ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】スタインウェイ戦争

2005年12月30日 23時14分22秒 | 読書記録2005
スタインウェイ戦争 誰が日本のピアノ音楽会をだめにしたのか, 木裕・大山真人, 洋泉社 新書y117, 2004年
・BOOK OFFの新書「その他」コーナーにて、いろいろな本が雑然と並ぶなか目についた。「スタインウェイ…?戦争???」「スタインウェイといえばピアノだけど、、、ヨーロッパにそんな地名あるのかな…??」と手にとってみると、やっぱりピアノのスタインウェイについての本だった。そして紹介文を読んでみると、「本当のピアノの音を響かせたい!それが職人たる調律師の意地であり、腕の見せどころだ!そうして始まったのが「持ち込みコンサート」だった。ところが、突然、横槍が入る。ファイトが湧いた。「芸術」を隠れ蓑にするピアノ音楽界の汚れた体質、暴利をむさぼる楽器輸入総代理店の横暴、その代理店にすり寄るピアニスト、コンサート関係者、調律師、音楽評論家、そして、音楽出版社の馴れ合い、もたれ合い。それこそが日本のピアノ音楽界をだめにした元凶である。ひとり敢然として戦いを挑んだ、ピアノに魅せられた男の物語!」カバーより うひょ~おもしろそ~。というわけでレジへ。
・調律師(コンサートチューナー)である木の活動を、ノンフィクション作家である大山がまとめた形の本。文章が劇画調でちょっとアレな部分もあるが、知られざるスタインウェイやコンサートチューナーについての記述がなかなか興味深い。同じ"スタインウェイ"を名のりながら、ハンブルク(ヨーロッパ)とニューヨーク(アメリカ)の二つの異なる楽器が存在することに、その問題は端を発する。
・「チェンバロという鍵盤楽器は音の強弱を表現できない楽器だったため、」p.14 この言葉。耳にすることが多いが、実際チェンバロをたたいてみると、鍵盤をたたく力によって音の強弱はかわる。 その幅は狭いけれど。正確に言えば「ピアノほどは音の強弱を表現できない」と言ったほうが正しいと思うのですが。。。おそらく著者(大山)はチェンバロを弾いた経験がないのだろう。
・「日本人技術者は、どうやらピアノを「楽器」としてではなく、「家具、調度品」という考え方から抜け切れなかったようだ。」p.15
・「ところがほんの少しガーリックがいじるだけで、数字と理論で割り切れるような音に仕上がった。理論的に納得できる調律はないと思い込んでいた木には、不思議なものを見る思いだった。」p.42
・「「ほとんどのピアニストは、ピアノの中身のことを何も知らない。だからこそ、ピアニストは調律師に全幅の信頼を置くべきだ。もし、彼らの失敗のはけ口でしかないのなら、この仕事から足を洗おう」と思った。」」p.61
・「「俺たちは、芸術家でもなんでもない。職人だよ。それを芸術家だと勘違いする調律師が多すぎる」」p.64
・「「ピアノはホールにあるもの。それを弾く」という常識を誰も疑わない。」p.67
・「一般的には、(ハンブルクよりも)ニューヨークのほうがブリリアントな音がすると言われるが、最終的な音の違いはむしろ、ピアノの形ができあがってからの、技術者の整音によって表出するものである。ニューヨークとハンブルクでは、その整音の方法が全く違うのだ。」p.88
・「ホロヴィッツの演奏に関する評論や文献に片端から目をとおしてみた。そこには、「ホロヴィッツといえばあの音だろう。強靭な指先からはじきだされる独特の音色は……」といった抽象的なものばかり。いかに評論家やピアニストが無知であったかの証拠でしかない。結論からいえば、まったくピアノが違うのである。」p.167
・「読者の中には、「百二十年近くも昔に造られたピアノなのに、現在でも弾くことが可能なのだろうか」という疑問をもたれる方も多いだろう。答えはふたつある。「大量生産されたピアノ」には寿命がある。(中略)それに反して、選りすぐりの木材を使って造られた手作りのスタインウェイは、半永久的に持つといわれている。」p.175
・数十年ぶりに発見され、木の手により復活した銘器「ホロヴィッツが恋に落ちたピアノ」でレコーディングを行った邦人ピアニストの感想より→「それまで私はこのピアノに自分の音を求め、強要していたのであった。この楽器にはこの楽器にしか持ちえないすばらしい音が存在し、私はこのピアノにすべてをゆだねようと思ったのである。その音を見つけた瞬間からは、世界が全く変わった。」p.204 このCDが発売されているらしい。聴いてみたい。。。(『巨匠たちの伝説』NYS-80619
・「最も衝撃的だったのは、フランツ・モアにしてもW・ガーリックにしても「超一流の技術者の仕事は、一見ラフに見える」ということだった。」p.213
【参考リンク】
主人公の会社:タカギクラヴィア→http://www.takagi-klavier.com/
~~~~~~~
?コレペティトゥア オペラ練習用ピアニスト
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【本】岩波新書の50年

2005年12月26日 22時24分57秒 | 読書記録2005
岩波新書の50年, 岩波書店編集部 編, 岩波新書(新赤版) 別冊, 1988年
