Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

耳に残る1977年の想い出

2021-07-15 | 
久しぶりにカラヤン指揮の録音で感動した。この「悲劇的序曲」は間違いなく名録音である。この程度なものは頻繁にある筈なのだが、しかしその楽譜の読みや細かな作り方が見事だと思う。この録音は1970年で教会での録音だろう。

勿論得意のドラマの作り方も決まっているのだが、それ以上に演奏に緊迫感もある。背景事情はよくは知らないが、こういう演奏をして録音をしていたといういい例である。

実はそのLPの後ろのトラックに入っているハイドンの主題による変奏曲が1976年の録音で翌年の大阪国際フェスティヴァルで聴いている。それでどうしても両曲を続けて針を下ろすことが多かったと思うが、改めてそうして聴いてみるとその数年間でも演奏の様式が大きく変わっている。後者はフィルハーモニーでの録音の様だ。

「悲劇的序曲」の教会録音はオフマイクで音が混濁して仕舞っているのだが、それ以上にそこで演奏している状況があって、フィルハーモニーでの濁りの無い音響での演奏とは異なる。全く演奏が異なる。実際に翌年はそうしたゆったりと快適なブラームスや「英雄の生涯」などが演奏されたのだった。カラヤン演歌の真骨頂である。

それと頭の中で比較しながら、ガルミッシュ・パルテンキルヘンでの演奏を聴いていた。当然ながら座付管弦楽団にフィルハーモニカーの切り上がった弦の音も管楽器の巧さもない。だからその歌いまわしの巧さや標準配置での掛け合いを愉しんでいた。どうしても鄙びた感が生ずる。その意味からは、ペトレンコもまだやることが沢山あった。その分、指揮自体は以前にも益して自由に激しくなってきている。一つは座付管弦楽団を即興的に限界まで持って来る危険を厭わなくなっている事、一つは崩れない一歩手前までも持ってこれるところがまだベルリンでは出来ていない指揮だ ― 「トリスタン」ではそうした際が何度も試される。

あと五回しかミュンヘンで振らないが、今から最後の「トリスタン」の終止迄どんどんと限界を掠めてくると思う。それを実感して、ベルリンで今後どのようになって来るかを予測したいのだ。そのような期待を具体的にするようになったのはマーラーの第七番交響曲のCDを聴いてからで、これが本当の指揮芸術、管弦楽芸術なのである。

昔話に戻れば、1977年の日本はとんでもない年度だった。先ずはベーム指揮ヴィーナーフィルハーモニカーがベートーヴェンの田園、運命を3月に演奏、5月にはコンセルトヘボーが常任指揮者のハイティンクでブラームスの3番、6月になってクレメルが「ショスタコーヴィッチの想い出」を日本初演、その週末にはシカゴ交響楽団がショルティ指揮マーラーの交響曲五番や「海」や幻想交響曲を演奏、そしてカラヤン指揮のブラームスツィクルスなどをベルリナーフィルハーモニカーが演奏。大交響楽団の演奏実践の歴史的頂点がショルティ指揮に輝いた時だった。



参照:
さしかかる転換点 2021-07-13 | 文化一般
ヘルマン・レヴィの墓の前で 2021-07-06 | マスメディア批評
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もっとシムプルに行きたい

2021-07-14 | マスメディア批評
6月26日に亡くなったフレデリック・ルジェフスキーの訃報を御馴染スイスのベックメッサーことニフラーがフランクフルターアルゲマイネ新聞に書いている。1977年1月のケルンの西部ドイツ放送局での想い出から入っている。タイトルが新シムプリズムだったようだが、単純さの中でベートーヴェンからヴェーベルンを通りアイスラーへの引用をしながらのその名人芸に触発されてヤジが飛んだというものである。

そして、例のチリの36の変奏曲を弾き出す。当時はE音楽上の未知の領域だったのがが、今は政治的な音楽として受け止められている。そしてそうした美学的な断層において展開したのが故人のキャリアーであり領域だったとしている。

1966年にはショトックハウゼンの取り分け難しいピアノ曲十番を初演して、その後ケルンやダルムシュタットで活躍したとある。

思想的には東海岸のヘンリー・デーヴィット・ソローを土台に20世紀の社会的意識を強化したものだとしている。この辺りはこれを読んで初めてそうなのかと思った。もう少し左派的な印象を持ち続けていたのは創作のその社会性にあっただろうか。

さて、コロナ禍中の様々なことの決算に入っている。先月からミュンヘンの劇場に電話していたように、金券がオンライン化されていないのでオンラインティケットがそれでは買えないことが分かり払い戻して貰うことにした。敢えて213ユーロのそれだけを残していて「トリスタン」当選の時に清算して貰おうと意図していたからだ。これで旧体制では使う事が無くなったので、先ずは換金させる。新体制の発注でそれだけに金額を最初からは使わない。

10月の新制作「鼻」にしてもそんなに高価ではない。来年のペンデレツキの初日は243ユーロとなるが、歌手陣からしてもそんなに高くなくても買える筈だ。兎に角ヨーナス・カウフマンが関わらないだけでも大助かりである。今後この体制で客をさらっていく可能性があるのはやはりアスミク・グルゴーリアンぐらいかと思う。「ばらの騎士」再演も新作三部作と共に5月に行ってしまえば、それで事足りる。ペトレンコ体制でも最初はスコア席から始めたように、必要ならば徐々に格上げして行けばそれで足りる。必要ならば再演でいいところに座してもよい。歌手がお目当てでないのでその点は自由度が高い。



参照:
In Musik radikaldemokratisch denken, Max Nyffeler, FAZ vom 28.5.2021
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
ミュンヘン新体制の船出 2021-06-11 | 文化一般

