ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【鑑】百香Live in 室蘭NHKプラザμ

2006年04月30日 15時22分59秒 | 鑑賞記録
百香Live in 室蘭NHKプラザμ
~すべての恋人達に贈る素敵な縁結びの物語~
2006.4.29(土) 14:00開演, NHK室蘭放送局 プラザμ(ミュー), 入場無料
歌&Violin 百香, Keybord 小松崎純

・ご挨拶 百香サポーターズクラブ代表より
♪???
♪彷徨(さまよい)
♪Brand-new Wave
♪Twinkle Star
♪さくら さくら(Violin演奏) ~ ???
♪???
♪White Wing Story
アンコール  I love you (尾崎豊)

以前の日記で紹介した百香さんのライブがあるというので行ってきました。ちょうど同じ建物でジュニアオケの練習があったのですが、そちらはちょっとサボって。
・早めに会場について覗いてみると、裏方さんたちは知ってる人ばかり。大学オケの後輩やら、いまや"先生"のA君やら、某飲み屋の店長さんやら、某文化施設の裏方さんやら・・・ 田舎なので思わぬ人どうしが思わぬところで繋がっていますね。
・で、できれば本人さんとも会いたいな、と思ったけれど、会ったところで、
 (゜Д゜)ハァ? あなただれ??
なんてことになるのではないかと思って迷いました。なにしろ彼女を知っているのは小学生の頃のことで、10年ほど前の話。それでも勇気を振り絞って挨拶にいってみると・・・覚えていてくれた。。。よかったよかった(脱力)。
・曲は本人の作詞作曲。主に歌を歌い、間奏にViolinをはさむ演奏スタイル。歌8割、Violin2割くらい。声はとても耳になじみやすく、聴きやすい良い声だと思います。その声と、あまりせわしくない曲調なので、広い年齢層で安心して聴けるものです。
・今回の演奏曲の中では『Twinle Star』がお気に入り。『さくら さくら』のViolin演奏もよかった。特に今回のように高い年齢層のお客さんには、このように誰でも知っている曲をはさむのは効果的ですね。Violin弾きとしては、もうちょっとたくさんViolinを聴きたかった。
・いつか、ジュニアオケと共演。なんて機会があるとよいのになぁ。その時を楽しみにしています。
・楽器:はじめ生Violinかと思ったが、ワイヤレスでピックアップが仕込んであるタイプ。外からはピックアップやジャックが見あたらない(ボディ内に装着?)。今時はそんな商品も出ているのですね。
・演奏会のプログラムが無く、がんばって曲目を書きとめたが、聞き漏らしあり > 上記『???』
・客数約150名[目測] 年齢層高し。
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【本】後世への最大遺物/デンマルク国の話