・「今茲に現代人の現代的教養を目的として岩波新書を刊行せんとする。」p.145 の言葉とともに1938年に発刊され、50周年に達したところで、それまでの歩みを振り返ってみようという企画本。半分が読み物で、残り半分は資料(総目録・索引)。
・その歴史を簡単に書くと、
1938年 赤版 元祖"新書"として創刊。日中戦争。
1949年 青版 敗戦後再発足。
1977年 黄版 青版1000点出版達成。
1988年 新赤版 創刊50周年
色の変化に何か法則があるものと思っていたが、「なんとなく区切りのいいところ」で変えているだけのようだ。
・「これらの本は、数年の生命しか期待できないテーマであったが、新書は本来、それほど長い生命をもたなくても時代の課題に応えることがまた重要なのである。」p.26
・「出版社にとって重要なのは何といっても企画力である。企画をどのようにたてて、時代の社会状況に対するかが問題なのである。」p.33
・「(1967年)第一回の建国記念日が二月一一日に実施された。各地で反対の集会がおこなわれ、東大・教育大などの学生は、記念日の制定に反対し、同盟登校をおこなった。」p.82
・「一九七二年の後半から七三年にかけての日本は、どこか狂っているように見えた」p.98 ちょうど私が生まれたころ。。。
・「やさしく書くということは、ただ平易に噛みくだくということではなく、読む人の心の動きを絶えず念頭に置くことなのだということに、おそまきながら私は気がついた」p.100
・「ちょうど、このころ政府のインフレ政策で、硬貨が欠乏し、見るからに安っぽい五十銭紙幣が発行されていました。この紙幣と並べると、定価五十銭の新書は誰の目から見ても、値段に比してりっぱに見えたにちがいありません。」p.139 当時の作り手、読み手の熱気が伝わる。
・まとめの文章→「岩波新書はいずれにしても、現代と未来への積極的対応を発想の基本においている。青版一〇〇〇点はいずれも、筆者と選ばれたテーマ、筆者と読者、その間を媒介する編集者、それぞれの間の密度の高い緊張のもとに歩んできた。その努力の結果が新書の一点一点に凝縮し、ひろく読者に受け入れられ、長い生命をもって読みつがれる多くの書を生んできたといえるであろう。」p.110
・とくに岩波新書ヲタというわけでもなく、これまで読んだのはせいぜい50冊程度。本書中で紹介されていたなかで、ソソられた本を以下に。
<青版>
武谷三男編『死の灰』1950年
E・シュレーディンガー/岡小天・鎮目恭夫訳『生命とは何か』1951年
梅棹忠夫『モゴール族探検記』1956年
堀田善衞『インドで考えたこと』1957年
石母田正『平家物語』1957年
松田道雄『私は赤ちゃん』1960年
森嶋恒雄『魔女狩り』1970年
<黄版>
中山典之『囲碁の世界』1986年
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【本】シミュレーションの発想

2005年12月24日 12時05分11秒 | 読書記録2005
シミュレーションの発想 新しい問題解決法, 中西俊男, 講談社ブルーバックス B-523, 1983年
・「シュミレーション」だったか「シミュレーション」だったか、いつも一瞬考えてしまう。勘違いしやすい言葉。「シミュレーション(simulation)という言葉はもともとラテン語のsimulo(まねる、ふりをする)から出た古い言葉である。一九四〇年代の末、すなわちコンピュータ・エージの夜明けのころ、はじめて新しい意味でこの言葉が用いられた。」p.16
・あまりにも技術発達のスピードが速く、当時とは時代がかけ離れていて、今となっては歴史的資料としての価値しかない本です。
・「シミュレーションで対象とするシステムが通常の計算処理と異なる点は、その処理過程に確率過程(stochastic process 時間tをパラメーターとする確率変数X(t)の結合)すなわち決定論的には決まらない不確定な過程がみられることである。」p.68 ここで前出の「不確定性原理」と繋がった。
・「〈シミュレーションの目的は〉想定システムの性能を事前に評価すること、施策決定のための予測を行うこと、実時間システムにおける適切な制御(これは二者と若干趣を異にする)などがある。」p.90
・「ではいったいどんな方法でモデルの信ぴょう性のチェックをしたらよいのであろうか。実はこれといった決め手はないのである。そこでいくつか考えられる方法を組み合わせて根気よくチェックするよりほかない。」p.141
・「優れたシステムをつくろうというときは、専門家の職業的直感を等閑視してはならない。」p.142
・「コンピュータが現れる以前は、列車ダイヤの作成は、スジ屋と呼ばれる専門家の手に全面的にゆだねられる形であった。」p.167
・「この分でいくと人間社会のあらゆる問題や活動がシミュレーションでチェックされ、正当性が確認された上で意思決定されることになるかも知れない。」p.246 夢は広がりますが、「何でもシミュレートできる」というのは思い上がりで、シミュレートできることよりもできないことの方が多い世が続くのではないかと感じます。はたして百発百中の天気予報は可能か? 不確定性の壁は破れるのか―?