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さしかかる転換点

2021-07-13 | 文化一般
入場券交換の切り札にしていたヘルマン・レヴィ記念演奏会の切符を二枚売った。まだ少し出る可能性もあるかもしれない一方、欲しい人の手に渡ることも重要と考えた。交換サイトも、フェストシュピーレ前半が終り、萎びた感が漂っている。出している人の様子を見ると中々成立していない様で、流れてしまうものが殆どなのだろう。出している方もそれ程期待していないのかもしれない。

だから10日後ほどに突然オファーを貰って驚いていたようだ。途中で幾らかは券が出たのだが、どうも仕事の関係でネットに齧りついてそれを拾うのも難しそうだった。そして13日の「トリスタン」と「鳥」にも出かけると書いてよこした。

こちらもそれに答えて、2日にガルミッシュパルテンキルヘンに行って、「ヘルマン・レヴィ」全プロジェクトに価値があると書いた。また「トリスタン」初日は意義深い公演で、13日の公演が更に良くなっているようにと書いておいた。ここまで文通しておけば、まあ人柄はお互いによく分かる。

事前に会って、済ましてしまいたいようだったが、態々プファルツから出かけるので、来週にでも詳しく約束しましょうとしておいた。

そうやって書いていると、思い出して、先ずは悲劇的序曲をお勉強して、「コルニドライ」、「ルイブラス」、「岩の様に」も洗っておかないといけないと思った。何も準備無しにパブリックヴューイングの心算で前回は出かけたからだった。同地ではアンコールが無かったが、本拠地では期待している。

兎に角、最初の「ジークフリート牧歌」をアカデミーの若者をペトレンコが振って始めてと短い音楽会なので、その為に態々一泊までして出かけるとなると余程お勉強をしておく必要がある。なんだかんだで、ミュンヘンでのペトレンコ指揮は火曜日が終ると残り五夜だけとなる ― 演奏会客演はあるが、オペラはもう当分振らない。

天候が下り坂になって身体を動かすことが無く、若干疲れが出た。寒い位だが来週からまた摂氏30度を超えるようになる。夏の中休みで、これで月末を越えて十日程で盛夏も終わる。床屋も夏休みが無いのでその頃に一度サマーカットにすれば次は秋だ。

洗濯屋に先日のシャツを出しておいた。来週取りに行く時に昨年一二度着たものが其の侭になっているので洗濯に出す。汚れの首輪はもう取れないかもしれないが、まだ普段着にする程ではない。コール天のシャツも出してみよう。

徐々に秋の支度へと意識が移って来た。新陽性者指数は英国で観られたようにじわじわと上がって来ている。どこかで爆発するかどうかは分からないが、新指数が必要とされている。死者数、重篤者数が落ち着いている限りは大事には至らない。ロベルトコッホ研究所の指針も転換点に差掛っているとされている。



参照:
パルジファルの初演者 2021-07-06 | 文化一般
反「不寛容」という主題 2021-06-16 | 文学・思想
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上手に使われた少女慰安婦像

2021-07-12 | 文化一般
昨今は元気の無いネトウヨさん達へのカンフル剤。ドレスデンの日本パレスでの展示会からの報告。展示の最後に会場から出てくるとベルリンから旅行中の少女像に遭えるというものだ。そこで入場者は声を失うという。

なぜならば、会場では、オーストラリアから今は失われた原住民の言葉の軌跡を持ち帰った宣教師の記録などと共に、自慢の陶器の展示の背後のアジア人の様子が描かれていて、それらから自分らが素晴らしいものを完成させたという構図があることが議論の対象となっている。ポストコロニアリズムが公には議論され得ないという前提がそこにあるとする。同時にドイツのナミビアでの仕業などが暗示される。

またあらゆる蛮行がアルファベット順にアルメニア、オーストラリア、ドイツ、インドネシア、ユーゴスラヴィア、朝鮮、ナミビアと挙げれらて、導入とされていて、そして外に出ると少女像という構成らしい。

先日のバーデンバーデンでの「冬の旅」の批評があった。古新聞を片づけるとどうしても時間が掛かってしまう。評者は、ロッテ・ターラー女史で、読まないでもある程度分かる。だから余計に周辺情報に興味が向かう。何も決して悪い評論家とは思わないが、結構上手く外してくれて、ラトル指揮の「トリスタン」の録音だけでもして欲しかったと語ったことに良く表れていた。

ここでは、ディドナートとピアノのネゼサガンとそして企画に関しても当然のことながら評価しているが、例えば彼女の衣裳が軽い上着の印象とかを語っていて、流石に視線が違うなと思う。まあ、我々男性でも交響曲を振っていた時のようなネゼサガンの如何にもゲイらしい服装になると気になるのである。

それと、女声による「冬の旅」の記録として、ロッテ・レーマン、1986年にメトでのルートヴィッヒ、レヴァイン、2012年ファスベンダ―、ライマンと挙げていて、こういう情報が嬉しい。こういう所もフランクフルトアルゲマイネ新聞でも買われていると思う。

そしてディドナートが試みた視点の転換は、我々がそうなり得ないものを含んでいるとしている。要するに男女の役割をフェミニズムから問うということに対してだ。それなら一体ネゼサガンはとなって、この中途半端な評によってこの企画の本当の意味を知的に理解するに至る。勿論会場に居た聴衆は二人の抱き合い方にその意味を感じていた。



参照:
Winterreise in Flip-Flops, LOTTE THALER, FAZ vom 5.7.2021
Die Mahnung ans Schicksal der „Trostfrauen“, FAZ vom 25.06.2021
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
日本人妻たち対慰安婦たち 2017-03-16 | 女
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世界の為に良い先例

2021-07-11 | 
バイロイト初日六週間前に入ったオクサーナ・リニヴのドイツェヴェレインタヴューが出ている。先ずは独特の奈落の感想を訊ねられて、「舞台が見やすく、立って指揮が出来るので、私向き」と、166㎝とされる楽匠の為に作られているとある。だから、多くの指揮者は座って指揮するのだと話しが合う - ペトレンコは?。