2006年04月29日 23時03分05秒 | 読書記録2006
後世への最大遺物/デンマルク国の話, 内村鑑三, 岩波文庫 青119-4, 1946年
・『後世への最大遺物』。かなり前から読みたいとは思っていたのですが、『長大で難解な思想書』との勝手な思い込みがあって、後まわしにしていました。ところが先日、BOOK OFFで偶然発見。『こんなに薄いの!?(約100ページ)』 思い込みとは恐ろしい。 明治27年(1894年)箱根にて開かれた第六回夏期学校(キリスト教徒の修養会)での講演録。
・読んでみると、なぜもっと早く読まなかったのか、と悔いた。参りました。感動しました。特別なことをしゃべっているというわけでもないのだけれど、著者の人柄というかオーラが活字を通して伝わってくる、初めての感覚。なんだこれは! また数年後には読み返したい本。なにか行動をおこさずにはいられなくなるような気持ちになる本。読む人によっては、その人生の軌道を大きくひん曲げるほどの力を秘めた本。人の道を説く怪しげな本はたくさん見かけますが、この本を前にすると皆消し飛んでしまうでしょう。
・巻末解説の紹介文が的確 → 「これは単なる一場の講演でありましたが、プロテスタント・キリスト教によってつちかわれた講演者自身のきわめて健康な精神は、長い年月にわたって日本の人々に強い感銘を与え、この講演それ自身がその人にとってその題名にふさわしい役割を果たしたのであります。」p.106
・前出書(じぶん・この不思議な存在)にて、『2006年のベスト本はこれで決まり!』などと口走ってしまいましたが、強敵現る。うれしい誤算。
・「すなわち私に五十年の命をくれたこの美しい地球、この美しい国、この楽しい社会、このわれわれを育ててくれた山、河、これらに私が何も遺さずには死んでしまいたくない、との希望が起こってくる。」p.16
・「それでこの次は遺物のことです。何を置いて逝こう、という問題です。何を置いてわれわれがこの愛する地球を去ろうかというのです。」p.19
・「それでわれわれの今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それを煎じつめてみれば、やはり金銭問題です。」p.21
・「金を儲けることは己れのために儲けるのではない、神の正しい道によって、天地宇宙の正当なる法則にしたがって、富を国家のために使うのであるという実業の精神がわれわれのなかに起こらんことを私は願う。」p.25
・「それで私がよりもよい遺物は何であるかと考えて見ますと、事業です。事業とは、すなわち金を使うことです。」p.28
・「私一個人にとっては聖書のほかに、私の生涯に大刺激を与えた本は二つあります。一つはカーライルの『クロムウェル伝』であります。(中略)それからその次にこのブレーキ氏の書いた、『デビッド・リビングストン』という本です。」p.32
・「それでもし私に金を溜めることができず、また社会は私の事業をすることを許さなければ、私はまだ一つ遺すものを持っています。何であるかというと、私の思想です。」p.35
・「文学というものはわれわれの心に常に抱いているところの思想を後世に伝える道具に相違ない。それが文学の実用だと思います。」p.36
・「文学はわれわれがこの世界に戦争するときの道具である。今日戦争することはできないから未来において戦争しようというのが文学であります。」p.41
・「すなわちわれわれが他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく、自分の拵った神学説を伝えるでなくして、私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだ、ということを書くならば、世間の人はドレだけ喜んでこれを読むか知れませぬ。」p.46
・「それならば最大遺物とは何であるか。私が考えてみますに人間が後世に残すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。」p.54
・「とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。われわれが神の恩恵を享け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。」p.67
・「あたかも疾病の襲うところとなりて人の健康がわかると同然であります。平常のときには弱い人も強い人と違いません。疾病に罹って弱い人は斃れて強い人は存るのであります。」p.77
・「まことに詩人シラーのいいしがごとく、天然には永久の希望あり、壊敗はこれをただ人のあいだにおいてのみ見るのであります。」p.80
・「国人に嫌われながら彼らのために尽すは特別の名誉である、」p.110
~~~~~~~
?ひえき【裨益】 (「裨」は、「おぎなう」または「たすける」意)おぎなって利益を与えること。たすけとなること。役に立つこと。補益。
?こうがい【慷慨】 1 (―する)世の中のことや自己の運命を、憤り嘆くこと。また、憤って、心を奮い起こすこと。あるいは、その心。「悲憤慷慨」  2 (形動)意気が盛んで物事に感じやすい性質。また、心を奮い起こし、意気盛んなさま。
?めいろん‐たくせつ【名論卓説】 すぐれた論説。
~~~~~~~
なんと↓コチラで全文読めてしまいます。。。(とても読む気にはなれないけれど)
http://aozora.skr.jp/aozora/u/uchimura.html
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週間オケ 第2号@酔