・「最近はやりのスーパー・コンピュータ(Super Computer 一秒間に実行できる百万単位の命令数、すなわちMIPSが約五〇以上の、並行処理機能をもつ超大型コンピュータのこと)」p.251 50MHz・・・のどかな時代だなぁ・・・今現在のスパコンも20年後には家庭に1台あるのだろうけど。
~~~~~~~~~~
誤植:p.135 ×「あらかのじめ」  ○「あらかじめ」
?ちしつ【知悉】 ことごとく知っていること。知り尽くすこと。細かい点まで知っていること。精通。
?こうし【嚆矢】 1.(「嚆」は、さけびよぶこと)やじりに鏑(かぶら)を用いていて、射ると音をたてる矢。かぶら矢。  2.(昔、中国で、戦争の初めに1を射たところから)物事の初め。最初。
?ふくそう【輻湊・輻輳】(「輻」は車の輻(や)、「湊」「輳」はともにあつまる意)車の輻(や)が轂(こしき)に集まるように、四方から寄り集まること。物が一所にこみあうこと。
?ようらん【揺籃】1.赤ん坊を入れて、ゆり動かす小さなかご。ゆりかご。ゆさ。 2.転じて、幼児期や発展した物事の初めの時期をいう。
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【本】火車

2005年12月21日 22時33分53秒 | 読書記録2005
火車, 宮部みゆき, 新潮文庫 み-22-8, 1998年
・「火車【かしゃ】 火がもえている車。生前に悪事をした亡者をのせて地獄に運ぶという。ひのくるま。」とびらより
・ひさしぶりの小説。小説が嫌い、というわけではないのだけれど、いまいちそそられる作家がいない、ということで最近手にする事がすくないのです。 かなりの有名作家ですがその作品は初見でした(たぶん)。どんな作家でも、句読点の打ち方、改行の仕方など、たいていその文章に何らかの特徴があるものですが、この作家については無味無臭。作家の気配がほとんどしない、という不思議な印象を受けました。「自分を出さない」という点で、作家自身と登場人物の一人がダブって見えます。
・舞台:1992年、東京。あらすじ→「休職中の刑事、本間俊介は遠縁の男性に頼まれて彼の婚約者、関根彰子の行方を捜すことになった。自らの意思で失踪、しかも徹底的に足取りを消して――なぜ彰子はそこまでして自分の存在を消さねばならなかったのか? いったい彼女は何者なのか? 謎を解く鍵は、カード会社の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生に隠されていた。山本周五郎賞に輝いたミステリー史に残る傑作。」カバーより  自分の言葉であらすじを書こうかと思ったが、やっぱりプロの仕事にはかないません。。。
・冒頭から「綾瀬の駅」だの「常磐線」だのと具体的地名が出てくる。首都圏の人ならその情景がピンとくるのかもしれないが、そのあたりサッパリわからない。田舎者の宿命か。
・「目は心の窓というが、時として、裸電球ひとつともっていない穴蔵のような倉庫と同じぐらい、奥深い闇を宿すことがある。」p.26 これは実物を見た経験がないと出てこない表現。著者が出くわしたのは一体どんな状況だったのか、想像が膨らむ。
・以下しばらく、著者の取材の成果を書き抜き。「(住民票や戸籍謄本は)正当な理由がないかぎり、勝手な閲覧や写しの持ち出しを法律で規制されているはずのものなのに、同年輩の人間が窓口で「本人だ」と詐称すれば、簡単に手に入れることができるとは。」p.130
