願いはあったようだ。

 春霞にかすんだ、なだらかな比叡山の山並みを描いた「曙」、円山公園でスケッチした一株のしだれ桜が、背景の山並みの上にぽっかりと浮かんだ円い朧月とともに描かれ、観る者を夢幻の世界へと誘う「花明り」、深々と降り積もる綿雪のもと、ひっそりとした静寂のなかに、まるで眠るように立ち並ぶ屋並みを描き、家々から漏れるわずかな光を点ずることによって、かすかな生のぬくもりを描く「年暮る」。四季の移り変わりの機微を京都の景物に託しつつ、東山独特の清澄な趣きを基調とするそれらの画面には、常に息をひそめるかのように、ほのかな生命の光芒を見出すことができる。(以下省略)[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

第8位:「東福寺庭園」(画像なし)

第9位:「唐招提寺御影堂の障壁画・上段の間 「山雲」昭和50(1975)年 紙本彩色・壁貼付・襖」

(下)唐招提寺の障壁画 「山雲」は、西側に大きな床の間、その右に脇床、北側に4枚建の襖となり東側(写真手前襖の裏側)は幅広の4枚建で構成されている。写真中央の大きな画は、天生峠の写生をもとにしたという。日本の代表的な風景として「山」と「海」を描くと決めた東山魁夷は、昭和47(1972)年、およそ1年ほどかけて日本各地をくまなく歩き、取材スケッチに費やしたという。

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

唐招提寺御影堂障壁画全図:この障壁画は、1975年と1980年の2期に分けて奉納された(厨子絵は別)。「青の世界」は「山雲」床の間、脇床(飾り棚)と天袋小襖を含む襖が10面、「濤声」16面の襖で構成。「墨の世界」は「黄山暁有雲」8面、「揚州薫風」26面、「桂林月宵」8面のすべて襖で構成されている。構想よりおよそ10年の歳月を費やした大作。

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

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[平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

第10位:「夕星」平成11(1999)年 麻布彩色 額装 66.0×100.0㎝ 長野県信濃美術館・東山魁夷館/蔵

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(上)日本経済新聞出版社発行「東山魁夷アートカレンダー(2013年版・小型判)」より

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  [平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日初版第3刷)より]

http://ameblo.jp/myway0124/entry-11344942194.html [日曜美術館「夢の東山魁夷・傑作10選」]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B1%B1%E9%AD%81%E5%A4%B7

[東山魁夷(Wikipedia)]


東山魁夷の「夕星」について 2012年10月18日(木)

2012年10月21日 | 絵画

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(上)日本経済新聞出版社・発行「東山魁夷アートカレンダー(2013年版・小型判)」より

絶筆とされている作品。「夕星」 平成11年(1999)、麻布彩色・額装。66×100cm。長野県信濃美術館・東山魁夷館:蔵。

 これは何処の風景と云うものではない。そして誰も知らない場所で、実は私も行ったことが無い。つまり私が夢の中で見た風景である。私は今迄ずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。しかし、或る晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身には、ここが最後の憩いの場になるのではとの感を胸に秘めながら筆を進めている。(講談社発行、東山魁夷著「心の風景を巡る旅」(2008年)から)

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2012年10月18日(木)、一関市立渋民公民館主催の文学講座移動研修で、仙台文学館宮城県美術館を見学しました。

この研修旅行には、文学講座受講生のほか宮城県美術館で開催中(9/22~11/11)の特別展「東山魁夷展」を見たいと、美術愛好家の人達も数名参加しました。バスの中でその一人から 次のような話がありました。

東山魁夷(ひがしやま・かいい)の「夕星」を、NHK-TVの「日曜美術館」という番組の中で、女子アナウンサーが「ゆうぼし」と話していたので、それは間違いであり「ゆうずつ」あるいは「ゆうづつ」が正しいと指摘する手紙をNHKの番組宛に出したが、NHKからは”この作品を収蔵している長野県信濃美術館・東山魁夷館に問い合わせたが、「ゆうぼし」で間違いないという返事だった。”と知らせてきたという。

昔から「夕星」は「ゆふずつ」「ゆうずつ」あるいは「ゆうづつ」であり、「ゆうぼし」などと呼んだことは無かったので、納得できずにいたところ、8月になってNHK-TVの「日曜美術館」(再放送)でまたもや「ゆうぼし」と話していたので、再度間違いを指摘する手紙を書いて出したところであり、今度こそ訂正を期待しているという主旨でした。

この日見た宮城県美術館の特別展「東山魁夷展」には出展されていませんでしたが、「夕星」にカナはふられていないようです。

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(上と下)平凡社発行「別冊太陽・東山魁夷」(2008年2月21日)の96ページに「心のふるさと~信州と東山魁夷」と題した松本猛(まつもと・たけし)/長野県信濃美術館。東山魁夷館:館長)の文章が載っており、ご丁寧にも”~絶筆となった≪夕星(ゆうぼし)≫はパリ郊外の公園に取材したものだが、墓から後ろの山を仰ぐと、この絵とそっくりな風景が見える。~」と振り仮名をつけています。これが間違いの起源ではないかと思われます。

「夕星」は「ゆうつづ」「ゆうずつ」が正しい。!!

広辞苑 ゆうつづ(ゆふつづ)→ 夕星・長庚 万葉集(10)「夕星も通ふ天道を」。日葡辞書「ユウツヅ」。ゆうぼし は無い。

http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/224471/m0u/ [ゆうつづ] 

http://star.ap.teacup.com/regulus61/ [夕星(ゆうづつ)]

http://www.takaoka-st.jp/index.php?id=6089 [高岡万葉まつり「夕星(ゆふづつ)]

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http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9ff6b846278e55a02e7ee7f05e429595 [季節の変化:東山魁夷の「自然は心の鏡」]

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(上)このポスターは、東京国立近代美術館蔵の「青響」(1960)。

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