「彷徨えるオランダ人」の準備の為に楽匠が当時創作していたパリのモードーなどを訪ねたと語っている。そこの仕事部屋の写真を自ら撮って来てそれがインタヴューサイトに掲載されている。

また女性指揮者としてコサック風の帯に身を包んだその衣裳について問われて、自分自身の鎧のようなもので安心を得て尚且つエレガントで更に音楽に集中できるように居心地のいいもの。既に大学の終了試験の時に地元リィヴィヴの劇場の衣裳の人にあつらえて貰ったという。最初は日本の着物かなにかかとも感じたが、動きが楽で自由な衣裳になった。

民族衣装に関してはもう目が無くて、集めていて、ウクライナのヴィシュヴァンカスはただの民族衣装というよりも民族の心だと思っていると。

指揮者としての自分自身は、妥協の準備が出来ていて、それでなくては劇場の指揮者などは出来ないからと、しかし作曲家のアイデアを危険にしないこととモットーとしている。

そして「オランダ人」の成功は、自分自身の為にだけでなくて、パトスを持って言えば、将来にとって、世界の為のいい先例にしたいと抱負を語っている。

土曜日は19時過ぎから頂上コースに挑んだ。外気温は摂氏24度と高めだったが、陽射しが弱くなっていて、直射日光が当たるところは殆ど無かった。翌朝にしようか悩んでいたのだが、たとえ気温18度でも背中に陽が当たると暑い。何よりも心臓に負担を掛けない為にはと思ったが、食事を軽くしてハーブ茶を飲んでいた為に、胃に負担が来た。それで思っていたのは、50歳前でがんで亡くなったというフルマラソンを2時間台で走っていたというクライミング仲間の話しだ。確かにやりようによってはランニングは胃に負担が掛かると思う。何とか完走を目指して頂上に抜けて、自転車と前後したが、結局抜かれたのは最後の下り坂だったので、奴よりもそんなに遅くなかったことになる。50分のところを70分ほどかけて往復したの全く冴えないのだが、先ずは序の口だ。いいなと思うのは、下りに心拍数155から172bpmと高く維持して30分ぐらい走り続けていることだ。これはとてもいいトレーニングになるのではないか。反面上りは160以下までゆっくりと上げてきているので心臓への負担は健康的な筈だ。下りでもマウンテンバイクに容易に抜かれない所以である。



参照:
Oksana Lyniv: "Genau die richtige Größe" für den Wagner-Graben, DW vom 25.6.2021
再出発のドレスデン 2021-06-12 | マスメディア批評
ロックダウンの延長 2021-01-05 | 生活
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それから最初の週末

2021-07-10 | 
パン屋が店仕舞いで最初の週末となる。先ずは肉屋でブロツェンを四個購入した。それ程不味くはなく、近所のパン屋のものより手作り風だ。隣の町なので行くこともなく覗いたこともない。そのお蔭で毎日のように肉屋に通ったが、土曜に三個も食してしまったが、残り一個の日曜朝の状況で今後に繋がる。最低二日食せれば、二日に一回で済む。更に週の中間でボルダーリングへ行くトラムプ家の出身の村でパンでも買えれば、上手く行けば運動も出来て、パンにも困らなくなる。

走りは、一度山登りコースの中間地点まで上がって戻って来た。散々なスピードだったが、先週の舗装道路での足の潰れた豆の回復もあって、足慣らしの心算だった。頂上まで駆ける為の良い呼び水になる。

金曜日は時差放送でミュンヘンからの恒例のオープンエアーが放送された。土曜日はバイエルン放送協会の楽団の演奏で、それに先立つミュンヒナーフィルハーモニカーとユジャワンの共演である。ワンは一度出ていたのを知っているが、今回は伴奏指揮を、ロシアから入国できなかったシェフのゲルギーエフに代わって、ヴィオッティが飛び入りするので面白かった。ワンのラフマニノフの演奏は、本格的で、とても辛口で比較できる人が思い浮かばないが、指揮がタントドルツェ一本槍では流石に厳しい。

新任の日本のコンツェルトマイスタリンが引っ張っていて、その効果はあった。フィルハーモニカーは歴史のある交響楽団であるが、その田舎臭さと若干粗野な感じが特徴だったが、こうした女性が入るとやはり新たなキャラクターが生じてとても良い。

その前にバーデンバーデンのベートーヴェンツィクルスから田園を聴いた。只券をプレゼントされたからでもあるが、関心事は先週土曜日に観察したマイクロフォンセッティングでどのように収録出来ているかにあった。

改めて聴いてみると、目障りになるほどのマルティマイクロフォンなのだが、低く下げた吊りマイクが可成りいい音を拾っている。殆ど制作化されていたムーティ指揮ベルリナーフィルハーモニカー「死者の為のレクイエム」と比較しても全く異なるセッティングと音響だ。音響自体は100%入場と半数では大きな差があることに気が付いたが、それを活かして尚且つオンにして録れれば可成り上質になることが確認された。
FSH: Digital Festival Hall startet mit Beethoven-Zyklus


今迄との差異の多くグラスファイバーやケーブル22㎞敷設、音響設備と8台の固定カメラ装備をコロナ期間中に整えたことにあると思う。劇場不動産が市の所有物となった為に税金を投資出来るようになったのも大きく、釣りマイク種類も変わり数も増えた様だ。遠隔での位置決め装置は最新のものの様で、それを使っている。ミキサーはヤマハの小さなものが導入されている。総額1.1ミリオンユーロの半年かけての投資設備だから可成りだ。

月末に「トスカ」をPVにする話しはロシアからのマリンスキー一座の入国問題で中止となったが、11月までに更にノウハウを練り上げられれば、「マゼッパ」収録に大きく期待される。題して、デジタルフェスティヴァルホール、まるでデジタルコンサートホールのバッタものの様でベルリンでは苦笑されているだろうが、今後自己制作をアーカイヴ化して行くようで、復活祭でARTEが入ると同時に自己制作やデジタルコンサートホールとの共同制作も生まれそうである。支配人スタムパが前任地ドルトムントで共同創設したタクトワンよりも将来性があるような気がしてきた。
FSH: Ankündigung Digital Festival Hall