・「平成元年の統計で、まず『販売信用』のうちの『割賦方式』、この新規信用供与額――平たく言えば、この年の売り上げですな、これが十一兆四千とんで八十二億円。『非割賦方式』が十一兆八千五百七十二億円。つぎに『消費者金融』が同じ平成元年の統計で三十三兆九千五百十一億円。このふたつを合計すると――」p.178
・「多重債務者たちを、ひとまとめにして、『人間的に欠陥があるからそうなるのだ』と断罪するのは易しいことです。だがそれは、自動車事故に遭ったドライバーを、前後の事情も何も一切斟酌せずに、『おまえたちの腕が悪いからそうなるのだ。そういう人間は免許なんかとらないほうがよかったんだ』と切って捨てるのと同じことだ。『それが証拠に、ほら、事故を起こしていない人間だっているじゃないか』とね。そういう人間を見習え、とね」p.195
・「私はね、講演などで、とにかく夜逃げの前に、死ぬ前に、人を殺す前に、破産という手続きがあることを思い出しなさい、と話すようにしています。」p.201
・「女だって、痴情のためだけに犯罪をおかすとは限らない。変わってきているのだ――」p.223
・「何でも呑み込み、たいまち同化させてしまう東京という街のなかに入っても、不思議と関西人だけは、持ち前の色合いを失わないものだ。関西弁も強靭な生命力を持っている。」p.233
・「今の世の中でもっとも警戒心が強い人種とは、幼い子供を持った若い母親たちだろう。子供を狙った醜悪な事件があいついでいるからだ。」p.271 なんとタイムリーな言葉・・・
・「刑事には二種類いる。飲み屋のたぐいでは絶対に自分の身分を明らかにしないタイプと、ある程度場所を選びはするが、積極的に明らかにしてゆくタイプと。」p.314
・「「蛇が脱皮するの、どうしてだか知ってます?」(中略)「皮を脱いでいくでしょ?あれ、命懸けなんですってね。すごいエネルギーが要るんでしょう。それでも、そんなことやってる。どうしてだかわかります?」(中略)「いいえ、一所懸命、何度も何度も脱皮しているうちに、いつかは足が生えてくるって信じてるからなんですってさ。今度こそ、今度こそ、ってね」」p.415 いったいどこからこんな話を拾ってきたのか。ググってみるとこの文章の書き抜きが結構ひっかかる。
・なんだかおしりのあたりがムズムズしてくるよな形容→「かすかだが、声の調子が狂っていた。まるで、その話をするためには、日常使うことのない、まったく調律されていない鍵盤を引っ張り出してきてたたかなければならないのだ、というように。」p.440
・「「死」にまつわる行事にのぞんだとき、誰でも少しばかり人が変わって、できもしない誓いを立てたり、ずっと秘密にしてきた思い出を語ってみたりするものだ。」p.478
・佐高信による巻末の解説より「オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こし、その恐ろしさが喧伝された時、なるほどと思った情報が一つあった。それは、山梨県上九一色村のサティアンにいる信者たちの中には、多重債務者が多いという情報だった。取り立てをするヤクザたちも、薄気味悪くて、あの中には入れなかっただろう。」p.589
謎の女萌え。な方には自信を持ってオススメできる一冊です。
・ネタバレになってしまうので説明は書けませんが、最後に表題とリンクした最も強烈な一文を。
頼むから死んでいてくれ。」p.457

(本書を紹介してくれた某氏に感謝!)
~~~~~~~~~~
・エピグラフ(英epigraph)1(特に建物・像・墓・硬貨などの)碑銘,碑文.  2(巻頭に付す)銘句,題辞.
