多分詰まらないという予測が立つ映画というのは存在
していて、それらを見て実際そう思う確立は、9割ほ
どだ。
一割くらいは、それ程ひどくも無いという予想とは反
した結果となる
そんな、9割の映画が昨日やっていた。
「さくらん」という映画だ。
最初から見るつもりもなく、最後の10分ほどだった
が、それだけで充分だった。
この映画の場合、詰まらないと予測したしたのは、写
真家である監督の、「蜷川実花」のその写真を見た上
での結果だったのだ。
一般的に、映画を初めて撮るほかの分野の人間の作品
は、ひどいものが多い。
タレント(歌手など)の例を見ればそれは明らか。
今回の場合は、同じ映像とも言える写真家なので、そ
こまではひどくないと思われがちだが、スチールと動
く映像の差は、実はかなり大きい(逆は可能だが)。
そしてこのような、一応芸術系の人間が撮る時は、そ
の特徴を前面に押し出すのが常である。
実験映画のような、端から評価を期待しないような映
画は、一人よがりの自慰的映画などと言われるかもし
れないが、それによって本人の評価を落とすことは無
いから良い。
しかし、今回のような商業映画の場合は危険だ。
原色を大胆に使った写真で受けている「蜷川実花」の
「さくらん」は、同じような色使いの画面の連続だ。
多分、シーン毎に、配色を考え照明の色も考えている
のだろう。
しかし、そういう部分があからさまに見えるような映
画は、それだけで駄目だ。
逆手に取るだけの手腕もないし、ただただこれ見よが
しとしか感じられない。
しかも、これが一番決定的なのだが、それらの画面が
死んでいるのだ。
スチールだったら問題ないかもしれないが、映画の場
合は時間と空間だ。
つまり、停止状態でも常に空間は動いているのだ。
その動きが全く感じられない。
これを称して耽美的、などという表現をする人がいる
かもしれないが、単に原色を使っただけである。
ひょっとしたら、「ピーター.グリーナウェー」辺りを
意識してるのかもしれない。
いずれにしろ、そういう人は、森一生の「薄桜記」、
或いは鈴木清順の様々な作品を見てからそう言ってほ
しい。
監督本人は、パラジャーノフの「ざくろの色」とか見
たことないのだろう、多分。
派手な色だが単調な画面の連続で、意図した効果、例
えば菜の花の先の桜が満開のシーン、「おーっ」とな
るのを期待したのだろうが、それも得られず、それま
でと同じトーンになってしまって完全に埋没。
これはもう、基本的な技術の問題でもある(その点で
は改善の余地はあるのか)。
主演の女優も、ヤンキー系以外は使え無さそうだし、
なんともトホホな作品でした。
その後、「マンチェスターU対ウィガン」の前半戦を
見て、「世界ふれあい街歩き」のトゥールーズを最後
まで見たら、すでにマンチェスターUの試合は終わっ
ていた。
「パクチソン」(韓国)は今回も出場していた。
優勝の試合にも出てるんだから、アジアナンバーワン
の称号は「パクチソン」で決まりだろう。
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