参照:
KLASSIK AM ODEONSPLATZ - MÜNCHNER PHILHARMONIKER MIT LORENZO VIOTTI UND YUJA WANG, BR-Klassik
Investition in die Zukunft, BFH
王羽佳の名は体を表す 2021-05-26 | 女
余りにも恵まれた境遇 2019-10-15 | 雑感
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健気に霜月を待つ七夕

2021-07-09 | 
バーデンバーデンから返事が来た。こちらの指定通り、寧ろそれ以上な席を貰えた。何が以上かというと、歌劇「マゼッパ」コンサート形式の二日間の初日の上手下手はお任せだったが、初日に下手にしてくれたので、上手から出入りする様子が分かり易い。カメラが入る云々は分からないが入るとすれば二日目だろう。カメラを立てるとしたら下手である。

7月7日七夕に願い事を呟いた。「ベルリナーフィルハーモニカーの11月公演が実現しますように!」というとてもいぢらしいものである。ドイツの新感染者状況は実効再生産数が1よりも上がって来たことに相当して、指数4.9まで下がったものが再び5.5まで上がって来た。下げ止まりから上昇へと転換点を越えた。これで英国の指数300にならないようにデルタ変異株感染をどのように抑えて行けるのか?

実効再生産数を1を超えないようにすればいいのだが、デルタ変異株が主力となる中でどのように抑えていくのか。オランダが既にディスコなどの感染で急上昇してしまっているので、元の木阿弥にならないようなブレーキの踏み方を試すべきだろう。

抗原検査に関しては、通常でも無症状者での検出駄目なようだが、デルタとなるともう使える数字ではなさそうで、ただの政治的な道具と化している。なるほど劇場などに行くのにこの検査があることで少なくとも健康状態の悪い人を牽制する働きはあるがそれ以上ではない。

兎に角、無事に11月にと思うが、これで先ずは寄付が決まった。今年の復活祭とキーシンリサイタルと11月に流れた特別コンサートだけなのでそれほどの額にはならないが、全額寄付して、新たに今回の136ユーロを支払うだけだ。清算して貰ってもいいのだが、友の会会費ぐらいは出しておかないと特典を堂々と貰い難い。

友の会に入っても決して復活祭への支援は語れないが、こうして払っておくと特別な寄付ということがハッキリする。11月に千人だけ入れるのか、最終的にもう少し増えるのかは分からない。少なくともアルテオパー公演は半数であり、それだけで音響を考えると可成りの贅沢となる。大ホール使用の体制で半分だけ入れるというのは今迄無い事であり、これはどこのホールでも期待できる。あのミュンヘンの劇場でもやはり音が瑞々しかった。

これでまた一年間会員待遇になるだろうから、2023年に予想される「影の無い女」の逸早い情報と先行予約での席指定が可能になるだろう。その後のことはまた考えればよい。なによりも先ずコンサート形式乍チャイコフスキーのオペラがペトレンコ指揮で演奏される事と、来る復活祭で初めてのオペラ公演指揮のセンセーショナルを待ちわびるしかない。

少しづつコロナ禍で犠牲になったプログラムのようなものを片づけられるような気持に成って来た。漸く心の整理がついて来たような感じだ。



参照:
秋の公演の先行予約を出す 2021-07-08 | 文化一般
ロストジェネレーション 2021-06-15 | 文化一般
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秋の公演の先行予約を出す

2021-07-08 | 文化一般
バーデンバーデン秋の公演の席を先行予約した。明日からなので返事はそれからだろうが、半数入場でも貰えるのではないか ― スタムパ支配人の口から800人の次は1000人というのが出てきた。先ずはどれほど売るかは分からない?四分の一以下であれば四枚予約の内の三枚しか貰えないかもしれないが、勿論寄付の姿勢に差が出て来る。まあ、対応を見よう。そう思っていたら先週のストリーミングのお試しコードが謝礼としてメールされて来ている。やはり、同じような感覚の人もいて、そういうことで寄付にも弾みがつくのだろう。

祝祭劇場での自分の指定席は大体決まっている。コロナ配置で入手が難しいならばプラスマイナス4ぐらいは移動しても構わない。その先週末のサイドのバルコンで前の方の席しかなかったので、歌手の口許には近くなるが角度が全然異なった。以前は舞台に一番近い端の席を取っていたぐらいなのだが、そうなると舞台の袖の上に座るだけで、決して音響的に良くない。直接的には空調が喧しく感じるようになったから引っ越したのだが、管弦楽団でも角度が付くとそれ程狙った音は聴こえなくなることにその後気が付いた。

齧り付きの音響をなんとかかんとかいう前に自分自身でもそのようなことをしていたのだから、偉そうなことを呟いてもいい加減なものである。第一バルコンの正面以外は殆ど座っているので、大体今の選択が音響的にも最もお得な筈である。それにしても響きは格別美しいホールで、人数が少ない内にもう少し聴いておきたいと思う。

また8月にはミニシリーズがあるようで、トリフォノフがリサイタルを開く。一体どこから回って来るのか分からないが、ツアーの一部に放り込んだのだろう。秋からは、レヴィトとか御馴染のノイマイヤー一座に続いて、ユジャワンとカピュサンのデュオの再演があって、ユロウスキーがロンドンフィルを振って、ユリアフィシャーがエルガーを弾くというのもある。その後はゲルギーエフ指揮マリンスキー一座。そして大晦日は昨年ポシャったSWR交響楽団では無さそうで、フォークトとダッシュのオペレッタ選集のようだ。ARDで中継されるような内容かどうかは分からない。