2006年04月29日 01時20分30秒 | 日記2005-10
・・・何も言うまい。。。orz

『飲み屋に貼ってあったの見たよ~』
と声をかけられた。

で、今日いった飲み屋にも貼ってあった…

カンベンシテ~~

もうやぶれかぶれ。


※画像の転載・リンク禁止!
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【本】自己発見

2006年04月27日 22時16分33秒 | 読書記録2006
自己発見, 湯川秀樹, 講談社文庫 C113, 1979年
・中間子の存在の予言により、日本人初のノーベル賞(物理学賞)をとった湯川秀樹氏による1960~70年代の随筆・講演録集。『庭の構図』、『私の中の古典』、『離見の見』の三部構成。文章を書くのが好きだったとみえて、研究者としては著作が比較的多い。
・なかなか内容が濃く、含蓄のある言葉が多い。
・「人間はどうしたら創造的に生きられるのか、生き続けられるのか。私は自分に向って、こういう問いかけを、長年にわたって繰り返してきた。」p.10
・「自己を発見することから始まって、次にはまた、もっと違った自己を発見する、さらに後になってまた新しい自己を発見する。そういう発見ないし再発見を繰返すことが、前進でもあり、それが創造的に生き続けることを可能にしている。」p.11
・「もともとあった内向的な傾向が、急速に強くなっていった。自分とうまくつながらない外の世界、その中で孤独になった自分にいったい何ができるのか。この世の中でいったい何をして生きていったらよいのか。そんなことをだんだんと深く考えるようになっていった。」p.12
・「私の中にあって、何十年にもわたって、私を動かしつづけているのは、未知の世界へのあこがれである。」p.14
・「人間の営みは、すべて有限にとどまらざるを得ない。」p.31
・「しかしその反面、嗅覚が私たちに思いがけない、そして他の感覚で代置できない作用をする場合があることも否定できない。」p.43
・「中国の古典は、大人のための教え、大人の知恵という性格が強い。青年期的思想であるよりは壮年期的であり、さらに壮年期的であるよりは老年期的である。」p.67 いつか中国の古典には手をつけたいと思っています。
・「老子は今から二千数百年前にすでに人類の文明の今日の状況、あるいはこれからの状況を見透していたかのように思われてならない。」p.69
・「わずらわしさが国際的規模になってきた。これはたまらぬ。いったん広がり、便利になったコミュニケーションの発達の向きをかえて、もとの静かな世の中に戻すのは至難である。」p.70 『科学の発展をやめるとどうなるか?』そんな世界を描いた大江健三郎氏のSF小説を読んだような・・・ 1970年代だと、今から見ると随分のどかな時代に思えますが。今から数十年後はまた更にあわただしい時代になっているのでしょうかね。想像つかない。
・「日本は相当古い国ではあるが、まだ青年期的な傾向が強いように思う。昔も今も、異国の事物に対する好奇心が恐ろしく強い点で、青少年的である。」p.72
・「自然界のなかにもともと潜在していた、さまざまな可能性を人間が見つけだし、それを現実化した結果が科学文明にほかならない。文明とはいわば第二の自然である。」p.78
・「自然という相手に予想外の手を打たせること自身が、成功である。そこで考え直し、何手も何手も先まで読むことができるのが、すぐれた科学者である。」p.83
・「科学の歴史は裏から見れば失敗と停滞の歴史でもある。」p.84
・「個別的な、すばやい反応の方はできるだけ機械にまかせて、総合的な判断に貴重な時間を使う。それが科学文明の中に生きる人間の一つのあり方であろう。」p.87
・「学者であろうとなかろうと、人間の価値は、その人が大国に住んでいるか小国に住んでいるか、あるいはまた、大都会に住んでいるかどうかには無関係である。(中略)ところが案外、私たちは知らず知らずの間に、ある人の価値を、その人の住んでいる場所と結びつけて評価している場合が多いのである。」p.93
・「人間のつくった機械は、まだまだ大柄すぎ、不器用すぎる。(中略)しかし物理学や科学や工学の進歩に伴って、機械は少しずつ生物に近づいてゆくであろう。」p.101
・「私は科学者として、一つの信念を持ちつづけてきた。それは「自然はその本質において単純だ」ということである。」p.104
・「どうも、人間には早く走りまわりたいという基本的欲求のようなものがあるらしい。」p.111
・「これは逆説的な表現になるかも知れませんが、学問における創造とは、繰返しの中から、何か繰り返しでない新しいもの――しかし、いっぺんできたら、あとは誰でも何度でも繰返せるようなもの――を見つけだそうとすることだ、ともいえる。」p.115
・「要するに、自分で考え抜くということが創造の原動力です。」p.116
・「最後に、もう一度、人間は人間をふくむ未来の完全な予測ができないはずであることを強調したいと思う。人間の創造力は今までに出つくし、未来の人間は創造性を発現しないだろうという前提を認めない限り、未来の完全な予想が可能だという結論は出てこないはずです。」p.116 ゲーデルの不完全性定理?
・「私の臆断によれば、人間というものは、自分の生きているときがよい時代であると思いたい。自分より前の時代はあかなんだ、だんだん上り坂になって、あとまた下がってくる、自分が死んでからあかんようになる、そうあってほしいと、潜在意識的にいつも思っているのじゃないか。」p.123