・けんでん【喧伝】やかましく言い伝えること。世に盛んに言いはやすこと。
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【本】不確定性原理 運命への挑戦

2005年12月16日 19時02分22秒 | 読書記録2005
不確定性原理 運命への挑戦, 都筑卓司, 講談社ブルーバックス B-155, 1970年
・「科学をあなたのポケットに」をモットーに、専門的内容を易しくかみくだいて本にしているのがブルーバックスですが、ここまで徹底して例え話を多用し、かみくだいている本も珍しい。それが「わかりやすさ」とつながるかは、また別の問題ですが。
・「序章 巨人の星」p.15 なんとかして読者を惹きつけるための涙ぐましい努力。大リーグボール1号と2号についての量子力学的解釈が、コン=ピューター教授(!!)と新聞記者の会話の形で説明されている。で、驚いたのは、絶対に打てない魔球として「超スロー・ボール」p.44 と教授は量子力学に基づいて大リーグボール3号の予言をしている。ホントに予言が当たったのか、既に大リーグボール3号は執筆当時に世に知られていたのか、発行年を見ると微妙なところだ。
・「過去も未来も確率的にしか決定されない、と主張するのが不確定性原理である。そうして、この不確定性原理を土台として、実験事実を紙の上に記述した数学的体系が量子力学というものである。」p.5
・「(この本は)ラプラスの悪魔へのチャレンジの記録だと思っていただいていい。悪魔へ真向から切り込んだのは若き日のハイゼンベルクであり、悪魔に致命傷を負わせた武器を、不確定性原理という。」p.78
・「かりに量子論にとってかわるものが出現したら、原因と結果とを結ぶ不可解な絆も、当然この新しい思想に沿って検討されていかなければならないであろう。」p.226
・「不確定性原理に影響されるにはあまりに大きく、相対性原理にとらわれるにはあまりに小さい人間の存在は・・・・・・単に生物学的にそうあるべきだといわれても、あまりにもうまくできすぎている。」p.253
・「人間についてはどうであろう。無機物や植物、さらには他の動物にない「自由意志」の中に、なにかふつうの因果律とは異ったものが存在しているような気がする。」p.267
・冒頭で出てくる「サイコロを振って出る目は予測可能か?」の問題についての答えが結局どうもあやふやだ(理解不足?)。「測定精度の向上によって予測は99.9999・・・%まで原理的に可能だが、不確定性原理によって100%は不可能」という解釈でOK?
~~~~~~~~~~
モットー(英motto)日常の行為・態度の指針としている事柄。また、それを表したことば。信条。座右の銘。「勤勉をモットーとする」
30過ぎて初めて英語だと知りました。。。orz
てんたん【恬淡・恬澹・恬?】(形動)あっさりしていて物事に執着しないこと。心やすらかで欲のないこと。
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【本】発想法 創造性開発のために

2005年12月10日 18時50分13秒 | 読書記録2005
発想法 創造性開発のために, 川喜田二郎, 中公新書136, 1967年
・「KJ法」について書かれた本書は、この手の本では古典的書物。他の本からの引用も多い。
・散らかった頭の中のアイディアをいかに整理し、まとめ、そこから新しいアイディアを生み出すかという手法論。例えるならジグソーパズルの組み立て方の戦略か。闇雲にパズルがうまくはまるか試すよりも、まずは各ピースの色から小さなグループごとにわけ、徐々に大きなグループに統合(ボトムアップ)していった方が効率がよいというお話(ものすごく大雑把に言うと)。程度の差はあれ、誰しも何らかの仕事をするときには、無意識に頭の中でやっている処理だろうが、その処理を頭の中から取りだして、見事に具体化・体系化してみせたところに意義がある。
・「このように話の曲がり角だけをなぐり書きにしても、ふしぎなもので、そのまま数日放っておいても、そのあとで記録するときにはほとんどまちがいなくつながって、完全な文章にすることができる。」p.40
 各章ごとの表紙に写真(小さくて見づらいですが)のような図が載っている。はじめは何のことやら意味不明だったが、その章を読んでから見返してみると、文章の構造までも理解できる機能的な目次兼索引になっていることに気がついた。全6章なので6枚の図を見ると、本書の内容がだいたい把握できる仕組みになっている。KJ法応用の一例。
・「もっと一般的にいうと、日本の社会では男性のほうが女性よりも概して抽象化の能力が高い。しかし、悪いのは、男性のほうが不必要に概念的な言葉でものごとを考えすぎる点である。」p.71
・「この事例のように、理屈の上でわかっているつもりでも、いざ実行というときになると邪道を歩む人がなかなかに多いのである。」p.80
