ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

水の住人に関する異変

2008年12月09日 | 生き物 自然


昨日、あまりの大量死(ヤゴの)を目の当たりにして、
よく寝られなかったが(嘘です)、その後の状態を確
かめるべく「滝壺ビオトープ」を覗いた。
死んだ個体はそのまま放置しておいた。
いずれ、水の中で分解され溶けこむだろうから(基本
思想は、なるべく自然のまま)そうしておいたのだが、
ところがなんとしたことか、それらの姿が一匹も見え
ないのだ。
ということは、死んだと思っていたのが生きていたい
うことなのか。
単に、昨日は、低温で動けなかっただけなのか。
以前、同じようなヤゴが一匹いて、それは確かに翌日
もその翌日も死んでいた。
今では、体が崩れかけている(グリーナウェイの「ZOO」
のように、腐敗していく姿を楽しんでいるわけではな
いです)。
そんなことがあったので、そりゃあ死んでると思って
も無理はない。
仰向けになっても、ぴくりとも動かなかったのだから。
ったく人騒がせな。
というわけで、昨日の内容は完全に間違いであった。
結論は、昆虫の生態というのは神秘だ、である。

一方「鯉の池」でも異変が。
甥っ子が投入した「コチョウザメ」の姿が、これまた
見えないのだ。
底を泳いでいるので、目を凝らさないとなかなか発見
できないのだが、今までは暫くすれば確認は出来た。
ところが、この一週間ばかり、ことあるごとに覗いて
いるのだが、全く確認できていない。
もっと見えにくいどうでもいい「鮒」は見えるのだが、
「コチョウザメ」はどこへ行った。
天国か。

考えられるリスクは、鯉だ。
死ねば死体としてあるはずだし、とうとう食べられた
か。
なんと言っても鯉は悪食だから。
もともと大きさには不安があった。
アジリティー(オシムの言葉)にも不安があった。
現時点では、そういう事体の可能性が強い。
また間違いであった、なんてことであればいいのだが。
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