・「知行合一というのは、いろいろ高尚な意味があるわけですけれども、ふつう常識的に使われるのは、考えていることと実行することとが一致しておらなんだらいかんという意味ですね。」p.141 最近考えていたこと、というか現在のテーマがこれです。
・「われわれ碁や将棋のヘタな者は、いろいろと可能性を考える材料もないから、思いつきでポンポン打つ。上達すれば、いろいろな可能性があることもわかり、それについて何手か先まで考えられるようになる。学問が進んでいくというのも、それに似たことですね。」p.142
・「最も一般的に言うならば、自然界というものには非決定性がある、ということが量子力学の出現によって、否定できなくなってきた。それは非常に新しい事態だったのであります。」p.158
・「私の素量子研究は、たいして金がかからない。しじゅう何か考えたり計算したりしているだけですから、しごく安上がりにやっているわけです。」p.164
・「しかし、これから先、今後の世界では、むしろ人間が人間自身をあんまりよく知るようになることを、恐れなければならないのではないか。」p.176
・「創造という問題、これは生き甲斐ということと非常に関係があるわけですね。」p.183
・「困難があるがゆえに生き甲斐がある。それがまたしあわせにつながっているという、非常に奇妙な状態ですね。」p.185
・「学問でもいろいろありまして、私は、学問には、安全な学問と、安全でない学問があると思うんです。私の申します安全、安全でないという意味は、現実にたとえば放射線があぶないとか、そういう意味の安全性ではなくて、研究者当人の精神の問題なんですね。(中略)私などは四十何年かのあいだ安全でない学問ばかりやってきた。(中略)極端にいえば、お先まっ暗でやっている。」p.187
・「つまり人間というのは、ああでもない、こうでもないと、ある大きな問題を年中考えておりますと、ハッと思うことがある。」p.189
・「これは戦前の話ですが、私は中間子というものがあるぞということを言うたんですね。しかし、こういうものはそこらの物のなかにはないぞ、あるとすれば、宇宙線のなかにはあるだろう、そういうことを言いまして、それで宇宙線のなかを探したら見つかった。」p.200
・「そもそも、あらゆることを全部やってみなければ、物がわかったとはいえぬというのでは、科学の存在意義はないわけです。」p.202
・「これからは、対立するということではなくて、相待つということを、もういっぺんよく考えなければならぬ。価値体系というものも、もう一度根本から考え直さなきゃならない。」p.231
・「仮に、創造とはこういうもの、こうすればよかろうということをきめて、それを後生大事に守ってやっておったのでは、本当に新しいことはできないという逆説的な状況に常に置かれているわけですね。」p.232
・「私ども物理学のような学問をやっておりますと、ときたま何か新しいことを思いつきまして、自分はそれを信じて、これはいいだろうと思って言う。人はなかなかそれを受け付けてくれぬ。それは少数意見です。少数意見を言うておるわけです。(中略)私はそういう状況がむしろ好きです」p.234
・「物理の勉強を相当やって、必要な準備をしておかない人が、いっぺんに大学説を言うても、それがほんとうに正しい学説であるという確率は、まずゼロと見てよろしい。」p.238
・「物理のような学問では、業績の評価が、わりと公平に行なわれていた。その点、戦前のほうが変な大国主義みたいな傾向が少なくて、今よりよかったと思います。もっとゆっくりしたペイスで仕事がやれたし、人の仕事もゆっくり検討できた。戦後は万事テンポが速くなりすぎて、学問の本当の発展のためにはよくないですね。」p.239
・「私は組織論にたいへん弱い人間です。」p.241
・「人間にとっていろんな新しい知識、情報というものは貴重なものであるはずだけれども、その量がある程度以上ふえますと、情報公害的な状況になってきて、いかにして論文を読まんようにしようかと一生懸命になる。」p.247
・「人間にとって一番だいじな頭、大脳を取ってくる(移植する)ということになると、どうなるか。それは絶対いけないと思います。大脳のほうが当人で、からだの方ではないわけですね。」p.248 これは哲学的大問題。著者は二元論をとるわけか。。。
・「たとえば核兵器に関係ある学者で、昔はアカデミックな物理の研究をやっていた人があります。あるとき、ある会合で会いました時、その人の目つきをみると、きついのです。」p.250
・「皆さんはお使いになる言葉でしょうけれども、一般には使われない言葉に、英語のディシプリン(discipline)というのがありますね。ディシプリンというのは、もともと訓練する、鍛錬するという意味の言葉です。」p.258
・「人間の頭のよさにもいろいろありますけれども、デカルトの場合は、ひじょうに驚くべき頭の働かせ方ですね。おれの頭はこういうふうに使うていったらよいということを自分で知っておって使うている。これはすごいことですね。」p.262
・「時間的空白というものはたいへんだいじなものであって、人間の幸福というものにつながっているわけですね。」p.274
・「先ごろ『日本人とユダヤ人』という本が出ました。私は読んでいません。ベストセラーは読まないという私の主義に忠実であろうとしたからです。」p.294
・「昔から、朝永さんからよく言われたんですが、どうも湯川さんの話は漠然としている、と。まさにそのとおりです。自分でもそう思う。」p.297 どうでもいいけど、ずっと『あさなが』だと思っていたが『ともなが』だった・・・orz
・「(シュレーディンガー)はさらに語気を強めて、科学から形而上学を完全に除いてしまったら、残るものは骸骨だという。」p.