一般発売は7月末からのようなので、其れからでも他の日程を見ながらでも追加で購入すればよい。コロナ明けとしては、なによりもベルリナーフィルハーモニカー公演が大きく、それ以外も先ず先ずではないか。

中共公演が飛んでからの日程作りだから、結構最近になってから決定したものなのだろう。ペトレンコも本当に嬉しそうだった様に、歌手陣の日程が上手く空いていたものだと思う。不幸中の幸いというべきものだろうか。

日にちを空けて総練習をするのだろう。考えられるのはライヴ録音制作をするということか?もしかするとデジタルフェスティヴァルホールの為にストリーミングがあるのかもしれない。



参照:
金を取れるということは 2021-07-06 | 女
僅か22ユーロのおもい 2020-10-06 | 雑感
飲食と同じ芸術音楽需要 2020-09-30 | 文化一般
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熱心な人がいるお蔭

2021-07-07 | 雑感
7月23日の為の宿を予約した。日帰りしようかと思っていたが、ブッキングコムを見ると市内に近いところが安かった。以前泊まった劇場から歩けるところも空いていた。要するに夏の観光客はまだ予約していないということだ。

バイエルン州は比較的早くから業務旅行には開放していて、抗原検査の必要性も早くから無くなっていた。しかし観光旅行の波を抑える為に48時間ごとのテストなどを科していたのだった。遂に週間ほど前のことなので最新情報にアップデートされていないところが多い。現に金曜日に宿泊した宿のメールにも業務旅行でも陰性証明が必要などと書いてあった。勿論知らない宿なので不安にさせた。

ガルミッシュパルテンキルヘンからは一時間の距離で峠越えでアウグスブルク方面のレッヒの谷に下りて行く。山沿いを通るオーバーアマルガウは通らない。何度か峠は越えてたことがあるが、谷で泊まるのは初めてだった。収穫はそこからフッセンの手前まで行って西アルゴイへと抜けるのが意外に近いというのも分かった。嘗て逆コースでリンデンブルクの方へ走ったことがあった。

新たな情報が入ってきた。先ずは7月31日新制作「トリスタン」最終日が広場へのPVのみならず中継されることになった。この件はガルミッシュパルテンキルヘンで電話して確認していた人と話して、その時は「演奏者の許可次第」と言われたそうだ。しかしその対応は文字通りは受け取れない。背景にはメディア化発売があったからなのだが、こうして中継が決まれば明らかだ。それはこうして問い合わせの電話をする人がいることが大きい。それは定員拡大の時も二度も電話したことでも同じでそうした小さな声が集まると大きい。そもそも放送することにペトレンコが反対する筈が無いので、メディア営業側が受け入れたということになる。その話しをしたおばさんでも何とか一枚は席を獲得できたかもしれないが大枚を叩いてというような感じではなかった。そうした層はとても重要である。やはり電話する人は熱心である。

そしてバーデンバーデンの11月11日が空いていたことと、2日がベルリナーフィルハーモニカーの日程から落ちていた訳が分かった。6日からバーデンバーデンで小フェスティヴァルが開かれることが分かった。初日に夏のツアーの表プログラム、翌7日にベルリンでの最新定期プログラムのショスタコヴィッチ10番とスコッチ交響曲、そして二日間空けて10日にマゼッパ、12日に二日目。

指揮者のペトレンコ自身が完璧に練習準備は出来ていると語っていたので楽団と歌は合わせている筈だ。それ以上に二日間掛けて何かをやるのか、それともその間にどこかで二晩演奏するのか?恐らくゲネラルプローベが8日だろう。二日公演で舞台を組むということは無いと思うが、少なくともその必要があるということなのだろう。

これで、不明だった日本公演のプログラム全貌が明らかになった。ショスタコーヴィッチは呼び屋さんのフジからすると全く嫌なプログラムだったろう。本来は中共でも演奏される筈だった。つまり、東京公演が中止になるかもしれない。



参照:
とことんまで付き合う 2021-06-24 | 文化一般
ペアー席が無くなって 2021-06-03 | 文化一般
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パルジファルの初演者

2021-07-06 | 文化一般
承前)リヒャルト・シュトラウス研究所には何度か電話していたが、出かけるのは初めてだった。近々一般公開されることになった作曲家が棲んでいた家は有名だが、こちらは街の中でも知られていない。隣にスキークラブがあるのでそちらの方が遥かに有名だろうか。

偶々隣で結婚式をやっていたのでそこについていた時は大変な催し物だと勘違いしたが、こじんまりとした開会式だった。今回の事業を引き継いだコッホ現市長の挨拶などがあり、展示を纏めた研究者の話しや地元のユダヤ人会のお話しもあった。同時に展示されていたトラの話しで、ガルミッシュパルテンキルヘン程度のユダヤ社会では持てないもので不思議ということだった。今回のレヴィ復権に尽力したのがミュンヘンのユダヤ人協会長だったことからしてもそれがよく分かった。

肝心のレヴィ自体は、16代にも遡るラビの家系で、祖父もレヴィのシナゴークとされるヴォルムスの司祭として名を連ねている。母親もマンハイムのタバコ会社やラーデンブルク銀行出身なので、ギーセン出身ながら後にマンハイムの音楽監督になっているのも肯ける。

展示の中心はやはりその音楽活動の中身であった。ブラームスと同年配音楽家としてはピアニストを断念して指揮者として、ザールブルッケンからマンハイムへと活躍して行く、作曲家として成功したかったようだが、カールツルーヘ、バーデンバーデンで知り合った友人に駄目だと引導を渡される。

カールツルーヘの音楽監督としてブラームスの第一交響曲を初演したレヴィを慕ってバーデンバーデンに夏の居を構えたのが作曲家で、レヴィがミュンヘンに移るとシュタルンベルガー湖のテュチンゲンに夏の居を移してブラームスが追いかけてきた。そのような関係である。因みにカールツルーへの初演したコンサートホールの前はレヴィ広場であり名前が残っている。

