スタインウェイ戦争 誰が日本のピアノ音楽会をだめにしたのか, 木裕・大山真人, 洋泉社 新書y117, 2004年
・BOOK OFFの新書「その他」コーナーにて、いろいろな本が雑然と並ぶなか目についた。「スタインウェイ…?戦争???」「スタインウェイといえばピアノだけど、、、ヨーロッパにそんな地名あるのかな…??」と手にとってみると、やっぱりピアノのスタインウェイについての本だった。そして紹介文を読んでみると、「本当のピアノの音を響かせたい!それが職人たる調律師の意地であり、腕の見せどころだ!そうして始まったのが「持ち込みコンサート」だった。ところが、突然、横槍が入る。ファイトが湧いた。「芸術」を隠れ蓑にするピアノ音楽界の汚れた体質、暴利をむさぼる楽器輸入総代理店の横暴、その代理店にすり寄るピアニスト、コンサート関係者、調律師、音楽評論家、そして、音楽出版社の馴れ合い、もたれ合い。それこそが日本のピアノ音楽界をだめにした元凶である。ひとり敢然として戦いを挑んだ、ピアノに魅せられた男の物語!」カバーより うひょ~おもしろそ~。というわけでレジへ。
・調律師(コンサートチューナー)である木の活動を、ノンフィクション作家である大山がまとめた形の本。文章が劇画調でちょっとアレな部分もあるが、知られざるスタインウェイやコンサートチューナーについての記述がなかなか興味深い。同じ"スタインウェイ"を名のりながら、ハンブルク(ヨーロッパ)とニューヨーク(アメリカ)の二つの異なる楽器が存在することに、その問題は端を発する。
・「チェンバロという鍵盤楽器は音の強弱を表現できない楽器だったため、」p.14 この言葉。耳にすることが多いが、実際チェンバロをたたいてみると、鍵盤をたたく力によって音の強弱はかわる。 その幅は狭いけれど。正確に言えば「ピアノほどは音の強弱を表現できない」と言ったほうが正しいと思うのですが。。。おそらく著者(大山)はチェンバロを弾いた経験がないのだろう。
・「日本人技術者は、どうやらピアノを「楽器」としてではなく、「家具、調度品」という考え方から抜け切れなかったようだ。」p.15
・「ところがほんの少しガーリックがいじるだけで、数字と理論で割り切れるような音に仕上がった。理論的に納得できる調律はないと思い込んでいた木には、不思議なものを見る思いだった。」p.42
・「「ほとんどのピアニストは、ピアノの中身のことを何も知らない。だからこそ、ピアニストは調律師に全幅の信頼を置くべきだ。もし、彼らの失敗のはけ口でしかないのなら、この仕事から足を洗おう」と思った。」」p.61
・「「俺たちは、芸術家でもなんでもない。職人だよ。それを芸術家だと勘違いする調律師が多すぎる」」p.64
・「「ピアノはホールにあるもの。それを弾く」という常識を誰も疑わない。」p.67
・「一般的には、(ハンブルクよりも)ニューヨークのほうがブリリアントな音がすると言われるが、最終的な音の違いはむしろ、ピアノの形ができあがってからの、技術者の整音によって表出するものである。ニューヨークとハンブルクでは、その整音の方法が全く違うのだ。」p.88
・「ホロヴィッツの演奏に関する評論や文献に片端から目をとおしてみた。そこには、「ホロヴィッツといえばあの音だろう。強靭な指先からはじきだされる独特の音色は……」といった抽象的なものばかり。いかに評論家やピアニストが無知であったかの証拠でしかない。結論からいえば、まったくピアノが違うのである。」p.167
・「読者の中には、「百二十年近くも昔に造られたピアノなのに、現在でも弾くことが可能なのだろうか」という疑問をもたれる方も多いだろう。答えはふたつある。「大量生産されたピアノ」には寿命がある。(中略)それに反して、選りすぐりの木材を使って造られた手作りのスタインウェイは、半永久的に持つといわれている。」p.175
・数十年ぶりに発見され、木の手により復活した銘器「ホロヴィッツが恋に落ちたピアノ」でレコーディングを行った邦人ピアニストの感想より→「それまで私はこのピアノに自分の音を求め、強要していたのであった。この楽器にはこの楽器にしか持ちえないすばらしい音が存在し、私はこのピアノにすべてをゆだねようと思ったのである。その音を見つけた瞬間からは、世界が全く変わった。」p.204 このCDが発売されているらしい。聴いてみたい。。。(『巨匠たちの伝説』NYS-80619)
・「最も衝撃的だったのは、フランツ・モアにしてもW・ガーリックにしても「超一流の技術者の仕事は、一見ラフに見える」ということだった。」p.213
【参考リンク】
主人公の会社:タカギクラヴィア→http://www.takagi-klavier.com/
~~~~~~~
?コレペティトゥア オペラ練習用ピアニスト