~~~~~~~~~~
?こしおる【腰折る】 歌や文などがつたないさまになる。腰はなる。
?ちこうごういつ‐せつ【知行合一説】 人間の知(認識)は、行(行為・実践)の一部であって分けることはできないとする陽明学の学説。朱子学の先知後行説に対して、道徳的実践や体験による知識の確認を重視したもの。
?どうちゃく【撞着】 1 つきあたること。二つのことが互いにぶつかること。  2 前と後とでくいちがって、つじつまが合わないこと。矛盾。「自家撞着」
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新入生と初顔合わせ

2006年04月26日 23時00分51秒 | 日記2005-10
大学オケの新入生と初顔合わせ。
とはいっても顔はすでに合わせてるのですが、
楽器を教える場では初でした。

レッスンというとおこがましいけれど、
一応、先輩として一人ずつ呼び出し、鬼の特訓を…ウソです。

本日は三名、各一時間弱みました。
皆初心者なので、肩当てのつけかた、弓の持ち方、
楽器の構え方などなどから。
新入生は初々しく、素直でかわいい。
しかし、それが一年も経つと…

過去いろんな人をみてくると、
中に、ほんの少し教えるだけで、一発できれいな体のフォームを
作れてしまう人がいます。
あれはなんなんだろーか、といつも不思議に思います。
"才能"というのともまたちょっと違う感じ。


とりあえずは足りない楽器を調達せねばならないわけですね。
はい。頑張ります♪
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【論】Storey,2003,Statistical significance for ~

2006年04月25日 21時10分09秒 | 論文記録
John D.Storey and Robert Tibshirani
Statistical significance for genomewide studies
Proc Natl Acad Sci USA 2003, 100:9440-9445.3.2
[PDFダウンロード][Webサイト]

・DNAデータの統計処理にq値の使用を提案する。
・q値の計算法や、p値との比較が主な内容。
・使用データ
1.Detecting Differentially Expressed Genes.[Hedenfalk]
2.Identifying Exonic Splicing Enhancers.[Fairbrother]
3.Genetic Dissection of Transcriptional Regulation.[Brem]
4.Finding Binding Sites of Transcriptional Regulators.[Lee]
・q値を計算するソフト→[ダウンロード]

・概要「We propose that the recently introduced q value is a well suited measure of significance for this growing class of a genomewide tests of signifcance. The q value is an extension of a quantity called the "false discovery rate"(FDR),
・「Whereas the p value is a measure of significance in terms of the false positive rate, the q value is a measure in terms of the FDR.
・「For example, a false positive rate of 5% means that on average 5% of the truly null features in the study will be called significant. A FDR of 5% means that among all features called siginificant, 5% of these are truly null on average.
・「For example, controllong the FDR at 0.03, 0.05, or 0.07 in the expression data finds 80, 160, or 231 significant genes, respectively, when our proposed method is used. The methodology in ref.5 finds only 21, 88, or 153, respectively, indicating that this eariler method's estimates are too conservative and result in a substantial loss of power.
・「Most inportantly, a systemaic use of q values in genomewide tests of significance will yield a clear balance of false positives to true positive results and give a standard measure of significance that can be universally interpreted.