その座付楽団でホルンを吹いていたのが作曲家シュトラウスの親仁でその関係で子供の時から知っている息子を支援していた。そしてルートヴィヒス王の下でヴァークナーの指揮をして、又バイロイトで活動しているうちに、本来ならば「キリスト教者にしか振らせないとしていた神聖劇はレヴィしか振れない」となって仕舞ったようである。それは現在でもあの舞台神聖劇をまともに振れる指揮者が殆どいないことからすれば、このレヴィの実力もそして楽匠のユダヤ人への僻みも強くなっていったことも肯ける。同時にブラームスはヴァークナー派になったレヴィとは絶交することに成って、レヴィにとっては最も辛い事件となった。そして後にコジマとの仲を疑われバイロイトを去る。

因みに、ヘルマン・レヴィは決してカトリックにも改宗することも無かったがユダヤ教者としてではなく無宗派を通していた。そしてピアニストのクララとの付き合いからシューマンの娘がとてもこの人物に親しんでいたようにとても人間的に暖かい人物とされている。またブルックナーの交響曲の創作初演においても重要な協力者としてアドヴァイスをしている。(続く)



参照:
縦の線への疑心暗鬼 2019-03-22 | 文化一般
水風呂で「覚醒」を促される 2010-07-19 | マスメディア批評
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ヘルマン・レヴィの墓の前で

2021-07-06 | マスメディア批評
承前)ヘルマン・レヴィの墓を訪れたキリル・ペトレンコは、新たにデザインしたフランカ・カスナーの手を握って一言二言語った。彼女が柵の中で故人への手紙を朗読し終わって感情が昂っているところであった。何人かの取材者はその場にいたようだが、何時もの様にペトレンコからは取材出来ていない。恐らく演奏会に居たドラマテュルークのクラスティングの車で移動していたと思われるが、彼は写真には居ない。

制作者にペトレンコは何を言ったかと訊ねると、最初はどうもあまり気に入らなかったようだが、よかったと言って呉れたと笑ったと新聞にある。成程、私も演奏会の切符を売って貰った親仁に訊ねられたが、独特のものだと答えた ― ペトレンコは「完全武装だ」と語ったともあった。

中々評価が難しい。しかし、分かっていることはうろこ状の手作りの銅片が経年変化で緑青を吹いて来ることで、色合いがどんどんと暗くなって行くことだろうか。周りに敷き詰められた薄いシーファは音を立てる。そして柵によって守られる。中々微妙な色合いなのである。

地元では紆余曲折があった。ヒンデンブルクと現在は称されている道路をヘルマンレヴィと戻すことへの住民投票でも圧倒的に否決されていた。一連のヘルマン・レヴィ復権への活動の基本理念にはどうしても対反ユダヤ主義への意志がある。同時にその経緯から1936年の冬季オリムピックで開発の進んだナチ時代以降の街のあり方も問われることになっている。同プログラムがミュンヘンでも23日に再演されることになっているのだが、最初は発売時にも若干戸惑ったような反応が感じられた。それは周知がなされていないことと、同時に今回の復権への動きへの認知度によるものであったろう。

新聞報道されたことでミュンヘンの聴衆の認知も変わり、同時にペトレンコにしても墓参りまでするとなると、なにか少し違う風景が見えて来るか。少なくとも、プログラムにおけるマックス・ブルッフのコルニドライのユダヤ旋律、メンデルスゾーンのルイブラス序曲、アカデミー楽団で演奏されるジークフリート牧歌、そして故人と最も親しかったブラームスの悲劇的序曲、故人が再興したモーツァルトの歌劇からその編曲でのフィオルデリージの「岩の様に」とよく考え抜かれた特別のプログラムとなっていた。

練習は通常通りには行われていたようだが、まだこの組み合わせならば23日には磨かれた演奏が可能な筈で、音楽的にも更に期待される。しかしブラームスもカラヤン指揮よりもシャープな音響であると共にとても多層な音楽としていた座付楽団とペトレンコ指揮も見事であり、ドラマティックなソプラノを合わせた編曲モーツァルトも特筆すべきものだった。

舞台の下から現市長のおばさんが花束を渡して、しゃがんで耳を傾けるペトレンコの手を握り締めて離さなかった。(続く



参照:
Endlich angemessene Grabstätte für Garmisch-Partenkirchens Ehrenbürger Levi, Tanja Brinkmann, Merkur vom 2.7.2021
Späte Würdigung eines Vergessenen, Sabine Reithmaier, SZ vom 5.7.2021
0Grab von Dirigent Hermann Levi künstlerisch gestaltet: Geheilte Wunde, Robert Braunmüller, Abendzeitung vom 5.7.2021
華の女性を募集中 2021-06-18 | 雑感
小技ばかり長けても駄目 2019-02-18 | 文化一般
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金を取れるということは

2021-07-06 | 
(承前)バーデンバーデンの祝祭劇場は何時以来だ?どうもユジャワンの室内楽が最後だったようで2020年1月である。その次のキーシンリサイタルからキャンセルになった。今写真を見ると凄く舞台が近い。所謂第一サイドバルコンである。室内楽の場合は上を締めて、中ホール扱いで開催するので、安くてもその席になる。しかし今回は五分の一の入場だったのでそれよりも少ない500人規模だった。昨今は同窓会と言われるポリーニリサイタルでも売り切れるだろう。因みに今週からは800人に拡大された。

それで第二バルコンで僅か15ユーロの残席は確かに視覚的に不利だったのだが、それはそこ金の取れる歌手では世界有数のエンタメ力も持っている歌手のディドナートの芸をしっかりと味わえた。更にプログラム無料って、寄付金御礼週間?