・BOOK OFFの新書「その他」コーナーにて、いろいろな本が雑然と並ぶなか目についた。「スタインウェイ…?戦争???」「スタインウェイといえばピアノだけど、、、ヨーロッパにそんな地名あるのかな…??」と手にとってみると、やっぱりピアノのスタインウェイについての本だった。そして紹介文を読んでみると、「本当のピアノの音を響かせたい!それが職人たる調律師の意地であり、腕の見せどころだ!そうして始まったのが「持ち込みコンサート」だった。ところが、突然、横槍が入る。ファイトが湧いた。「芸術」を隠れ蓑にするピアノ音楽界の汚れた体質、暴利をむさぼる楽器輸入総代理店の横暴、その代理店にすり寄るピアニスト、コンサート関係者、調律師、音楽評論家、そして、音楽出版社の馴れ合い、もたれ合い。それこそが日本のピアノ音楽界をだめにした元凶である。ひとり敢然として戦いを挑んだ、ピアノに魅せられた男の物語!」カバーより うひょ~おもしろそ~。というわけでレジへ。
・調律師(コンサートチューナー)である木の活動を、ノンフィクション作家である大山がまとめた形の本。文章が劇画調でちょっとアレな部分もあるが、知られざるスタインウェイやコンサートチューナーについての記述がなかなか興味深い。同じ"スタインウェイ"を名のりながら、ハンブルク(ヨーロッパ)とニューヨーク(アメリカ)の二つの異なる楽器が存在することに、その問題は端を発する。
・「チェンバロという鍵盤楽器は音の強弱を表現できない楽器だったため、」p.14 この言葉。耳にすることが多いが、実際チェンバロをたたいてみると、鍵盤をたたく力によって音の強弱はかわる。 その幅は狭いけれど。正確に言えば「ピアノほどは音の強弱を表現できない」と言ったほうが正しいと思うのですが。。。おそらく著者(大山)はチェンバロを弾いた経験がないのだろう。
・「日本人技術者は、どうやらピアノを「楽器」としてではなく、「家具、調度品」という考え方から抜け切れなかったようだ。」p.15
・「ところがほんの少しガーリックがいじるだけで、数字と理論で割り切れるような音に仕上がった。理論的に納得できる調律はないと思い込んでいた木には、不思議なものを見る思いだった。」p.42
・「「ほとんどのピアニストは、ピアノの中身のことを何も知らない。だからこそ、ピアニストは調律師に全幅の信頼を置くべきだ。もし、彼らの失敗のはけ口でしかないのなら、この仕事から足を洗おう」と思った。」」p.61
・「「俺たちは、芸術家でもなんでもない。職人だよ。それを芸術家だと勘違いする調律師が多すぎる」」p.64
・「「ピアノはホールにあるもの。それを弾く」という常識を誰も疑わない。」p.67
・「一般的には、(ハンブルクよりも)ニューヨークのほうがブリリアントな音がすると言われるが、最終的な音の違いはむしろ、ピアノの形ができあがってからの、技術者の整音によって表出するものである。ニューヨークとハンブルクでは、その整音の方法が全く違うのだ。」p.88
・「ホロヴィッツの演奏に関する評論や文献に片端から目をとおしてみた。そこには、「ホロヴィッツといえばあの音だろう。強靭な指先からはじきだされる独特の音色は……」といった抽象的なものばかり。いかに評論家やピアニストが無知であったかの証拠でしかない。結論からいえば、まったくピアノが違うのである。」p.167
・「読者の中には、「百二十年近くも昔に造られたピアノなのに、現在でも弾くことが可能なのだろうか」という疑問をもたれる方も多いだろう。答えはふたつある。「大量生産されたピアノ」には寿命がある。(中略)それに反して、選りすぐりの木材を使って造られた手作りのスタインウェイは、半永久的に持つといわれている。」p.175
・数十年ぶりに発見され、木の手により復活した銘器「ホロヴィッツが恋に落ちたピアノ」でレコーディングを行った邦人ピアニストの感想より→「それまで私はこのピアノに自分の音を求め、強要していたのであった。この楽器にはこの楽器にしか持ちえないすばらしい音が存在し、私はこのピアノにすべてをゆだねようと思ったのである。その音を見つけた瞬間からは、世界が全く変わった。」p.204 このCDが発売されているらしい。聴いてみたい。。。(『巨匠たちの伝説』NYS-80619)
・「最も衝撃的だったのは、フランツ・モアにしてもW・ガーリックにしても「超一流の技術者の仕事は、一見ラフに見える」ということだった。」p.213
【参考リンク】
主人公の会社:タカギクラヴィア→http://www.takagi-klavier.com/
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?コレペティトゥア オペラ練習用ピアニスト