・q値の定義「An alternative quantity, called the pFDR, was recently proposed, which is simply defined as pFDR = E[F/S|S>0]. The q value most technically defined as the minimum pFDR at which the feature can be called significant.

・"q value"のイメージがサッパリわかない。もうちょっといろいろ調べないと歯が立たない。
・とても広い範囲を含む題目。よっぽど自信があるんだろうなぁ。。。
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【本】ビールを楽しむ本

2006年04月24日 22時28分15秒 | 読書記録2006
みんなで乾杯!ビールを楽しむ本, T&T情報センター編, 新潮文庫 て-1-4, 1985年
・ビールが好きである。しかし、こだわりはあまりない。最近はだいたい二合缶を一日一缶のペースで飲んでいる。いつも酒屋さんで箱買いで、前回とは違うもの、または新しい商品を見つけたらとりあえず買ってみる。一時期は発泡酒ばかり飲んでみたり、幾多の変遷があるが、最近は『サントリー・モルツ』と『サッポロ・黒ラベル』が多いですかねぇ。
・文庫本でありながら写真が豊富で、"読み物"というよりは"図鑑"の性格が強い。ビールの歴史・製法・銘柄・つまみ等々、基本的な部分は全ておさえている。 各国の多彩なビールの紹介を見ると、日本のビールは一種類、と言ってもいいように思えてきます。たいていの飲み屋では、ビール一銘柄おいとけば、なんの支障もないし。。。 以前、初めて行ったアメリカの酒場のメニューに10種をこえる銘柄が並んでいたので、上から順に飲んでいき、途中、砂糖いりビールにブチ当たりフキ出しそうになった思い出があります。
・「Bier macht Wangen rot――ビールは健康のもと、こんな言葉があるくらいだから、ドイツ人にとって、ビールはなくてはならない存在だ。なにしろドイツでは、ビールが飲めるのは14歳から。(中略) ドイツでは毎年各地で盛大なビール祭りが開かれているが、中でも名高いのが、九月下旬から十月にかけてミュンヘンで行なわれるオクトーバーフェスト。170年の歴史を誇り、国内外のビール好き600万人を集めるビールの大祭典だ。期間中だけ設営される大ビヤホールで、人々は500万リットルのビールを飲み、鳥40万羽、ソーセージ150万本を平らげ、そのうえ毎回酔いのまわったビール飲みが200人近く昇天するというから壮絶である。」p.5
・「現在世界中で主流となっているアルコール度4.5~5%の淡色ビールを総称するピルスPilsは、このピルスナーの略である。」p.21
・岩城宏之氏によるコラムより「正しい方法で注ぐと、好みの違いは別にして、日本のビールも、第一級に美味いのである。」p.43 この"正しい方法"が、直後のページで紹介されている"上手な注ぎ方"と真逆なのが可笑しい。
・「現代のビールの主流は、「穀類、主として大麦を原料とする醸造酒で、ホップを加えたうえ、酵母を使って発酵させたもの」である。」p.44
・「ビールのおいしさは、日一日とこわれていく。だから、店頭で購入するときも、製造年月日がより新しいものを選ぶべきである。」p.47 これについては、まったく意識がなかったなぁ・・・
・「一般に、食品は冷やした方が新鮮さを保存できると思われているが、ビールに関しては、これは間違いだ。ビールを長期間冷やし過ぎると、寒冷混濁とよばれる濁りが生じる。当然、味の方もぐっと落ちるわけだ。」p.47
・「6000種を超えるといわれるドイツビール」p.62 ろ、六千ですか。。。スゲー
・「現在ビール瓶の王冠栓のギザギザはたいてい21個。これより多くても少なくても開けにくい。」p.92
・「ある王室の記録によれば、「王妃には毎日パン10個とビール2杯、王女にはパン10個とビール1杯、衛兵にはパン20個とビール2杯」というように、ビールは自然経済における貨幣の役割を果たしていたのです。」p.156 なぜ衛兵の方が多いのか??
・「1516年、バイエルンの君主ウィルヘルム四世は、「ビール純粋令」と呼ばれる法律を定めました。これは「ビールは大麦、ホップ、水以外のものをつかって醸造してはならない」というもので、これによってビールの品質基準が定められたのです。」p.159
・椎名誠氏によるコラムより「味はまったく同じ味なのに容器ばっかりヘンテコなのを作っている日本のビール会社よ、どこかこのビール(ミュンヘンのヴァイスビール)づくりに挑戦してくれい!」p.175
・「しかし、この家庭用ビールの配給は、それまでビールを口にしたこともなかった家庭の婦人たちや、ビールを贅沢品と考えて飲む機会に恵まれなかった農村の人々にビール体験をもたらすことになりました。皮肉なことに、戦争によってビールは日本人の生活に溶け込んでいったのです。」p.198
~~~~~~~
?かいしゃ【膾炙】 1(「膾」はなます、「炙」はあぶりものの意)なますとあぶり肉。小さく切って焼いた肉。  2(なますやあぶりものは、どんな人にも賞味されるところから)物事が多くの人びとに言いはやされて、広く知れわたること。「人口に膾炙する」
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コンバート@西区オケ Va→Vn1