・「多くの科学者は思いちがいをしている。叙述だけが客観的だから科学的であり、解釈などは主観的だから非科学的であり有害なものだと思いちがいをしておるのである。(中略)大切なのは、その解釈が正しいかどうかではない。その根拠が正直にデータに根ざした発想か否かなのである。」p.103
・「そのためにじつは日本人がKJ法を使いこなしにくい理由の一つがあるのだ。「そんなめんどうな方法を使わなくても、自分はいろいろな現実のデータから直観的に総合できるのだ」といううぬぼれが一方にある。」p.142
・「どこまでも問題を求めてさまよってゆくという能力が必要である。その場合、末はどこへ流れていくのだろうという心細さもあるが、その心細さに耐える能力が必要である。」p.154
・「KJ法をやっていると、次の実感を抱くのである。すなわち、「これは自分の頭のどこかでやっている思考の努力のコピイである。ただそれを、頭の中だけでなく、かなりな部分を外に取りだしてやっているだけである」と。」p.159
・「私の体験によれば、このように「追い詰められる」ことこそ、人間の創造性を育てる有力な一条件である。」p.169
・「私の体験内のおおまかな感じでは、反対といわれている声の八、九割までの原因は、じつは提案の性格がわからないところからきている。」p.181
・「この発想法は、分析の方法に特色があるのではなく、総合の方法である。はなればなれのものを結合して、新しい意味を創りだしてゆく方法論である。」p.195
・「KJ法の原点には、「人間が全人的に生きるとはどういうことか」を問うているものがある。」p.203 という文章からあとがきは書き出され、その後「KJ法は日本、いや世界中に広めねばならん!」と話はちょっと怪しげな方向へ。ついには「私は「KJ法学園」というものを設立する決心をした。」p.219 と闘志を燃やしていらっしゃる。その後うまくいったのだろうか・・・
参考リンク:川喜田研究所 http://www.path.ne.jp/~kjmethod/
・これならソフトウェア化できそうだ、と思い、ちょっと調べてみると出てくる出てくる。考えることは皆一緒。
参考リンク:アイデア発想支援 IdeaCard http://www.vector.co.jp/soft/win95/writing/se093192.html
いまならネットワークを介して数万人規模でのKJ法も可能か。
~~~~~~~~~~
・この本もまた古本なもので、前の持ち主が引いた線が残っている。はじめのうちは割とマメに線を引いているけれど、ページが進むにつれて減っていき、70ページほどで挫折している。自分の場合は線は引かず、付箋紙で印をつけているのだが、面白いことに前の持ち主とは一ヶ所も一致しなかった。同じ本でも読む人が変わると、こんなにも注目する点が違うものか。前所有者は重要語句やその説明を中心に線を引いている。どうやらKJ法について丸暗記しようという指針に従っているらしい。そりゃ挫折もするわい。自分の場合は上の書き抜きを見ると、著者の生の体験や、その体験を通してにじみ出てくる言葉(肉声)に興味があるらしい。
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【本】棒ふりの休日

2005年12月09日 22時34分31秒 | 読書記録2005
棒ふりの休日, 岩城宏之, 文春文庫271-2, 1982年
・「かねがね、「初潮」という言葉に、不満である。(中略)
僕の不満は、この辞書に、次の項目がないからなのだ。
しょ○○○[初○](名)[生]最初の射精(シャセイ)があること。初○。
ケシカランではないか。
」p.11

精通(せいつう)で調べろ!!」とこの文章の発表当時、投書が殺到したであろうことは想像に難くない。それとも、この言葉はわりと新しい言葉なのだろうか。確かに広辞苑(第四版)には載っていない。まあ、昭和一桁生まれで保健の授業なんてなかったろうから仕方がないか。ていうか、本文第1ページ目にしてこれか・・・
・エッセイ集「棒ふり」シリーズの第2作目。タイトルのとおり、まさに「休日」で音楽の話題はほとんどなし。ガッカリ。「音楽家」から「音楽」を抜くとどうなるか、のよい見本。「フィルハーモニーの風景(岩波新書)」なんかは面白かったのだけど・・・
・「洋服屋さんで寸法をとる時、洋の東西を問わず、初めての店では、必ず、左か右を尋ねられる。あるいは、腰のサイズを計りながら、何気なくさわっているのか、寸法を記入するアシスタントに、右、とか、左、とか言っている。(中略)これは、女性の方々には、あまり知られていないようである。」p.24
マジデスカ・・・?私も知りません。
・「静内は、あくまで「町」で、「市」ではない。人口は二万の「町」に、音響効果も完璧で、何から何まで立派なコンサートホールがある。ここでシンフォニーをやると、千ナンボの客席が満員になるのだ。人口の二十分の一近くの人が、聴きに来てくれるわけになる。」p.50
マジデスカ・・・?そんなホールあるの??