先ず何よりも「冬の旅」を恋人から貰った日記を読むとの設定とする。その為最初から暗転にして、椅子に座って机に向かっているところから始める。そこからして直ぐにゲーテの「ウェテルの悩み」を思い浮かべたが、プログラムを見るとマスネーのシャルロットをイメージしたとあった。

女声で歌う「冬の旅」は、ブリギッテ・ファスベンダ―とクラウディア・シェーファーが既にやっているようだが、最初の「お休み」からして声もあり、技術も並々ならないことが直ぐに分かった。どうしても、数日前に聴いたハルテロスの歌唱と比較してしまう。その舞台仕草を見てもオペラ舞台を彷彿させるどころか、しっかりと上階席も意識して左右のバルコンを全体の流れの中で見上げる細やかさもあって、それはメトロポリタンなどでも人気があるのを窺わせる所作だ。そのブロンドの独特のヘアースタイルと言い、アンコール前に語る一言と言い、要するに超一流の歌手である。

前半しか楽譜にも目を通していなかったのが残念だったが、字幕が確りと出て、後半ではどんどんと感情移入するかのようにその声に感情が乗って来る芸がまた格別だ。この企画自体がバーデンバーデンのバーで生まれたという話しは舞台上で語っていたが、その声がまた通る。歌唱の技術は突き詰めるとここまでに成るのだと思った。
Grußbotschaft an das Festspielhaus-Publikum von Yannick Nézet-Séguin


ピアノ伴奏の指揮者のネゼセガンは、その指揮と同じような音楽の特徴がハッキリ分かって面白かったが、全然悪くない。しかし本物のピアニストが伴奏することのあるこの曲ではなるほどそうしたピアニスティックな響きは出て来ない。それでも後半の歌手の感情の乗りを上手く導いていたのはピアニストだと思う。

500人とは到底思えない大喝采で、なるほどオフの欧州室内管弦楽団のメムバーが入っていたにしてもそれは素晴らしい反応だった。そして何よりもあの大会場も人数を減らすだけでとんでもない素晴らしい響きが生じることを実感した。本当に魅力的な音響のホールである。(続く



参照:
21世紀の機能和声の響き 2020-01-26 | 音
シイタケ味のフラムペ 2021-06-19 | 料理
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夏の旅の木陰の一時

2021-07-05 | アウトドーア・環境
承前)そもそもアルゴイからバーデンバーデンは四時間も掛からなかった。だから途中の気持ちよい丘の上でピクニックでもして、更に気持ちよく演奏会の「冬の旅」を菩提樹ではないが木陰でお勉強するというのが計画だった。しかし、それが出来ずに二回一時間づつ無駄に車を走らせていた。

一回目は宿を出た向きが違っただけで迂回路の永遠の環に嵌って仕舞い、最後にナヴィを当てにするとそれを繰り返すことになった。切って仕舞って視覚と勘に頼るところなのだが知らない土地で記念撮影を避けるためにはナヴィが無いと危ない。慌てずに燃料を使い続けた。

最初は前夜のアルコールが残っていたのかフラフラしていて、同時に現金を下ろそうと脳裏にあった。そしてやっとレッヒ川の向こう側に渡ってからも、途上の調べていた街で探してみる。中に入って聞いてみると郵便局が既に荒物屋になっていた。そして近くでは今やフッセンと朝一番で迷った街にしかないと言われ、燃料を使うぐらいなら適当な場所で手数料を払えとまで言われた。なにか現地調査をしているようだ。

それでも憩うに良さそうな場所を見つけたのだが、暫くすると帽子を被ったお兄さんが撒き出す黄色い液体と風向きを見て直ぐに撤退した。何かを食べていなくてよかった。逃げ出した車を見てお兄さんは笑っただろうと思う。

結局燃料を補給してケムプテンの街を出たのは15時に近く、残り2時間はそのものナヴィに表れる1時間50分と差が無い。危ないと思った。渋滞があれば終わりで、工事が多ければそれでも駄目だ。幸い土曜日の逆方向なので大きな渋滞もなく、写真撮影も無く駆け抜けた。アウトバーンをバーデンバーデンで下りたのが15分ほど前だった。こうなれば少し遅れても思い、準備を進めながら駐車場を目指す。入ったのが5分前だ。まだ駐車場スペースが空いていたので、またパトロン向きの場所が女性向になっていて、その後に停めて、上に急いで上がって17時前だった。こんなにタイトな行程は珍しい。

そして紙を出すと空き空きで、直ぐに鼻に軽く綿棒を当てただけだった。五分したら来て呉れと、全くいい加減なテストだった。要するにあんなもので発覚する様に鼻毛や表面にウイルスが付いているようなものならスーパースレダーでしかない。全く形式的なものである。今回は赤十字の注意書きに書いてあったように散々に飴を舐めていたが、塩は持っていたのだが時間が無くて塩水通しはしなかった。今後は、嗽薬と塩水は必携だと思う。もうそれで完璧だ。

バーデンバーデンはそのように正式な陰性証明書では無くて反応が出なかったという証明だけで入場となる。因みに当地は現在ドイツのワースト4番で感染が広がっている。陽性の危険性が無いならばなにも接種証明などは要らない。そもそも市中感染が少ない時には無意味である。問題は増えた時にドイツ政府は「今後感染が広がってもコンサートなどに使えるように」と接種のテコ入れとしているが、さて秋がどうなるかである。兎に角自己犠牲で打つ人は早く打って欲しい。(続く)



参照:
首尾よく拾ったこぼれ球 2021-06-26 | 文化一般
感動は幕が上がる前から 2021-06-29 | 文化一般
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昨今の世の流れの状況

2021-07-04 | 生活
承前)ガルミッシュ・パルテンキルヘン近辺のホテルを予約していた。音楽会が終ってから未知のホテルのツェックイン時刻が重要な選択理由になった。勿論価格に拘らなければどこでもいいのだが、安いいいところを探したかったからだ。遠回りすれば定宿も開いていたのだが、価格が高くなり、更にミュンヘン近郊までで戻る気がしなかった。出来るだけアルプスに近いところに泊まりたかった。