2006年04月23日 23時16分23秒 | 日記2005-10
ろくに練習しないものだから、配置転換になりました。
曲はマーラー5番(難曲)。
5年くらい前に一度だけ弾きました(Vn1)。
もうすっかり記憶に無いものと思っていたけど、
弾きだしてみると、意外とついていける。
ビオラよりも全然、楽。
体が覚えてる、というか不思議な感覚です。

年々、札幌往復のダメージが大きくなっている気がします。
土日でオケ4つ回りゃあ疲れるのは当たり前、か。

本日の練習にて中山先生曰わく、
『和声の勉強とは、不協和音の勉強である』
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【本】魔女狩り

2006年04月22日 23時01分19秒 | 読書記録2006
魔女狩り, 森島恒雄, 岩波新書(青版)742(D20), 1970年
・人類の持つ負の歴史について。豊富な資料をもとに、ひたすら「魔女狩り」についての考察をすすめていく。そこには「魔女」のことだけではなく、当時の人々の考え方や日常の暮らしぶりも同時に浮かび上がってくる。これまで漠然とした知識しか持ち合わせていない分野でしたが、その詳細がかなりハッキリしました。 それにしても、ご想像の通り、気の滅入る内容の本です。注意。
・「ドイツでは魔女を焼く火刑柱を建てるのにほとんど忙殺されている有様です。スイスでは魔女のために全滅した村がたくさんあります。ロレーヌ(フランス東北部)を旅するものは、魔女を縛り付ける刑架を幾千となく見かけるでしょう。(アンリ・ボゲ『魔女論』1602年)」p.3
・「当市民の三分の一が事件に関係していることは確実でございます。誰よりも裕福で、評判のいい、りっぱな聖職者たちすら、すでに処刑されました。八日前には、19才の娘が焼かれました。この娘は、市中で一番美しい、まれにみるつつましく純潔な娘だったという評判でございます。(中略)こうして多くの人間が焼かれるのは、彼らが神を拒み、魔の会合に出席したからであり、それ以外には何の罪も犯してはいないのであります。(ヴュルツブルク(ドイツ)の司教(兼領主)附宗教法顧問が知人に宛てた手紙。1629年)」p.4
・「魔女裁判の本質は、結局、この「地域」と「時期」との関連の中にある。」p.7
・「(古い魔女について)帝王や貴族、いや、聖職者すら、しばしば多くの魔女をかかえて彼らの呪術を利用している。したがって、魔女に対する弾圧や迫害は、魔女そのものに対してではなく、魔女が行なう反社会的な犯罪に対してであった。」p.13
・「魔女の実在を否定することは聖書を否定することである」p.16 それまでの「なぜこんなことがおこったのか?」という疑問の大部分が、この一言で氷解したような気がします。
・「ところが、1300年を境として事態は一変する。魔女に対する教会の態度が、にわかに硬化するのである。魔女の歴史は、ここで、平穏だった古い魔女時代を終えて、不安動揺の時代に入ることになるが、その転機は「新しい魔女」の大量出現であった。」p.17
・「「カトリック」という言葉は、「普遍的」すなわち「世界的」という意味である。(中略)中世のヨーロッパは、いわば、法皇を君主とする「世界国家」であり、法皇庁は「世界政府」であった。」p.21
・「ペジエの町には正統的なカトリック教徒も少なくなかった。この忠実な信徒と異端者を見分けるにはどうしたらいいかと騎士に聞かれたとき、シトーの僧院長アルノーは言下に答えた。「みんな殺せ。その判別はあの世で神様がなしたもうであろう。」」p.29
・「こうして発足した異端審問制は、発足当時の有能な異端審問官たちによる審問方法の確立によって完成する。 その方法を要約すれば、一人の異端者を滅ぼすためには1000人の無実を犠牲にすることをいとわず、被告に有利な弁護の機会は完全に奪い、被告に不利な証言のためにはあらゆる機会を与え、人智の限りをつくした拷問によって自白を強要あるいは捏造し、したがって、容疑は最初から有罪判決に直結しており、罪の償いの義務は五体を焼かれた後までも残り、一切の審問費用は、自分の五体を焼いた薪代をも含めて財産没収で弁済させる……というものであった。」p.38
・「20世紀のイギリスの最高法院長マクドネルは、「エイメリコが、その『異端審問官指針』の中で審問官に与えている助言と訓戒とを読めば、近代の反対尋問の技術と工夫がどんなに幼稚で非科学的なものであるかがわかる」と驚嘆している。」p.42
・「10年ばかり前のこと、マドリッド市で道路改修工事のため地面を掘り起こした折、深い地層が広い面積にわたって人骨と毛髪の堆積であった。これは処刑された異端者の遺骸だと判断される、と当時の新聞は報じた。」p.43
・「知識は、その所有者しだいで最高の悪徳となるものだ」p.52
・「中世は信仰(belief)の時代ではなく不信(disbelief)の時代であった。(ジョージ・サートン)」p.53
・「魔女は悪魔と盟約を結んで悪魔に臣従し、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的な妖術を行なうことができる」(『魔女の槌』)」p.63
・「人は、宗教的信念によって行なうときほど喜び勇んで、徹底的に悪を行なうことはない。(パスカル『パンセ』)」p.73
・「神の国を悪魔から守るために、このありえない罪を必死になって追求する魔女裁判官の姿は、風車の翼に向って真剣に槍をかまえたドン・キホーテを想わせる。ドン・キホーテの槍玉に上がるのはせいぜい風車ですんだであろうが、魔女裁判の槍玉にあがった数十万の魔女は悲劇であった。」p.94