・ビールについて→「サッポロビールは北海道、特に札幌で飲むのが最高で、その中でも、会社直営のサッポロビール園で飲む味は、まさにビールの王様だ。アサヒは大阪の吹田とか、キリンは横浜というふうに工場の近くがよろしい。」p.95 「まちがいなく世界一は、チェコのピルゼンだ。ピルスナー・ウルクウェルという名で輸出しているから、日本でも、西ヨーロッパでもアメリカでも飲めるけれど、ピルゼンの街はずれのビール工場の中の、社員食堂で飲むナマの味は一生忘れられない。」p.100
マジデスカ・・・?ピルゼン・・・飲んでみたい・・・
・「それで世界中のオーケストラはウィンナワルツのもつウィーン独特のリズムを、ウィーン・フィルハーモニーの何倍も大袈裟な演奏の仕方をして、実はウィンナワルツからどんどん遠いものになってしまう。本場のウィーンフィルは実にあっさりとこのリズムをやってのけていて、だがこのあっさりというのが真似できないのだ。」p.123
・「自分の意志で違う音を出しておきながら、はて、あの指揮者はオレのミスをわかっているのだろうかと、逆に指揮者の耳をテストするけしからんヤカラもいるのである。このヤカラは始末の悪いことに優秀な人が多く、こういった優秀な音楽家にこういう一種の勝負を挑まれることが多い。」p,145
・本書より→「ギッチョ」、「日本中にあふれているバカママゴン」、「バカチョン」、「キチガイ」・・・今なら文章の質を含めて、出版にまずOKは出ないであろう。当時のおおらかさが窺い知れる。
・ちなみに著者は有名指揮者です。一応念のため補足。
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【本】理系のための英語文献の探し方・読み方

2005年12月02日 22時26分42秒 | 読書記録2005
理系のための英語文献の探し方・読み方 インターネット時代の検索・読解ガイド, 小坂貴志, 講談社ブルーバックス B-1292, 2000年
・やるべきことをきちんとやっていれば、今更こんな本に手を出すこともないのだが・・・我ながら情けない。
・題名どおりの内容で、卒なくスッキリまとまっているので、これから卒業研究に取りかかろうかという学部生には是非一読してもらいたい本です。
・インターネット検索についての章では多少古臭さを感じるが、現在でも基本は一緒なのであまり気にならない。
・「自分の意見を持つために読む これが英語文献を読む究極の目的です。」p.29
・「専門誌で受動態が多用されるのは、表現に客観性を示すためです。」p.129
・「文章構造が単純なのも論文の特徴です。」p.131
・「論文に出てくる専門用語は、一つや二つではないはずです。完全主義になっていちいち「翻訳」していたら、時間がいくらあっても足りなくなってしまいます。(中略)まずは、論文全体の内容を理解することが先決。それには、専門用語の一つや二つわからなくても、立ち止まる必要はありません。そんなことをしていたら、むしろ大切な論文全体の内容を理解できずに終わってしまいます。」p.152
・「Perhaps、Maybe、Probablyなど自説を謙虚に提示しようとすると、単に自説が不確かなものであるとして受け取られてしまいます。英語ではAbsolutely、Definitely、Certainlyなど、むしろ強調する副詞が好まれます。」p.157
・「せっかく読んだ内容はぜひ整理して、資料として残したり、きちんと頭の中に入れておきたいものです。そのためには、簡単なレポートにまとめるのもひとつの手段です。読んだ内容をどの程度理解したか確認できるだけでなく、将来、きちんとしたレポートや論文を書くための練習にもなるからです。」p.168
簡単なレポート→まさにこのブログ。
・「このあたりでみなさんも、具体的な文献を探し、読み始めてみてはいかがですか。人の話を聞いているのと、実際にやってみるのとでは、理解力に相当の差が出てきます。
よしゃー!やってみよー!
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・BOOK OFF(古本屋)にて購入した本書。中に紙切れ一枚はさまっていた。開いてみると本の納品書。購入者の氏名・住所がモロにのってる・・・試しに氏名をググってみると、札幌の某大学の非常勤講師の肩書きを持つ方でした。
【注意】本を売るときはいま一度、中の確認を!