そして翌日土曜日は17時にバーデンバーデンで検査の予約を入れておいた。19時からのコンサートに合わせたのだった。勿論一度帰宅してからも行けないことは無いが、150㎞も余計に走行距離が延びるので25ユーロほど余計に費用が掛かる。そこでアルゴイのロマンティック街道の宿から直接バーデンバーデンに向かうことにした。

そこでテストを受けて、コンサートが終って、今度は長く使っていなかったフランス経由で帰宅である。ここも先日までは危険地帯で入れなかったのだが、そのコントロール体制は通ってみなければ分からなかった。既に危険地域から除外されて、旅行も自由化されるという所だったが通て見なければ分からない。フランスへの入国は夜間であったことも含めて何もなかったのだが、再入国の時は何もないところにシカネーンを作ってあって、直ぐにでもコントロールが出来るようになっていた。これだけでも抑制効果は強い。

結果的には何とか予定を全てこなせたのだが、紆余曲折が激しかった。10時に宿を出てナヴィがありながら他の経路が入って仕舞って、宿を右に出るか左に出るかで一時間以上走り回る結果になった。幾らかは分かっていたのだが、現金が手元に無かったので上手く手数料無しで現金を下ろせるところがと思っているうちに走り回った。写真撮影はされていない筈だが燃料代は馬鹿にならない。

結局ケムプテンでこれまた一時間ほど走り回ってコメルツバンクを見つけた。嘗てはドレスナーバンクでも下ろしたことがある街だ。数年前まではどこでも郵便局でも現金引き出しが出来たのだが、最早ドイツェバンクの傘下に入った郵便銀行も郵便局も殆ど無くなって仕舞った。現金が余り流通しなくなってきているに違いない。

道路写真撮影では、今回はウルムまではミュンヘン行と同じなので、前回赤く光ったところを慎重に見届けた。すると問題の箇所はアウトバーンで丘に上がって下りてから直ぐのところだった。そこまでの制限速度は時速120㎞、そしてトンネルに入るところが80㎞になっていた。理由は、予想していた下り坂警戒よりも、工事中注意だった。前回は100㎞だった筈だ。

それで分かったのは、少なくとも固定のカメラは無くて、移動式で横から写されることは有り得ない。パトカーで友人でネズミ取りならば有り得るだろうか、まさか今時有り得ないだろう。どちらにしても120㎞制限での超過は足したことが無く、それ以外ならば争えるだけの材料は蒐集した。気の性だったにしてもこちらの主張は決まったので大丈夫だ。(続く)



参照:
準備万端整えての前奏曲 2021-06-30 | 雑感
小技ばかり長けても駄目 2019-02-18 | 文化一般
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不確定要素満載ツアー

2021-07-03 | アウトドーア・環境
小ツアーから無事戻ってきた。不確定要素が多かったツアーだが、先ず先ず思った通りの日程を捌けた。今回のツアーの主目的はここ三年程新聞報道を追っかけて来ていた指揮者ヘルマン・レヴィの墓再建のイヴェントだった。それ自体はコロナ禍の中で進行していたのだが、メインイヴェントとしてバイエルンの音楽監督を後継したキリル・ペトレンコがそれを記念して墓のあるガルミッシュ・パルテンキルヘンで指揮するということがあった。

7月2日のイヴェントとして、リヒャルト・シュトラウス研究所でのヘルマン・レヴィ展示会のオープン式、そして夕方に新たに完成した墓石を回る案内、そしてキリル・ペトレンコ指揮バイエルン国立管弦楽団らの演奏でのコンサートがあった。出来れば、これに続いてミュンヘンでの翌日のマテュー・ポレンザーニのリーダーアーベント、4日「トリスタン」を組み合わせて定宿に予約を入れていた。しかし、4日よりも先にトリスタン初日の入場券が入って仕舞ったのだから、それを断念して急遽旅程を変更したのであった。都合、水曜日にミュンヘンから帰って来て、再び金曜日の早朝にガルミッシュパルテンへと遠乗りとなったのだ。1500㎞を走る抜け、二回の抗原検査を受けた。

二回目の抗原検査はダブルブッキング気味に購入していたバーデンバーデン再開二日目のディドナートの「冬の旅」にネゼサガンがピアノで伴奏するというものに必要だった。一方2日のコンサートには必要なかったのだが、こちらは入場者150人程で券の入手が難しかった。だからパブリックヴューイングでもよいと思っていたのだ。そもそも23日の同プログラムコンサートの最前席を入手して仕舞ったものだからそちらにも出かけるしか方法が無くなった。

そこで、当日は朝6時半前には出発して12時に開催されるシュトラウス研究所に出向いた。最短コースのオーストリア経由でツークシュピッチェを裏から回るものだ。ノイシュヴァンシュタイン場のフッセンからティロルのロイッテへと国境を越えて再び谷を戻って来る。国境にアウトバーンが開通したのはここ十年程で嘗ては時間が掛かったので、このルートでのガルミッシュピルヘン行は初めてだった。更に現在もオーストリアに滞在するならばそれなりにテストが必要なので、国境のコントロールも不確定要素であった。

結局全く何も渋滞要素はなく、そのトランジットルートではヴィニェットも不要なので国境さえ混んでいなかったなら、今後とも使える。ドイツ車が集うティロルのゴルフ場で写真を撮り乍らも五時間ほどで走り抜けた。

それは同様に当日の夜の宿も先日まではテストが必要という前提があったなど、所謂観光目的の旅行シーズンなどはまだこれからという時であった。個人的にはオフィシャルに業務旅行なので構わないのだが、不確定要素は山ほどあった。(続く



参照:
シイタケ味のフラムペ 2021-06-19 | 料理
首尾よく拾ったこぼれ球 2021-06-26 | 文化一般
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