・「拷問こそ異端審問の機構の枢軸であった。(中略)魔女裁判では拷問がとくに残虐に行なわれた理由の一つは、魔女の罪は特別に凶悪な、いわゆる「格別の罪」であり、「人間の心が考えうる限りの、もっとも憎むべき罪」(ジャン・ボダン)として、いささかの同情も憐れみも施す余地のないものであったからだ。」p.102
・「スペインの異端審問所の拷問記録を読んだH.C.リーは、拷問される被告の悲鳴や絶叫までを精細に書きとめている書記の「冷静さ」に、「拷問の残虐さ以上に驚嘆」している。」p.107
・「中世の拷問のことを思うときに、もっともわれわれを驚かせるのは、誇張しようのない悪魔的野蛮性よりは、むしろ、拷問の種類の異常な多様性と、そこに示されている、いわば、技術的手腕である。(レッキー『ヨーロッパにおける合理主義』1873年)」p.110
・「1594年ドイツのネルトリンゲンで56回の拷問の繰り返えしでようやく屈服した女性の魔女の例がある。魔女裁判は、まさしく、「真実性のテストではなく、耐久力のテストであった。」(リー『中世』)」p.117
・「時と処をはなはだしく異にしていながら、どの魔女の自供もその内容がみんな同じだということは驚異であらねばならぬ。1700年の北ドイツの魔女も、1500年のフランスの魔女と同じ内容を自供している。(中略)自供の一致は、実は、自供の「真実性」の証明ではなく、自供の「でっち上げ」の証明なのであった。」p.118
・「生きながらの火焙りではなく、絞め殺された上で焼かれることを、どんなに被告らは切望したことか。」p.122
・「20世紀科学の時代が、20世紀的迷信の魔女裁判を生まないとは断言できないであろう」p.124
・「拷問の苦しさに耐えきれず、でたらめの自白をして死を望んだ魔女にすら、生きながら焼かれることの恐ろしさは非常なものであったらしい。「縛り首にしてやるから白状しろ」という裁判官の言葉は大きな誘惑であった。」p.126
・「ミシュレがいったように、魔女にとっては「死はもっとも幸福な門」であった。」p.139
・「私はその経過を全部見届けました。……女の方は炎の中で半時間、男は一時間以上も生きていました。……その男が焼かれながら嘆願する悲痛な声が長い間聞こえていました。それは、もう少し薪を加えてくださいというだけの願いでした。が、その願いは聞き入れられませんでした。……その背中だけは完全に焼けましたので、彼が上体をよじらせると肋骨が現れました。……」(ジョン・ウェルド『異端審問の歴史』1816年)」p.140
・「逮捕、尋問、拷問の手数料、獄内の食費、自分の首を絞めた縄代、自分の五体を焼いた薪代、油代、それに裁判官、下役人、処刑吏の日当や旅費、……それらのいっさいを、処刑された魔女は死後において弁済しなければならなかった。したがって、魔女の遺産の没収ということは、裁判官の重要な仕事のひとつであった。」p.160
・「神聖ローマ帝国が財産没収を禁じた1630年と1631年の二年間は、魔女摘発が急激に減少している。(中略)また、財産没収を禁じていたケルン市では、他の地域にくらべて、魔女の処刑数ははるかに少なかったのである。」p.162
・「しかし、その魔女概念をそっくりそのまま受けつぎ、それにもとづいて魔女裁判をいっそう盛大なものにしたのは新教徒であった。」p.173
・「科学を妨害したことについて、特にローマ・カトリック教会を非難することほど、不当なことはない。プロテスタント教会はそれ以上に非難に価いする。(ホワイト『科学と宗教との闘争』)」p.178
・「拷問をのがれるためなら死んでもいいほどその苦痛は激しい。もっとも頑丈な囚人すら、拷問を少しでも緩めてもらうためにはどんな罪でも自白する、と私に打明けた。彼らは拷問を、もう一度繰り返えされるよりは10回死ぬことを望むのだ。(シュペー『裁判官への警告』1631年)」p.198
・「しかし、「新しい魔女」はこれからも創作され、新しい『魔女の槌』の神学が書かれるかもしれない。」p.203
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?あかせんくいき【赤線区域】 昭和三三年「売春防止法」実施まで続いた、特殊飲食店として営業許可された公娼街地区。警察などの地図にこの地区を赤線で示したところからいう。赤線地帯。
?はくいんぼうしょう【博引旁証】 数多くの書物などをあさって用例を多く集め、それらを証拠として挙げながら説明すること。
?ずさん【杜撰】 1 詩文などで、典拠の正確でないことを述べること。あやまりの多い著作。  2 あやまり多く、いいかげんなこと。ぞんざいで手落ちが多いこと。でたらめ。「杜撰な工事」
?ドグマ(英dogma) 1 各種宗教・宗派が信奉するそれぞれの独特の教義・教理。  2 独断。独断的な説。
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新歓@酔

2006年04月22日 02時28分59秒 | 日記2005-10
大学オケの新入生歓迎飲み会でした。
ハッ!と時計を見たら2時過ぎてるし。
新入生全員(>10名)潰したかったけど、無理っす。。。
不甲斐なく、申し訳ない(?)
コメント (2)
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