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【本】バカの壁

2005年11月30日 22時16分34秒 | 読書記録2005
バカの壁, 養老猛司, 新潮新書003, 2003年
・2003年4月10日初版発行、そして手元の本は2003年9月15日23刷。この数字から当時の売れっぷりがよくわかる。世情にうとい私でも、このタイトルは耳にし、ちょっと気になる本でした。
・第二章 脳の中の係数:「y=ax という一次方程式のモデルが考えられます。何らかの入力情報 x に、脳の中で a という係数をかけて出てきた結果、反応が y というモデルです。」p.31 という自説について一章を割いて記述しています。「一次式(線形)て・・・単純すぎ」、「そりゃぁ極論だよ」なんて考えながら読み進めていくと、章の終わりに、「ここで述べたことはヘリクツでも極論でもない。」 ウキー!!読まれた!! (続き)→「脳も入出力装置、いわゆる計算機と考えたら当たり前です。普通はそう考えてないから、一次方程式に置き換えると違和感がある。人間はどうしても、自分の脳をもっと高級なものだと思っている。実際には別に高級じゃない、要するに計算機なのです。」p.39 どうも、個々の神経細胞は単純な動きしかしていない→(だから)→その寄せ集めも単純な動きしかしない。という考えでいるようで、「相転移」等の考えについては頭にないご様子。
・上のほか、な~~んかひっかかる記述が多分野に渡ってあったので、いくつか拾ってみると、
★複雑系工学「温暖化でいえば、気温が上がっている、というところまでが科学的事実。その原因が炭酸ガスだ、というのは科学的推論。複雑系の考え方でいけば、そもそもこんな単純な推論が可能なのかということにも疑問がある。」p.25
★言語学「ソシュールによると「言葉が意味しているもの」(シニフィアン)と、「言葉によって意味されるもの」(シニフィエ)、という風にそれぞれが説明されています。この表現はわかったようなわからないような物言いです。実際、ソシュールは難解だとされています。」p.76
★情報工学「脳のモデルとして現在有効であると考えられている「ニューラル・ネット」というものがあります。(中略)例えばコンピュータに文字を識別させるプログラムを作る場合、こういう自ら学習するプログラムと、細かいところまで全て予め設定して識別するプログラムとでは、前車の方がはるかに効率がよく、簡単なプログラムで済むことがわかっています。」p.93
★心理学「フロイトが無意識を発見する必要があったのは、ヨーロッパが十八世紀以降、急速に都市化していったことと密接に関係している。」p.116
★宗教学「イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。」p.193
このほか生物学・哲学・経済学・歴史などなど・・・「浅く・広く・大雑把に」という著者の情報収集についての行動パターンが透けて見えるようです。世間の「バカの壁」について指摘し、論じながら著者自らの「バカの壁」をも晒す。もっともその本意は「バカの壁」は壊すものではなく、認知し乗り越えるものであるということか。
・ま、いろいろ考えさせられる。という意味ではイイ本じゃないの~。
・なぜ本書は大ヒットしたのか?やっぱりそのネーミングと読み易さ?(主張が単純明解・断定的) 読み終えても尚、いまいちその題名がしっくりこない感じ。変えるとしたら・・・「養老猛司の頭の中味」・・・うん。こりゃ売れない。
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【本】無限と連続

2005年11月28日 23時11分31秒 | 読書記録2005
無限と連続, 遠山啓, 岩波新書 G3(青版96), 1952年
・一見すると哲学書か?と思うような題名ですが、れっきとした数学の本です。カバー紹介文より「難解とされる現代数学の根本概念を、数式を用いずにやさしく解説する「数学への招待」として本書は書かれた。音符が読めなくてもすぐれた音楽鑑賞家になれるように、数学を「鑑賞する」ための本といえよう。」とあるように、文章で数学を「感じる」ことができる稀有な本。例えるなら、大地にポッカリとあいた巨大な穴(数学の穴?)のふちから、恐る恐る穴をのぞきこむと、なかは漆黒の闇。小石を投げ入れても反応無し。その底知れぬ深さに恐怖をいだくような感覚。微分・積分の勉強を終わって、この次に一体なにがあるのか?と疑問をもつような高校生あたりにオススメしたい本です。
・「「数の概念の規定は集合数と単位であり、数そのものは両者の統一である。」ヘーゲル」p.6 この言葉のみ書き抜いても意味不明でしょうが、一応備忘のため。
・「われわれのなかには根強い空間化の傾向があり、トポロジーはそのように広い空間化の方向をも包容するもので、狭い意味の幾何学より以上のものである」p.133 「いままで数量化の困難のために数学の利用を封じられていた部門にも利用の途が開けてくるのではあるまいか。例えば数量化の困難ないろいろな性質の「似ているか、いないか」の比較を位相化の手段によって翻訳できるようになるかもしれない。」p.134
 トポロジー万歳!!
・本来ならこのようにザッと読み飛ばすのではなく、一日につき数ページのペースでじっくりと考えながら読むべき本。
・数学トリビア「スウィフトは計算があまりじょうずでなかったとみえて、ガリバー(身長が小人の12倍)の食糧配給率が身体の容積に比例すべきであるといういとも科学的な議論をのべたあとで、さて計算の段になると12^3=1728とすべきところを12^3=1724と答えを出している。この計算違いはたしかに不朽の名作とともに残る不朽のご愛嬌であろう。」p.143 →(注)「生物学者によると食料は身体の容積ではなく、表面積に比例する。だから、ガリバーの配給量は、12^2=144、すなわち小人の144倍で十分であったろう。」p.188
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