ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

せんとくん

2008年05月18日 | 芸術


その後、「せんとくん」(或いは遷都君か)の問題はど
うなったのだろうか。
問題と言っても、どうにかなるということでもなく、
要するに住民が納得できたかどうかということだけで、
あの愛すべき「せんとくん」が、他のもに変わるとい
うことではないのだろうから、解決する手立てもない。
予算を大分使ったから、新たな予算を当てるというこ
とはするはずもない。
その、大きな予算を使ってあれか、というのが一番腹
立たしいのだろうが。
多分、時間が経てば諦めるということで終結だ。
関係者は、じっと、収まるのを待つのみ。

それにしても、あの「キャラクター」にあれだけの予
算を使うか、とは多くの人が思うことではないか。
一般公募すれば、予算もかからず、一応民主的な方
法で決まったということで、あまり文句は出ないだ
ろうに。
はっきり言って、「せんとくん」は「ゆるキャラ」であ
る。
「きもかわいい」というところにも一歩及ばず、「キッ
チュ」とも言えず、何とも中途半端な「キャラクター」
である。
同じ受けないという点で、芸術的(一番受けないが)と
も違うし。
それで、あまりに変なので作者の他の作品を見てみたら、
まるっきり同じセンスだった。
つまり、あれが作者の持ち味だったのだ。

基本的に「キャラクター」は、意図としては「サンリオ」
辺りのものを狙うのだと思う。
つまり、より多くの人に「可愛い」と思わせるような。
しかし、現実は、「しょぼいもの」に満ち溢れている。
なかなか受けるものを作るのは難しいのだろう。
世の中「ゆるキャラ」の方が多い。
では、その「ゆるキャラ」の条件とは何か。
まず、作る側は大真面目というのが第一条件。
次に、彼らには現代的センスと芸術的センスが欠けて
いる、或いはずれているというところが必要。
だから、臆面もなく「ダジャレ」でネーミングをして、
垢抜けない色彩センスと、どこかで見たような、しかし
微妙に変な造形(中国辺りにも多い)のもを作る。
飽くまでも、受けると思っているところが愛おしい。
B級SF映画に登場する「異星人」あたりが、一番「ゆ
るキャラ」のセンスに近いのではないだろうか。
誕生のメカニズムも共通するように思う。

それを愛おしいと思う気持ちが「ゆるキャラ」という
言葉の誕生を生んだのだが、この「ゆるキャラ」を楽
しむためには、それなりの文化も必要である。
つまり、そこには、造形だけを見るのではなく、そこに至
る過程までも含めて、つまりそれを生み出す土壌、文化
を楽しむという視線が必要になってくるのだ。
これは、誰にでもというものではない。
多くは、その造形のみに目がいって、その表面的な部分
を問題にしてしまう。
人間、楽しむためには余裕が必要なのだ。
とは言っても、他人事なので面白がられるが、住民であ
れば、やはり、納得いかないかな。
とりあえず話題にはなったから、その点では大成功だか
らプラスマイナスゼロ。
という問題でもないか。
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